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(約10000字)
[3376]の補足です。
玉川上水(1653年)と比べるときわめて新しい事例として通潤橋(1854年)がありましてですね(略)。「教科書に載っているアレ!」といって、その実、世代や地域によって、まったく異なるものを思い浮かべていそうだとも心配してみます。
・藤谷徳之助(†)「「稲むらの火」再考」
https://www.sonpo.or.jp/archive/publish/bousai/jiho/pdf/no_263/yj26305.pdf
> この単元には、「稲むらの火」の他に、「村をささえる橋」(布田保之助の熊本通潤橋の事績)、「歯車」(東北大学成瀬政男博士の事績)が掲載されている。しかし、私には「稲むらの火」の記憶はあるが、他の2編の記憶は全くと言ってよい程ない。この違いはどこから来たものであろうか?人の役に立つというだけでなく、農民の重要な生産物である「米」を犠牲にして人命を救ったことが、深い共感を呼んだものと思われる。
(通潤橋におそるおそる水を流して)水だ! 水が出たぞう! …みたいな「村人A」のセリフ、なかったでしたっけ。記憶違いかなぁ。
・[3182] 水だ! 水が出たぞう!
> > 規模の大小に限らず、既設構築を壊す場合は、止水対策は重要な項目であるため、雨水等の浸水がないように細心の注意を心掛けて設計しています。
> …うっ、といって、名古屋や馬喰町のほうなど眺めてみましょうか。
・東北大学総務企画部広報課校友係「技術というものは奇蹟なのであります。」
http://www.bureau.tohoku.ac.jp/alumni/hitogoroku/201305/index.html
> 数式による「歯車の一般理論」をまとめあげます。
> この数式に従えば、研究者や技術者は、自ずと歯車の能率的な歯の数、高さ、深さ、厚さ、相手の歯車の歯の厚さなどが割り出されるという画期的なものでした。歯車製造において、世界を代表する歯車メーカーの最高性能の歯車の秘密のベールが数式で露わにされた瞬間でした。
うーん。忘れているけれども、なんとなく読んだような気がしてきます。本当でしょうか。
・トヨタ自動車75年史「第4項 機械加工法、工作機械の研究・開発」
https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section3/item4.html
> 75年史TOP
わあぃ75年史TOPに戻るッ。「TOPに戻る」について[3373]で後述します。「歯車」としては、1934年から1936年までの話であるようだとわかります。かなり新しいですね。
「通潤橋」と「歯車」の間くらい、小湊鉄道(1917年)くらいの話([3266])も、教科書に載ってほしいかもです。なお、それらしい本はあるということです。
・千葉県立図書館
http://www.library.pref.chiba.lg.jp/information/all/file/A-b.xls
> 小湊鐵道の今昔 レールは人生を乗せて 遠山あき
> ちばの鉄道一世紀 白土貞夫
・「小湊鐵道の今昔 レールは人生を乗せて」崙書房出版(2004年11月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4845511088
・「ちばの鉄道一世紀」崙書房出版(1996年8月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4845510278
> (ユーザーレビューより)
> 全体を通してみると流れが理解できるようになってくるので
> 読みたい箇所だけ読む人には向いてないかも。
うーん。うーん! いま絶妙にもどかしいといいましょうか、▼「農民作家」を自称された世代かつ執筆スタイルのかたと、▼一種『カリカリ!』の鉄道のかたとの間の広大な領域に、ポヤンと何かが浮かんできませんか? …そうですか。たわし、カナシイです!
