・「日本音楽コンクール」を「下水のマンホールの蓋」で読み解く
(約18000字)
[5126]からの続きです。
★「日本音楽コンクール」を「下水のマンホールの蓋」で読み解く
・(♪〜)
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/haradayukihiro/article/00545480/internal_1691378693708.jpeg
https://www.cocodecow.com/forest/goods/images/p/614708.jpg
※画像はイメージです。
・[5126]
> このフォーラム「画期的な新説」とは、あなたが情報探索をするときのテーマの決め方や、検索を進めるための仮の答え(仮説)として掲げるもので、これが本当だと最初から思っているというわけでは、ないんです。そういうわけで、直近の「画期的な新説」を集めてみました。いかがだったでしょうか。
・(♪〜)「ヴァレンティン・シルヴェストロフ」とは
https://youtu.be/cYMpq9V0Z7c
https://ml.naxos.jp/composer/17722
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95
> The Messenger (For Piano and Strings)
> Valentin Silvestrov
> 「私が作曲しているのは、新音楽ではないのです。私の音楽は、既存の音楽への反応であり、反響なのです」
> 前衛の停滞を経て新ロマン主義が流行しつくした後も、シルヴェストロフは望郷や回顧といった感覚を機能和声の枠内で取り戻すことに成功した貴重な作曲家である。
・[5113]
> わたしたちは「思い出」の中で氷漬けになっているのでなく『現在』を生きている。世界中で同じ国際情勢のニュースに人々の目が釘付けになるとき「ドラクエ3」のようなものが生まれてくるのだ。(※画期的な新説)
・[5111]
> 戦時中の子どもはすべからく「×国○年」になったかというと、実はそういう宣伝がピークだった特定の年(まだ戦況が悪化していないように思われていた間)に5歳だった人という、ほんとうに1つの学年の人だけが強烈な「×国○年」に染まったということではなかったか。(※画期的な新説)
・[5106]
> その人が子どものときに親などが「これは子どもに見せちゃいけない」みたいな意味で怖い顔をした、そういうかすかな記憶が、ちゃんとあるんだと思います。(※画期的な新説)
・[5079]
> 他人が発したラ行の音が聞き取りにくい場合があって、コミュニケーションには使いづらい音なのだ。(※画期的な新説)
・[5075]
> わたしたちが英語を学ぶモチベーションは、実は母語としての日本語を強靭にすることなのであった。(※画期的な新説)
・[5075]
> なぜ花畑が先で川が後なのか。…音は無視できるけれど視覚は無視できないから! 優先度の高い刺激が先に情報処理されるから花畑が先なのだ。これだね。(※画期的な新説)
・[5117]
> 海に関する神話で、歌声で惑わされる類のは、実際にそういうことが起きるからなんですよ。(※画期的な新説)
・(♪〜)「アルヴォ・ペルト」とは
https://youtu.be/z5s6pb2LQgs
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%88
> Spiegel im spiegel
> Arvo Pärt
> 1968年までエストニア放送のレコーディングエンジニアの仕事をした。
> 1979年に家族とともに国を出てオーストリアのウィーンに移住、市民権を獲得する。
> 「意思表示する方法は数多あるけれど、その中で作曲という行為が最も無能で役に立たないという究極的絶望に彼は辿り着いた。音楽に対する信頼も、音符一つ書く力さえも失ったようだった。」
> 「西洋音楽の根源への実質上の回帰」を見出し、古楽に没頭した。
・[5122]
> クラシック音楽を聞いて映画その他いろいろな「絵」が浮かんできてしまう。いまさらクラシック音楽をまっさらな状態で聞くことはかなわない。まさに豊かになったのか貧しくなったのか、わからないとしかいえません。そういう一種の“絶望”の先に『現代音楽』があるのだという言いかたもできます。
・[5126]
> どんなに「さもありなん」という感じがしても、実際に確かめるまでは仮説です。確かめるという作業は、他人任せにはできません。あなたに代わって確かめた結果をここにぜんぶ載せてあったとしたら、あなたはそれをうのみにするというのでしょうか。(※反語)
読みたいものだけを読み、読んだらうのみにするという態度が極まると、朝日新聞は信用しないで読売新聞は信用するといったことにしかなっていかない、といいたいところだが、読売新聞も含めて、およそ新聞というものは読まれなくなってきている。○か×か。
