フォーラム - neorail.jp R16

「A列車 色がおかしい」を越えて進もう


2021年5月の話題
更新:2021/11/3

[4539]

【A9V6】「生野銀山と県営生野ダム」ほかを愛でる【そしてA10へ】


「ラップのしわ」から「ABCスープ」まで
「小学校4年生で「社会科地図帳」をはじめて手にしたときの印象」で語らない(談)

(約16000字)

 そして夜が明けた…A9V2「村の架け橋鉄道」でしたねのゆうべ。(違)[4529]からの一連の記事の続きです。

・(♪〜)
 https://cdn3.railf.jp/img/news/2009/05/090504_183_om101_7368.jpg

 > 特急

 「特急」って、書いてある。あらやだ本当だわ。(棒読み)

 https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/38/7302115bf130eba4ef6c4ab7f027d653.jpg

 > 回送

 https://cdn3.railf.jp/img/news/2010/08/100802_183_1020639.jpg

 > 試運転

 https://livedoor.blogimg.jp/ske380_800/imgs/f/f/fffd2b87.jpg

 > Asahi(※縦書き)

 それはわかったからしまってください。(違)

 http://www.asahi.com/travel/aviation/images/OSK201101140096.jpg

 何も書いてない。(※ソウジャナイ。)

 http://www.asahi.com/travel/aviation/OSK201101140098.html

 > 新特急こうのとり、「地元」を試走

 そういうふうに「新特急」と書いてはいけないよ。高架化で建て替えてきれいになった駅舎を「新駅」と書くのもね。(※見解です。)


★「ラップのしわ」から「ABCスープ」まで


・「電源開発」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%BA%90%E9%96%8B%E7%99%BA

 > 分割されたばかりの地域電力会社は資本的にも非常に貧弱で、復興のために必要となる電力を満足に供給できず、発電所新設の投資もままならない状態であったため、国内での電力需要の増加に対応して制定された電源開発促進法により、1952年9月16日に国の特殊会社として設立された。

 そこまでたいへんな時期は乗り越えての「1960年」(というストーリー)であります。わたしたちはゲームです。とはいえ現実をよく学ぼうではありませんかといいました。

 > 1952年9月 - 「電源開発促進法」に基づき、政府出資の電源開発株式会社設立。

 > 1953年8月 - 只見特定地域総合開発計画に参加。
 > 1956年1月 - 糠平発電所運転開始(糠平ダム)。
 > 1956年4月 - 佐久間発電所運転開始(佐久間ダム)。
 > 1960年12月 - 奥只見発電所運転開始(奥只見ダム)。
 > 1961年1月 - 御母衣発電所運転開始(御母衣ダム)。

 > 1963年1月 - 電源開発初の石炭火力発電所、若松火力発電所(現若松総合事業所)1・2号機が運転開始。

 > 1965年10月 - 佐久間周波数変換所運転開始。

 全国の主な送電網の完成。(※体言止め)これが「1965年」だということです。ゲームの中でも、「1960年」には「電気も来ていない」土地に「1965年」までには「電気が来る」とよいですね。某シムシティとはいわないけれど、じぶんのマップ内に発電所を持たず、「隣町」から電力を買うという選択肢が増えると生々しくなります。佐久間周波数変換所を運転するための外部電源はどこから来るのか。えー…(てんてんてん)。

 > 1967年5月 - 石炭火力発電所、磯子火力発電所1号機が運転開始。
 > 1967年7月 - 石炭火力発電所、竹原火力発電所1号機が運転開始。

 > 1971年 - 日本炭鉱高松鉱業所閉山に伴い、若松火力発電所1・2号機を石炭重油混焼に改造。
 > 1974年6月 -