・福岡県朝倉市「ふるさと人物誌4 地下水で美田を拓いた「橋本 郁太郎」(はしもと いくたろう)」
http://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1297055549517/
> 土地は砂質で水がすぐ染み込んでしまうのです。
> サトウキビから取れた砂糖を売ってお金に換えたり、軍の仕事を引き受けてお金をもらって生活したりしました。相窪の人たちは、隣村の秋祭りの音をきくと、「自分たちも米の取れる田が欲しい。水さえあれば、自分たちも生活が豊かになるのにな」とつくづく思うのでした。
> この前火事があった日のこと、井戸の水を汲んでも汲んでも涸れなかったこと、他の井戸の水もあったことなどを話しました。そして、新しい法律ができて国からお金が借りられるようになったことなど一つひとつていねいに説明しました。始めのうちは、みんなは本当にできるだろうかと半信半疑でした。しかし、苦しい生活から抜け出すため頑張ろうと熱心に語りかける郁太郎に、反対していた者の中からも賛成する者が出てきました。
> 明治42年、仲間が集まり相窪耕地整理組合を作りました。仲間とともに委員に選ばれ、委員長には橋本郁太郎がなりました。県に耕地整理事業の申請を出しました。許可が下りるといよいよ工事を始めました。日々の仕事は大変でした。しかし、みんなには大きな夢がありました。田んぼを造って家族の者を幸せにしたい。みんなは力を合わせ励まし合って、来る日も来る日も働きました。努力の甲斐あって整地した柳原、輪ノ内方面の田んぼは約15ヘクタールにもなりました。
※近くの山を削った土砂で整地して、というビミョーなところは伏せて、『美田!』が強調されているのかもしれませんよ…ちょっとだけ。
> 米国に渡って工学の勉強をしていた末の弟義夫のことが頭に浮かびました。義夫は、たまたま病気治療のため帰国していました。早速弟の義夫に相談しました。「米国には石油で動く発動機と言うものがあって、それを使って水を汲み上げていました。しかし、残念なことには、日本には石油発動機で水を汲み上げるポンプはまだありません。私が設計しますから、福岡の工場で機械を造ってもらってください」。
※別のページで「工学博士」との記述が見られ、少なくとも療養を終えて勉学を再開され博士号を得たところまでは想像されますが、その後の消息がよくわかりません。この時代に工学博士で「石油で動く発動機」など設計できたりする人のその後といって、風立ちぬ的な展開しか思い浮かびません。(メッソウでございます。)本当でしょうか。
> 久留米の宮ノ陣に煉瓦を造る工場があることが分かりました。早速出かけて煉瓦を注文しましたが、宮ノ陣から相窪まで約30キロメートルもあります。今と違ってトラックもない頃のことです。しかし、若者達はよく協力して重い煉瓦を牛を引いて運んで来ました。
> 「やった。水が出たぞう。万歳。万歳。万歳」。
西暦では1909年から1911年にかけての話でございます。おお、小湊鉄道より8年しか早くない話だとわかります。こういう話の『千葉県版!』としては小湊鉄道が最適だろうと思えてきそうですね、わかります!
※ポンプを発明したわけではないけれども、最新の助成制度をいち早く使って、近代的な組合も結成して事業を進めたというところが、きちんと体系的に理解される必要があると感じるわけです。(見解です。)
朝倉市も福岡県ですから、「福岡の工場」とは福岡市のことだろうとわかります。
※大牟田や若津ではなさそうだということでした。本当でしょうか。
・東洋経済オンライン「「福岡」と「博多」は、なぜ微妙な関係なのか」(2016年6月5日)
http://toyokeizai.net/articles/-/120996
うーん。
・Google ストリートビュー 「博多千代郵便局」前
https://goo.gl/maps/EtWkzo7KWuQ2
ここを指して「福岡」と呼んでよいのか、わかりませんでした。(恐縮です。)
仮に、現在の「博多千代郵便局」から「相窪の灌漑機」まで、直線で33.3kmとのことです(Googleマップの距離測定ツールによります※)。これまた仮に、千葉県で直線で33.3kmくらいといいますと、旭硝子千葉工場から、いすみ鉄道の上総中川駅まで…わかりにくいですね、わかります! 秋葉原駅から守谷駅までの直線距離がだいたい同じくらいということです。
※地図上で定規で測るのでなく、指定した地点の緯度経度を使っての計算がなされますから、大げさには地球儀の表面に糸を張って測るような値がきちんと出てきます(図法の影響は受けませんが高低差は無視されます、の意)。
・昭和鉄工
http://www.showa.co.jp/chosen.html
> 明43(1910)
> 御召列車専用ラジエーター
とても興味深いですがボイラーの工場で、本件とは関係ないのが残念です。
・ウィキペディア「ラジエーター」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC#.E6.9A.96.E6.88.BF