・[5122]
> 「日本音楽コンクール」が「戦時中も途絶えることなく」などと、あまりにも「毎日新聞社」の言い分をそのままおっしゃる。NHKとしては戦時中の放送協会との“決別”なくしては存立しえない。もちろん、『戦時中』という状況より前から、ラジオがあって「日本音楽コンクール」があるという歴史そのものは、かけがえのないものである。だけれども『戦時中』というのは別のこと。どこぞの外国のように、爆撃の音が入った演奏会の録音が残されているというわけでもあるまい。そもそも「日本音楽コンクール」は1年の間ずっと何かしているというものでもない。『戦時中』に途絶えなかったのは、ちょうど「日本音楽コンクール」の季節には何も重ならなかったからではないのか。1944年の秋も、1945年の秋も、秋というものは淡々と迎えていたのではなかったか。「毎日新聞社」の言い分はあまりにも軽々しい。
・[5126]
> 「実質」のグラフで見ると、1987年と1988年にまたがってピークのある感じ。つまり1987年の秋から1988年の夏までみたいな時期にピークがあるのを年次でぶったぎってしまうと、本当はあった鋭いピークが見えなくなってしまう。
・[4423]
> > 1945年(昭和20年)6月10日と7月7日に連合国軍による大規模な空襲(千葉空襲・七夕空襲)に見舞われ市域の7割が壊滅する甚大な被害を受け、その後、第二次世界大戦は終結となる。
※現在の「千葉市」は戦後の合併で市域が広くなっていることに留意。犢橋も幕張も生浜も誉田も(それより遠くは当然)「千葉市」になったのは戦後です。
> ほとんどのものは残っていないと聞いています。
・[4625]
> > 欧化が進む明治千葉の町で,千葉氏の「記憶」を必要とする動きがあったことは,従来ほとんど関心が寄せられなかった問題である。
> > 大戦前の千葉が「軍都」としてあったことにも千葉氏の存在が関与している。加藤久太郎『在職四年間』(【資料2】)に明らかだが,町長の加藤が交通兵旅団(現在では鉄道連隊と通称される)を招聘するにあたり主張したのが,「我千葉町の如きは,往昔千葉氏の拠る所にして九星旗の鎮護せりし土地」という千葉氏の本拠地としての「千葉」であった。結果,軍都・千葉が七夕空襲(1945年7月7日)の標的となり,千葉氏に関わる史資料の多くが失われたことは,皮肉としか言いようがない。
> 後世の者による利用を「存在が関与」と表現してはいけない。
・[4627]
> 地震のニュースで三軒茶屋にはじぶんも住んでいたことがあるのでわかりますといった“誰得”情報が飛び出す。
・[4663]
> > 押上から上野へ本社移転
> > 空襲により旧本社建物及び押上駅焼失
> > 上野公園〜日暮里間運転休止
> 6月末から10月までの記載が飛んでいます。
・[3827]
> 海水浴客は民間人である。
> 海水浴客は民間人である。
・[5055]
> …海水浴客は民間人である! 花火大会の見物客は民間人ですか!!(※白目)
・[3577]
> 会計検査院じゃないですけど、整備新幹線がなぜ必要なのかというのは、お客さんを運ぶためでも観光を振興するためでもないんですよ。…たぶんですけどね。
・[3601]
> よくわからない感じにいきなり住宅地が途切れて山林みたいなのが広がっているのでなく、きちんとゴルフ練習場になっているということは、ゴルフをしないひとにも感謝されていいところなのよっ!(※表現は演出です。)
・[4679]
> 都市に「空き地」があってはいけないのである。河川敷や山林が無人というのもいけないのである。なんでもいいから何かに使って、「子どもを含む民間人」(※言いかた)が多数、きゃぴきゃぴ訪れる場所にしておかないといけないのである。それ自体が何らかの安全というものである。通学路は安全である。
・[4663]
> > 1921年は大正10年です。
https://youtu.be/cuPhZWV6Dqk?t=16
> 「大都会ならしの」から郊外の演習場のようなところへアクセスすべく本線が成田方面へ延びる。工学部のある千葉までの開業よりあとのことである。成田山は大義名分である。電車には民間人を満載しておくのであーる。
> > 高砂町、細田町、上平井町などには「爆弾池」と呼ばれる池が点在していた。爆弾池は太平洋戦争中、東京を空襲した爆撃機が戻る際に不要になった爆弾を捨てていったことによりできたものだといわれていた。
> > 町が燃えていくのがわかっても、その様子は朝になって鎮火するまでわかりませんでした。
> > 朝になり驚きました…まるで焼け跡は広場です。
> 夜は暗かった。「目標」が云々など、どうとでもいえる。ここに市街地があって民間人がいますよと、夜通しあかりをこうこうとつけるべきではなかったのか。ネオンを消してはならない。