> 室内空気の汚損が全く無い。欧米の集合住宅やホテルなどでは一般的な暖房装置であるが、日本ではガス会社などが販売しているものの、あまり普及していない。
> 暖房用ラジエーターは1855年、Franz San Galliによって発明された。彼はセントラルヒーティングシステムを初めて生産し、ドイツおよびアメリカでこの発明の特許を取得した。
> 旧来の暖房用ラジエーターは鋳鉄製の物が多く、日本でも戦前の洋風建築に数多く存在する(例: 東京都庭園美術館 - 旧朝香宮邸)。
> 日本ではスチーム暖房として、古くは日光金谷ホテルで1914年(大正3年)に一部の客室に採用され、1923年(大正12年)には全館採用された。同じく1914年に鉄道院直営であった奈良ホテルでも全館暖房用として約1年をかけて順次導入されている。
・奈良ホテル
http://www.narahotel.co.jp/history.html
> 日露戦争に勝った日本には来遊する外国人が急増。そのため政府は全国の主なホテル・旅館経営者を集め、必要な保護特典を与える旨の発表をしました。
> 開業後は1日に僅か4〜5名のお客様に対し50〜60名の従業員を抱え、営業は順調ではありませんでした。西村は鉄道院に窮状を訴えましたが補助金を得られず、大日本ホテル株式会社は開業から4年にも満たずに幕を閉じ、大正2年5月には鉄道院が経営をすることになりました。
うーん…。補助金(subsidy)については[3348],[3362]などを参照。補助金とは本質的にむずかしいものであると再認識されそうな気がしてきます。(あくまで気のせいです。)
・「旧朝香宮邸」(1933年5月)
http://www.teien-art-museum.ne.jp/museum/img/asakanomiya_photo01.jpg
http://www.teien-art-museum.ne.jp/museum/index03.html
> フランスに留学しましたが交通事故に遭い
ラジエーターの説明として挙げるには、ずいぶん新しい建物ではないのでしょうか。うーん。
・朝日放送「10畳に20人座る家」(2016年5月29日放送)
http://www.asahi.co.jp/beforeafter/d00175nlor.html
この回で、無音の空調で(そろばん教室の生徒さんの)集中が途切れないとの触れこみで、ラジエーターでした。冷水を流して冷房もできるんですよぉ。
※海に面した大きな窓の作業場がスキップフロアになって目の高さで海が…の家でもラジエーターではなかったでしたっけ。いえ、積雪が3mで犬が走る家でしたっけ。(うろ覚えです!)
・「海に面した大きな窓の作業場がスキップフロアになって目の高さで海が…の家」のイメージです
http://www.asahi.co.jp/beforeafter/old/list/d00110iqev.html
・「積雪が3mで犬が走る家」のイメージです
http://www.asahi.co.jp/beforeafter/old/list/d00058cila.html
・(参考)「日本ではガス会社などが販売しているものの、あまり普及していない」のイメージです
http://home.tokyo-gas.co.jp/living/living/tes_hounetsuki/
なぜか「ゆかだんと呼ばれる床暖房!」だけが普及するというのが『謎』でございます。温熱をしっかり考えました感が少なく、「ゆかだん:あり!」といってチェックリストに○をつけるかのようなソレ(『記号的カタログスペック』[3193])だと感じられます。本当でしょうか。
※「コンピューター屋さんはチェックリストに○をつける」([3191])も参照。
・標準「ゆかだん」のイメージです
http://sanyudensetsu.com/images/title_04yukadan.jpg
・Google ストリートビュー 西町筋の「奈良屋ビル」
https://goo.gl/maps/zH1bvkpmaRp
https://goo.gl/maps/HZ2jdG4KWy62
もっと無関係ですが、なんともいえない建物ですね、わかります! ▼コンクリートブロック、▼駐車場の屋根から作業小屋まで多用された鉄製のフレーム、▼部分的にラーメン構造、▼一部レンガ造(?)といって、建材や工法の見本市のようです。
※しかし、所有者への確認なく(確認すれば容易に判明しそうなことがらを「わからない」としていることから、何も確認していないと見受けました)「見学」と称して立ち入って写真を撮られているサイトさんが2つほど(しかも建築のひとっぽい)見つかります。うーん。スーパーのカゴを持ってきてしまうひとたちや非常食を食べてしまうひとたちのほうなど連想してしまいました。そして、おお、やっと、立ち入らずに写真を撮られているサイトさんが見つかりまして…と思ったらですね、映画の画像を(何の注記もなく)転載なさっているという(略)。学校にいたころに知らなかったことって、その後も知らないままなんだといって、ゾッとしてくださいオネガイシマス。