> > 下水のマンホールの蓋という蓋が開いていたのは、メタンガスに引火後、爆発して吹き飛んだからです。あれには驚きました。木製の電柱は燃え落ちて、トランス(変圧器)に入っていた油がチョロチョロと燃えてました。
> 現代っ子には「空襲」というテーマのもと「マンホールの蓋」「トランス(変圧器)」という生々しい単語が出てくるという生々しさをこそ生々しいと思っていただけるといいなと思って。アメリカがどうの、爆撃機の航続距離がどうの、というのじゃない。「マンホールの蓋」と「トランス(変圧器)」、それに「お風呂屋さんの煙突と常磐線と京成線の高架くらい」なんですよ。
・常磐線のイメージです
https://youtu.be/xMM9W0T6Wx8?t=48
※本文とは無関係です。
・「国土交通省」の説明です
https://www.mlit.go.jp/crd/city/sewerage/data/basic/rekisi.html
> 明治時代になって、人々が東京などの都市に集まるようになると、大雨によって家が水に浸かったり、低地に流れないで溜まったままの汚水が原因で、伝染病がはやったりするようになりました。そこで、明治17年(1884),日本ではじめての下水道が東京で作られました。その後、いくつかの都市で下水道が作られたものの,全国に普及することにはなりませんでした。
「空襲」と「マンホールの蓋」が結びついた記憶を有しているのは、東京(と「いくつかの都市」)の空襲を生き延びたわずかな人だけである。
・[5098]
> > ベルマーク参加商品
> かくも「ウーロン茶」は重いものなのだ。
・[4222]
> 技術者にありがちな、出典もエビデンスレベルも確かめず、何か具体的でおもしろそうなデータが見えれば飛びつく態度をいさめるものです。どんなにおもしろくても、よからぬ者が発信した情報なら無視しないといけないし、その逆であれば、無視してはいけないのである。おもしろいデータなのに扱いがひどければ、そこをちゃんと怒らないといけないのである。データのむこうには人がいるんですよ。人へのリスペクトなしでデータだけを転がす態度は許さない。
・[5011]
> 職業的懐疑心のようなことを言おうとすると「人を信用できないのかよ!(かわいそうな人)」といった感じに属人的に矮小化されるわけである。
・[5115]
> 会社に属する人間から見て、なんかふらふらしてる作曲家やシナリオライターは信用ならんという思いもあるだろう。
・[5084]
> 「日本人」の「国語」の力を、まったく信用できない。採点する側の「国語」の力も信用しない。
・[4854]
> 実は悪ふざけでしかないのだが大真面目であるかのように装い通して上司や相手方を信用させ、後から「あっかんべー」
そういう類の事件が顕著に増えたという感覚がある。
・[5090]
> PC歴の長い客はゲーム会社全般を信用していないので、パッケージを量販店で買う以外の方法では金を出さない。流通にコストをかけているということを信用とみなすのだ。有名人を動画に起用すれば信用するというものでは絶対ない。PCという高い買い物をする中で鍛えられている。PCは別としても、ファミコンの時代に「たけし」とか「ドラえもん」とかで懲りている。Switchのソフトのダウンロード版は、任天堂を信用するから買うのであって、ダウンロード版というものをどこからでも買うということにはならない。
・[5091]
> ゲームの話は明快で、仮に間違ったことが書いてあっても手元のゲームで実際に試せば真偽がはっきりするので、ホームページの作者や運営者の信用を調べて情報を吟味するという必要がありません。
・[4370]
> ゲーム屋の手形なんて信用できるか、現金でしか取引してやんないぞ、という長年の自衛である。作品が発売されて初めて作品を買い、作品を買うという以外の関係はいっさい持たない。これが大前提である。わたしたちはおともだちではない。
・(11月15日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231115/k10014258731000.html
> 客の注文はホールスタッフが取るのをやめて、通信アプリのLINEで受け付けるようにしました。
> およそ1万3000人の客が通信アプリの「友だち」に登録。
通信アプリの会社からのリベートのようなものが、あるんですか。書いてあることの裏に、何が書いてないかを想像しながら読まないとですよ。えー…(てんてんてん)。
・[4222]
> ツイッターのむこうであなたのツイートを読む人を人とも思っていない(数で数えるヒツジのよう!)「〜ことだし〜していきますか」構文のふてぶてしさよ。
・[5088]
> > 停車時間が長いので只見川の景色でも撮りますか
> > しっかし人多いな...
> 「来たくて来たのではない」「やりたくてやってるのではない」というニュアンスになっている。あちらのアプリはそういうふうに、だれでもいいから(どんなに態度の悪い人間でも数にはなるから…数でいいから!)何人をどこへ動員したいですみたいなことをうまく采配するシステムではある。
・[3890]
> > 「たくさん集まってくれた」と中小企業を喜ばせた就職説明会の参加者は、ほとんどサクラだった――。公費が投じられた事業の趣旨や、人材確保に必死な企業の思いを踏みにじる背信行為の実態を追った。
特定の通信アプリを使わなければ利用できないサービスというものは、公共性を喪失している。実質的な会員制の、クローズドでプライベートな事業ということになる。土地(立地の良い物件)から流通(輸送)まで、社会のさまざまなリソースは公共のために使われるべきという前提に立つならば、そこから逸脱した存在となる。ゴルフ場への課税と似た考えで上乗せの課税をしなければ公共というものが維持できないといった考えかたも可能ではあろうと思う。駅前の便利な土地は公有のまま賃借で商業施設に充てるべきで、土地を売却してしまってまったくプライベートな、しかも区分所有で細切れの分譲マンションになってしまうのはあまりよくないといった考えもある。
・[3808]
> 経営に関してはメーンバンクや業界団体の指導によく従うこと。何か特別な努力をすれば他社の数百倍の利益が出るなんてことはあってはいけない。いろいろな企業が共存して企業社会をなすのだよ、ふつうがいちばんだよ。
ほぼすべての飲食店が同じことをしたときに、それは成り立つのか。そのような視点を欠いた施策には共感できません。
・[5011]
> > 小学生向けのゲーム情報誌「てれびげーむマガジン」(カドカワゲームリンケージ)の編集部を訪ねた。
> NHKのニュースでは「ファミ通」が、朝日新聞では(今回のニュースではないけれど)「カドカワゲームリンケージ」が出てくるけれど、あいにくわたしはどちらもまったく信用していない。小学生を組織化して機会あらば(大人になってから)動員しようというコンタンで、ゲーム会社といわば結託して一方的に宣伝(ファンを形成)しようとするものであるなら「メディア(仲介者)」とは呼べない。小学生の言い分をすくい上げて、小学生に代わってゲーム会社とぶつかってくれる「交渉役」であってほしい。適正化に努めていますアピールのようなものをするのは結構だが、あなたがた(出版社)も大きなセカイの中のプレーヤーの1人に過ぎないでっしゃろ(げふんげふん)と相対化して見る態度が必要です。
・[5090]
> いくら文面が丁寧でも、内容や投稿時刻、アカウント名や、あるいはセンシティブな内容でもないのにむやみにID非公開にするといったことなどのすべてから、誠意のない態度あるいはあからさまに悪意のある態度を表面的にだけ取り繕ったような態度というものは見え透いてしまうものです。
きれいに書きなおせば「女性客の開拓」である。「女性客の開拓」と書きさえすれば、それでいいのか。(※問いかけ)
・[5126]
> こんな心理学に誰がした。いやいやいや、心理学というのはそもそも戦争の時代に発達した学問でしょ。
https://arx.neorail.jp/appendix/?A%E5%88%97%E8%BB%8A%E3%81%AE%E8%AA%A4%E8%A7%A3
> ちきゅうがおおさわぎでもカニを紹介するテレ東状態
すべての民間放送がCMを自粛してぜんぶACになったときに、初めて青ざめたり慌てたりするという国である。問題ない。
・[5051]
> > 前橋市では終戦10日前の昭和20年8月5日から翌日にかけてアメリカ軍の空襲を受け、535人が犠牲となりました。
> のうのうと“敵機”が前橋市上空まで侵入するとはどういうことだと&どこを飛ぶんだと、そんなことを地図を思い浮かべながら聞く。そのまま「ひるのいこい」に突入する。
> > 憧れのハワイ航路
> > バイバイハワイ
> > 学園天国
> 聞いたものが順不同でごちゃ混ぜになる。青春は1円玉で消費税(※七五調)「前橋空襲」ハロー?「ハワイ航路」。おたよりを読み始めるのが5秒ほど遅れた感じがあった土曜日の「ひるのいこい」である。
・[5070]
> じぶんたちがハワイを奇襲したからって、敵が必ずハワイのほうからしか来ない(=横須賀さえ堅固に守ればすべてを守れる!!)などと、疑いもせずに信じこんでしまうのである。これでは14歳どころか、まるで7歳のマインドである。じぶんがつついた穴からしかヘビは出てこないと信じきっているというか、もっと何も考えていないのだ。あるいは穴から顔を出したときだけセカイが見える。穴の中に頭を隠せば絶対に安全と信じきったまま蒸し焼きになる。竹やりとバケツでなんとかなるとはこのことだ。
・(2023年11月11日放送)
https://www.nhk.jp/p/sunshine/rs/ZYKKWY88Z9/episode/re/9NZGK37JK8/
> ジョウニ・ミチェル未発表特集
> ユー・ターン・ミー・オン・アイム・ア・レイディオ(フォー・ザ・ローズ・アーリー・セッションズ)
…ユー・ターン・ミー・オン・アイム・ア・レイディオ!(棒読み)
https://www.cospa.com/images/items/pc/34150.jpg
※画像はイメージです。