・ウィキペディア「福岡の工場で機械を造ってもらってください」付近(推定)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E6%A9%9F
> 福岡市の渡邊鉄工所(現・渡辺鉄工株式会社)は、1830年(天保元年)創業の建設業者・渡邊藤吉本店(現・株式会社渡辺藤吉本店)の分工場として1886年(明治19年)に博多に開設された。機械工場として発足したのち、1904年(明治37年)に日本陸軍用輜重車両製造で軍需に参入し、1916年(大正5年)に渡邊藤吉本店とは別の合資会社渡邊鉄工所として法人化、以後株式会社化、日本海軍向け魚雷部品などの軍需生産拡大で業績を伸長した。
・渡辺鉄工「会社沿革」
http://www.watanabe1886.com/history.html
> 明治19年 1886年
> 渡辺藤吉本店の付属工場として博多の西町に創業、後に千代町に移転。
> 水揚げポンプなどを製作
合資会社になる前までに「水が出たぞう」案件を各地で実現させていた立役者なのかなぁ、と推定します。この、現在も存続している民間の会社さんがあるといって、教科書には載せにくいだなんて、そんなことをいっていては、教科書の中の時間が止まったままになってしまいます。鹿島さんも出てくる小湊鉄道のストーリーが教科書に、といって、現在の鹿島さんの一方的な宣伝にならぬようにという配慮とともに、しかし、そういうストーリーを教科書として取り上げたいというジレンマのようなもの、どうやって解決していけばいいのでしょうか。みなさんで推理してみてください!
・Google ストリートビュー 「相窪の潅水機」付近
https://goo.gl/maps/jnQfLnxKTZq
https://goo.gl/maps/QKDfpuAq8Sz
・朝倉市「ナンジャモンジャ」
http://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1297668172265/index.html
※わあぃナンジャモンジャ。[3240]とは由来が異なるようです。
・(†)藤谷センセイ「大気境界層(乱流を含む)」1985年の一例です
http://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1985/1985_05_0259.pdf
http://www.metsoc.jp/tenki/result.php?author=%E8%97%A4%E8%B0%B7%E5%BE%B3%E4%B9%8B%E5%8A%A9&page_max=30&sort=ASC
※「歯車」に深い何かを覚えなかったとしても、後年、このような研究をされるに至ることができるということを示されています。
・(参考)「岩崎小彌太物語」より「三菱合資会社」「三菱内燃機製造」ほか
https://www.mitsubishi.com/j/history/series/koyata/koyata06.html
https://www.mitsubishi.com/j/history/series/koyata/koyata17.html
> 小彌太の英国留学からの帰国は1906(明治39)年、28歳の時だったが、その後2年の間にたて続けに彼の一生を決める重大事件が降りかかった。まず、帰国した小彌太を待っていたのは父・岩崎彌之助の、三菱合資会社に入社せよという強い希望であった。希望というより命令といったほうがよい。
> 1907(明治40)年3月(略)この年、小彌太の弟でロンドン大学化学科を出た岩崎俊彌が大阪で旭硝子株式会社を創設した。
相窪の発動機を設計されたほうのかたは、旭硝子の人の数年ほど後輩にあたる世代の人であっただろうとわかってきます。
> 第一次大戦中から、長崎・神戸の両造船所では、船舶建造の技術をもとに多角化を開始していた。蒸気機関主体の舶用機関はディーゼル・エンジンへと発展、さらに自動車用・航空機用のガソリン・エンジンと機体の製造のために神戸造船所から内燃機部門が独立し、1920(大正9)年、名古屋に三菱内燃機製造株式会社が設立された。また翌年には、各種電機機器を製造する三菱電機株式会社が新設された。さらに翌年、三菱内燃機は三菱航空機と改称した。
風立ちぬの人は1927年に入社してから「ヨーロッパ、アメリカへ1年半派遣された」(ウィキペディア)とのこと。ここまでの話題から見れば、だいぶ後(20年ほど後)の時代の人であるとわかります。
レンガについて深めてみようと思います。
・Google ストリートビュー 西鉄「宮の陣駅」付近
https://goo.gl/maps/fGTyhEEFo6u
https://goo.gl/maps/qUnia2uRs7L2