ラジオの(多く、男性の)DJに向かって「あなたたちはこういう『女』がいいんでしょ」と愚痴る歌。(※個人の感想です。)バラカンさんの日本語の、あとちょっとだけ融通が利かないところというかなんというか、なんでもかんでも「皮肉」「冗談」のどちらかの単語だけで間に合わせようとしてしまうのはいけません。それをバラカンさんはわかっておられるので断言調でなく「ではないけれど」「みたいな」のような表現を添えてお使いになるけれど、「おちょくった」とか「からかい気味の」といった日本語が出てくるともっとよかった。(※個人の感想です。)
・[3547]
> > 昭和29年4月、NHKが中心となり一般から公募したもので、正式には決められていませんが、「菜の花」とされ広く親しまれています。
> 昭和29年は1954年です。
> > 正式には決められていません
> > 正式には決められていません
・[4670]
> 変なものを変な決めかたで決めてしまい、それでよしとしてしまう「わたしたち」であった。
・[3461]
> 新聞の投書欄で「お答えします」というのは昔からあります。しかし、そのためには投書の側がよほど質が高くなくては「話にならない」ですよねぇ。
新聞の投書欄というものが、まだ公共性を帯びていたころ(※過去形)、新幹線での急病人のためにパルスオキシメーターを常備してほしいというものがあり、これに応えるかたちで実際に配備されたということがありました。いまの新聞に、そのような公共性が担えるとは思えない。すごく○か×か。
・[3312]
> > 古代ローマの市の中心に設けられた公共広場〈フォルム〉に発し,
> > 転じて今日では,広く公共的討論の場や,集団的公開討論法の一種を意味するようになった。
> > 現在では,裁判所や新聞の投書欄その他,広く公共的討論の場を意味するほか,
> > 出席者全員が参加して行う集団討議法(forum discussion)をもいう。
> > この集団討議法はさらに,一人の講師による講義のあと全員の討議を行うレクチャー・フォーラムlecture forum,
> > 複数の代表者による討論のあと全員が参加するディベート・フォーラムdebate forum,
> > さらにこれに資料提供の役割をもつ専門家を陪審させるコロキー・フォーラムcolloquy forum,
> > あるいは映画,スライドなどの映像を素材とするフィルム・フォーラムfilm forumなどに区分されるが,
> > 現実の形態は明確ではなく,他の集団討議法との境界も必ずしも画然としたものではない。
じぶんなら担えるなんておこがましいことは思っていません。だからというわけではありませんが、いまや誰も、そんな大役は担えないのではないかという一種の絶望があります。(※個人の感想です。)
あえていえば、「このフォーラム」は「一人の講師による講義のあと全員の討議を行うレクチャー・フォーラム」の「講義」の部分だけを淡々と行なうようなことにしてきています。読んだ後の「討議」は、めいめいで行なってくださいとしかいいようがありません。もっと○か×か。
・[5110]
> > 地雷撲滅チャリティーソング
> …地雷撲滅チャリティーソング!!(※白目)
・[4693]
> 「昭和時代」にあって、せいぜいふつうの作家やふつうの大学教授に過ぎない程度の、まあ大金持ちというわけではぜったいにない者が、接待などと称して(げふ)ご相伴にあずかるとか、よほど気に入ったから自腹(げふ)でも行こうという料亭や天ぷら、それにすしなどの店が、どの程度の豪奢品いわゆる「ぜいたく」に相当するのかといって、その実、確かに「ぜいたく」ではあるけれど、現代のわたしたちが例えば(学生時代からずっと鍛えている人がするという意味での)本格的な登山をするとか、そのくらいの出費や覚悟、それに世間体ではなかったろうか。その天ぷらが接待だとして、その接待は許されざるものかといえば、そんなことは決してなかろうし、だからこそ気軽といえば気軽に(自慢するというふうでもなく)エッセーに書かれてくるのだ。著者自身は「庶民」を自称しすらする。現代っ子が思う「庶民」と、どのくらい一致するものなのだろうか。
・[4638]
> > 個人と国家の関係を考える社会契約説の授業で「国に戦争へ行くよう命令されたらどうするか」と尋ねると、「仕方ないから行く」との答えが増えてきたという。
> じぶんは庶民だから、そのような社会情勢になれば逆らいようがないという絶望を表明したものと受け取ってほしい。目先の単元「社会契約説」よりはるか手前から話をくみとってほしい。生徒のほうがよほど単元を横断して総合的に俯瞰している。
・[4960]
> 『じぶんらは庶民』(学校でいえば「うちらは生徒」)という態度の危ういことよ。わたしたちの社会はまことに過酷・苛烈なもので、じぶんの能力に関わらず、この社会を成立させることへの貢献を求められるのだ。(そんな能力は持たないよという意味のある)「庶民」を自称しておれば何もしなくていいとは、されないのであった。
・(2022年7月8日)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13264488453
> 各々で考えて下さいを、めいめいで考えて下さい、って言ったら、それどう言う意味ですか言われました。皆さんも判りませんか?