https://goo.gl/maps/YDshGf1QSYq
仮に、現在の西鉄天神大牟田線「宮の陣駅」から「相窪の灌漑機」まで直線で16.8kmとのこと。ぬおー、牛ですか、牛ですかっ。いえ、こちらは筑後川そして佐田川の水運が…いえいえいえ、(昔ながらの水運で)そういう方向には運べないですよね。…牛ですかッ。
・久留米市「レンガ塀に残る荒木駅空襲の痕跡を調査しました」(2015年5月14日)
http://www.city.kurume.fukuoka.jp/1500soshiki/9125bunkazai/3010oshirase/2015-0428-0931-551.html
・(個人のページ)
http://www.fukuchans.net/tachiarai.htm
> 「(略)一九一三(大正二)年に完成した。
> レンガは千代田町迎島の五工場に特注したもの(略)」
・大刀洗町「まちの文化財れきしびじょん」
https://www.town.tachiarai.fukuoka.jp/page/page_10022.html
> まず、井戸を掘り地盤を調べたところ、すぐに水が湧き出し、軟弱な地盤でありことがわかりました。そこで、建物の範囲を約2.4メートル掘って直径1尺(33センチメートルほど)、長さ22尺(7メートル30センチメートルほど)の松杭を全面的に打ちました。そうして、火山灰(五島産)と砂(筑後川産)・石灰(熊本産)を混ぜて、基礎としました。現代のコンクリートパイルをつかった基礎工事に通じるものがあります。
> 当時のレンガは、現代の煉瓦と違い、厚さが半分ぐらいのものだったそうですが、与助は、頑丈で大きな煉瓦を筑後川下流の迎島の工場に特注しました。出来上がった煉瓦は、河を遡り、馬車に引かれはるばる今村の地に運ばれてきましたが、
(納品する側としては)馬車らしいと想像されてきます。いまでいう『送料無料!』…いえ、馬車代をかけずにですね(略)、あっ、牛ならいますんで…ゲフンゲフン。本当でしょうか。
※じぶんのクルマで乗りつけてレンガを買いこむ…ホームセンターじゃあるまいし。そういう細かいところカワサキっ…じゃなくて、もっとクワシクっ。
・ウィキペディア「輓獣」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%93%E7%8D%A3
> 馬と牛では、牛の方が牽引力が大きいが、馬の方が牽引速度が速いという特徴がある。人、馬、牛が8時間労働した時の平均的な牽引力と速度を表に示す。
おおー(略)。
> 機関車であれば、用いる両数を増やしただけ牽引力も増加していくが、動物の場合は頭数を増やしても牽引力は比例して増加せず、次第に効率が悪くなるという特徴がある。
それぞれのひと…いえ、馬や牛が、ほかの馬や牛と協調して歩いていただける…わけがないじゃないですかぁ。やだなぁ。押されたり引かれたりという変な動き(「マルチボディダイナミクス」[3314])が加わって、さぞかし歩きにくかろうと想像してみます。
※「連結器を介して横から(進行方向で前から)受ける荷重(進みたいのに前に大きなモノがあるので、それを押しながら進むイメージ※)」([3134])も参照。「馬車を286台つなげるような」([2999])という例え話もございます。
・Google ストリートビュー 朝倉市「日本発祥の地 卑弥呼の里 あまぎ」前
https://goo.gl/maps/JExQvGyeABK2
各種「発祥の地」ございます…といって、ここにまさる「発祥の地」はなさそうだとかなんとか。
・Google ストリートビュー 「迎島」対岸の「鬼瓦工場」付近
https://goo.gl/maps/BL2bT3WfdeC2
道路に向かって掲出されている解説を読みますと、原料の粘土も当地周辺で採れ、水運が便利だということで、瓦の工場が集積していたということです。現在、この付近でレンガの工場は見つけられませんが、瓦の工場が(レンガの需要があった時代には)レンガも製造していたのだろうと思われてきます。本当でしょうか。
そして、「宮の陣駅」からでは16.8kmしかなくておかしい(=道のりで30kmとすると、仮には中牟田まで迂回しないとそこまで長くならない)のですが、「迎島」からなら確かに直線で30.1kmほどあると、Googleマップでは表示されます。朝倉市のレンガに関する記述は、地名が正しいのか、距離が正しいのか、どちらでしょう?
・(参考)YouTube 基山→甘木(2013年4月14日)
https://www.youtube.com/watch?v=bRVhIqTFBMw
・(参考)YouTube 宮の陣→甘木 「『The next station is』、あまぎ『terminal』。」のイメージです(2015年2月5日)
https://youtu.be/BatbPM8UINI?t=31m2s
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