「皆さんも判りませんか?」への回答になっていない回答しか投稿されていない。質問が正しく読まれていない。「それ『は』どう言う意味ですか『と』言われました」という文の「は」と「と」を意図的に欠落させることで、AIをだますことができるというか、(ツールを介してAIで回答を生成して自動投稿してポイントを稼ぎまくるようなアカウントを含め)AIをあぶりだすということをしているとは思う。まんまとひっかかってるAI、という構図が見えてくると、これはこれでにんまりできる。「めいめいで考えて下さい」みたいな古風な言い回しを使える人が「それどう言う意味ですか言われました」としか書けないはずはないので、これはわざとこのように書いたと見るべきである。(棒読み)
※日本語の練習のために機械翻訳を補助的に使いながら回答してる留学生や実習生のような人がひっかかってしまったとすれば、ちょっと申し訳ない感じ。(※ちっとも申し訳なくなさそうな顔で!!)そんな利用者がいるとしても、それはサービスの趣旨から外れた“想定外”のことだから、どうでもよい。
・[5093]
> 「格助詞の使い方」がぜんぶ持って行った。
> > 日本生まれ・育ちで日本語を第二言語とする (JSL) 小学4〜6年生 (n=122)
> > 同学年の日本語モノリンガル (Mono)(n=427)
> > 各格助詞の複数の用法や語順交替アイテムなど
> 「格助詞の使い方」という言葉をわざわざ使って(それだけ「間違えやすい」「難しい」という扱いで)指導したり注意したりするのは外国人に日本語を教えるクラスの中級くらい。(※初級にも格助詞は出てくるが「格助詞の使い方」という言葉をわざわざ使ってということではない。)高校の国語の「古文」でも「格助詞」は扱うが、じぶんで書いたりしゃべったりするわけではないので「格助詞の使い方」とは言わない。総合的に判断して母語話者の会話に「格助詞の使い方」という言葉は出てこない。
そのセリフは原作者の強いこだわりなのかなんなのか知らないけれど、セリフとしてかなり無理があるし、キャストさんも無理な感じで演じておられた。(※個人の感想です。)
・[5112]
> クレアさま!
> 「CLAIR(クレア)について」
> …クレアさまって、そのクレアさまなんだよね。年賀状じゃないよね。
・(♪〜)ユイミータンの唄
https://www.meiji.co.jp/meiji-shokuiku/know/recipe/common/recipe_pic/06_7.jpg
https://youtu.be/8YVroYzNz60
クレアさまなんだから、こんな感じのを歌えばいいのに…歌えばいいのにっ。(ぼそっ)バラカンさんの話の続きとしては、「ジョウニ・ミチェル」は少し独特なコード進行やメロディーの曲を自由に作るひとなので、演奏してくれるバンドがなかなかなかったという。でも、いま聞いて特に奇妙な楽曲だとは、思わないと思うんです。同じ日にかかった曲で、キース・ジャレットのピアノのような感じが延々と続くものがあった。それはつまり、キース・ジャレットみたいな修練を積んでいなければ演奏できないということ。演奏がしにくい、逆にいえば、いかにもな曲しか演奏できないようなバンド、ひいては、いかにもなバンドという形式(編成)での演奏しか(レコード会社とDJや評論家を含めた『業界』から)認められていないといったことが、音楽の表現を狭めてきたのだと。(※倒置法)打ち込みの時代になってからのひとには、打ち込みさえすればよいので演奏者を探しあてる必要はないという自由がある。早すぎたひとだったのかもね、という気持ちになったです。(※個人の感想です。)
・(♪〜)「キース・ジャレットみたいなピアノ」とは
https://youtu.be/9SBNRjh8oC4
https://blog-imgs-77.fc2.com/b/o/c/bochibochikuroshio/nankiDSC_0043_20180510230419445.jpg
https://ml.naxos.jp/artist/215380
> Railroad
> Shani Diluka
同じレコード会社のクラシックのほうの売れ行きに影響してはいけないからポピュラーのひとがピアノの弾き語りなんかしちゃだめだといったことにされていたのだとしたら、とんでもない時代であったとしかいえない。(※白々しいまでの仮定形)
・[4155]
> ヤフーはJRですか。
・(11月17日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231117/k10014261241000.html
> KDDIやソフトバンクについても、旧電電公社や旧国鉄の資産を引き継いでいるなどと反論
公社がつぶれかけたら民営化して、それがつぶれかけたら国有化するんですよ!(※白目)「CLAIR(クレア)」は(一財)自治体国際化協会の略称です。
https://m.media-amazon.com/images/I/71m6QSQTTBL.jpg
・[3732]
> リアル「かるたちゃん」本気出すの巻
・[3817]
> トウモコロシの粉を使った有名なスナック菓子の箱を小脇に抱えてください。
https://www.meiji.co.jp/meiji-shokuiku/know/recipe/06_7/
> 中国料理でおなじみのコーンスープです。漢字では「玉米湯」と書きますが、カタカナのほうが愛らしくて親しみやすく、子どもたちも覚えやすいので、あえてカタカナにしています。コーンのほかに卵や鶏肉、野菜も入って栄養価が高く、とろみがついているので体も温まります。
・きょうは青ヶ島でユイミータン。(11月14日)
http://www.aogashima.ed.jp/lunch.php
> 今週から一気に気温が下がってきたので(略)
> 中国料理でおなじみのコーンスープで、コーンの他に卵や鶏肉、野菜も入っていて栄養たっぷりです!
「明治」の説明文そのままというか、そもそもの東京都文京区のレシピの説明文そのまま。青ヶ島は東京都ですからね。(※東京限定情報)
http://www.aogashima.ed.jp/content/lunch/image/20231114.jpg
> 小松菜のごまマヨ和え
ユイミータンを探しても小松菜が出てくる。まさに小松菜ですねとしか…(てんてんてん)。
・[4651]
> らじるらーじる!(※11月14日放送)ラピスラズリやタージマハルの発音で「らじるらじる」で1語の固有名詞を発音すればいいのだという“正解”にご納得いただけないご様子。(※敬語)そういう説明しにくい言語上の感覚は早ければすごく早く獲得しているものだから説明しにくい。(※トートロジー)遅くとも小学校の高学年の国語の時間に日本語の詩を堪能して体得する。俗にいうカムチャツカのお時間ですよ。…カムチャツカねぇ。(※遠い目)わたしたちの「国語」のお手本となる教科書や新聞で、外来語や人名がぜんぶカタカナで書いてあって頭の中で空中分解するんですな。
・[5103]
> 俗にいうカムチャツカのお時間ですから、「ポカパマズ」くらいで、どうということはない。
そういうことなので「ユイミータンの唄」である。「らじるらじる」という音を聞いて即座に「ラピスラズリ」と「タージマハル」をカタカナで連想するのが母語話者である。連想してしまうのだからしかたない。…英語のタイトルをぜんぶカタカナで表記するほうがわるい!(※なすりつけ)
・[4557]
> > 表1 文の不自然さに関する原因
> > 副詞が大げさ
> > 副詞がくだけている
> > 副詞が硬い
> > 例文の意味から考えて、そもそも副詞は入れにくい
> > 例文が情報不足で文脈や場面・状況などが想像しにくい
> 「長い」文や発話にならないと副詞の出番はないし、副詞のはたらきも定まってこないので、副詞を選び取ることもできない。逆に、「長く」なりさえすれば間投詞的に副詞を使う余地が出てくる。○か×か。同時に2つのことを尋ねておいて「○か×か」も何も…(てんてんてん)。
・[4526]
> > フランス語のシュルレアリスム(surréalisme)の略語
> 教授が愛した世界一くさい缶詰とレンズ豆の法則がコラボした。(違)
http://tw-cai.blogspot.com/2015/10/blog-post_14.html
> トウモロコシは中国語でで「玉米」というのですが、これはあくまで標準語に過ぎません。16世紀に中国に導入された後、各地にトウモロコシが普及する過程で米や麦といった既存の穀物の名称を使った新しい名前が付けられ、そのまま各地で定着してしまいました。統計によるとその数100種類以上。中国にはトウモロコシを現す単語が100種類以上あるということです。
※原文ママ。
> しかもそれぞれにおそらく表記のゆれが存在します。
中国にトウモロコシが伝わった時期と、ユイミータンというレシピの確立とは、どのくらい時代が違うのか。(※問いかけ)もっともらしく情報を並べているけれど、ユイミータンがいつからあるのかは、書いていなかった。(※恐縮です。)トウモロコシの呼びかただけがばらけていてレシピにはばらつきがなさそうという変な状況がある。「クリームコーン缶」の流通より前からあるとは考えにくい。近代の中国という国が成立し、出版や放送を通じて完全に同じレシピが国中に一気に広がるという下地がなければユイミータンはありえない。ここからここまでぜんぶ○か×か。(※言いかた)
※「クリームコーン缶」:コーンをクリーム状にしたものであって、乳製品は入っていない。
※(歴史的にも近代的にも)中国の国内で人の移動は自由ではない(法律のみならず物理的な制約も多い)から、人の移動によってレシピが広まるということも、ほとんどなさそう。だからこそ中国では方言が激しいのだ。(※トートロジー)
・(2022年6月17日)
https://cms1.ishikawa-c.ed.jp/ushite/blogs/blog_entries/view/37/55efc2be185cf3c53ff15f48bfd869cb?frame_id=70&page_id=22
https://cms1.ishikawa-c.ed.jp/ushite/wysiwyg/image/download/1/3531/big
> ユイミータンはどこの国の料理なのかと話題になりました。
> 中国のたまごとコーンのスープです。
…WYSIWYG! WYSIWYG!(※ソコジャナイ。)
・「日本人だけ大好き、コーンスープの謎 欧米では影薄く」(2020年1月18日)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54164630Y0A100C2000000/
> コーンスープは「洋食」なので、欧米から来たものだと予想されるが、実は欧米ではほとんど見かけないという。駐在員の妻としてニューヨークとロンドンに住んだ経験のある友人によれば「英国、米国どちらのスーパーでもコーンスープの缶や粉末はほとんど見かけませんでしたね。飲食店でもメニューに載っているのを見た記憶はないです。米国のカジュアルな店ではベーコンやタマネギも一緒に入った『コーンチャウダー』がありますが、日本のコーンスープとはまた別物ですよね」とのこと。
考えたり調べたりする前から「洋食」と断言するのはいけない。▼「マヨネーズは和食か洋食か」については[5039]、▼「カステラは和菓子か洋菓子か」については[3485]を参照。わたしたちが漠然と信じきっている『和』というアイデンティティーが崩壊する。(棒読み)
> 開国後の日本では西洋の要人を招いての晩餐会(ばんさんかい)が行われ、その公式料理としてフランス料理が採用された。こうして日本に入ってきたフランス料理の「ポタージュ・リエ」の技法を使ってコーンスープ、コーンポタージュが作られ、一般的な料理として広まったのではないだろうか。
日本で考案された「コーンスープ」が戦争を通じて「ユイミータン」になっていったのではないか。日本人しか喜ばないような『中国料理』を、何らかの伝統料理(民族料理)だなんて思っちゃいけないのではないか。戦前に進出した日本人が言うとおりに作っただけの料理なのではないか。えー…(てんてんてん)。
https://img-cdn.jg.jugem.jp/44b/78135/20110703_1928889.jpg
https://www.bandai.co.jp/candy/published/bnc_files/product/36/000000175236.jpg
> ポップアート・アーティストのアンディ・ウォーホルの絵に描かれていることで有名な、米国で人気の缶スープメーカー、キャンベル・スープでも一応コーンスープを扱ってはいる。が、あくまでもたくさん種類があるうちの一つで、米国人に人気なのはクラムチャウダーやトマトスープなど。
> 例のウォーホル作品には「クラムチャウダー」「チキンヌードル」「オニオン」など種類の違う32個のスープ缶が描かれているが、その中に「コーンスープ」はない。そのくらい存在感がないらしい。
コーンなんて家畜のエサだと見下しながら、日本には人間の食糧として(も)売りつけるんですよ。(※音声を変えています。)
> 大部分が飼料用とバイオエタノールの原材料だ。
日本に売りつける分だけ特別な栽培をしているわけなど、あるはずがない。もっと○か×か。
※「売りつける」:国と国の間で話がついていて国が輸入する。民間の話ではない、の意。
・[5121]
> このフォーラム「○か×か」とは、仮説を立てて情報探索を行なうよう促す指示の文。情報探索の結果、そうではなかったとわかることもある。それでいいんです。答えはご自身でお探しください。「このフォーラム」に「答え」そのものを要求しないでください。
・[3793]
> 米国余剰農産物見返資金あり
・[4099]
> 「米国余剰農産物見返資金」どこから出てきたし!!
https://baseec-img-mng.akamaized.net/images/item/origin/7362cb71ee6dc0d1a78ac4570dd534f5.jpg
ありがとうございました。…ありがとうございました!(※無駄に復唱)
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