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(約6000字)
[3898],[4558]の補足です。
・[3898]
> 動画のアップのために入力されるテキストの文字数が極端に少ない
> じぶんの言葉で書かれたと認められる文字列が皆無
> 目の前に書いてある文字列(ゲームソフトのタイトルやYouTubeでありがちな動画のタイトルや説明)を見よう見まねで書き写し
短いとか、何かを真似してるという初歩のたどたどしい段階では、副詞がほとんど使われないという状態になりますから、何か難しいことや複雑なこと、繊細な気持ちなどが、文としてはまったく表出されないということが起きてまいります。
・[4496]
> あくまで作品を見ないで提供素材だけから特徴をつかんで模写…できるのかっ。
https://www.hai-furi.com/news/SYS/CONTENTS/2016030416215823108861/w770
↓
https://fastly.4sqi.net/img/general/width960/484534130_aIBXyZ9o0uuTpIRlRvE5XI3C8WtgnXGOEQOSIUQCKJc.jpg
> …画伯とはいわないけれど、店の人がじぶんの学生時代の絵柄で模写したふう。せっかく描く技術をお持ちなんだから、デフォルメじゃないのを模写しないとだめでしょ。すでにデフォルメされてるのを模写するとさらにひんまがる。特徴が強調されていて、見る分にはわかりやすくされているのがデフォルメであるが、だからといって、それを見て特徴をつかもうとしてもつかませてくれないのがデフォルメだ。孫コピー、ダメぜったい。お手本やサンプルはなるべく“源流”から採取しようぜよ。
真似というか、断片の切り貼りだけで何か難しいことや複雑なこと、繊細な気持ちなどを表現しようというのは、かえって難しいことで、それができるならすごい専門性ですぞ、の意。文章に限っていえば、じぶんの言葉で思う存分、書けるようになってからでないと、切り貼りだけで何か表現しようという高度なことはできませんよ、ということでした。
・[3238]
> > カトウさん:僕は専門学校で講師をしていたこともあるんですが、学生の中にはサブリミナル的に、短いカットを挿入したがる人もいます。しかし、意味もなく入れているだけだとまったく伝わらないこともあります。短い尺で一瞬だけ入れる場合は、入れる理由のあるカットじゃないとダメですね。短い映像の場合、画面内の情報量が増えると認識できなくなるんです。なので、入れる理由のあるカットじゃないとダメだよと教えていました。
・[4479]
> 盛り上がってまいりました。
・[4226]
> (「上沼垂車でびわこライナーを運行していました」という)事実としては何らの特筆性もないから、特筆するのであれば、あなたの気持ちを(『JR西日本の管内で見る上沼垂車は新鮮ですな。…本当ですな!』みたいに)書かないといけない。単なる事実を書いただけで気持ちが書けたと思いこんではならない。気持ちそのものを書かなければいけないのだ。
・[4558]
> > 日本語の様態副詞と結果副詞を中心として
> > 「しょせん」と「どうせ」をめぐって
> > 副詞の視点から見た感情を表す音象徴語
> > 時態副詞と時態語気詞の呼応
> > 副詞と視点
> (話者が、じぶんの)視点、時間、感情を(じぶんのことながら、客観的に)認識して、それを積極的に表現しようとしなければ出てこないのが副詞だともいえます。何か言われたら即座に言い返すという子どものけんかのような言語環境しかないところで育つと手遅れになると心配されます。日本語の会話しかできない、何か書くといっても、手紙やSNSしかない、そんな貧しいことでは日本語が育っていきません。
こちらの記事は14000字あるのに、その中の特定の箇所の一続きの140字しか読まれないという現状があるけれど、それはそれ。書き手としては、じぶんの力不足でうまく書けないに過ぎないのに、それをごまかすように、相手にあわせてやさしく書いているんだといった理屈でじぶんを正当化するようなことがなかったでしょうか。そんなことでよかったのでしょうか&こんな失礼なことがあるでしょうか。書き手としては全力を尽くして、いくらでも長く書くべき。余談はいくらでも余っていてよいけれど、足りないということは絶対にあってはいけないという考えです。とにかく書いてありさえすればブラウザの中でも全文検索ができる。問題ない。(棒読み)
・[4403]
> > トトロがサツキたちに手渡したササの葉にくるんだお土産にはブナ科のドングリがギッシリ詰まっていた。それは、クリと長短各種のドングリであった。サツキたちは、これを庭に植えて例の「ドンドコ踊り」によって芽吹かせることに成功する。その後、電報を届けに来た郵便配達のおじさんがサツキの観察スケッチをチラリとのぞくシーンがある。そこには、画面左より背の高い順に「クヌギ」「シラカシ」「コナラ」「マテバシイ」とはっきり樹名が記されている。(C-671)いずれも関東以南によく見られるブナ科の植物である。マテバシイのみ九州を中心に分布するが、このドングリは最も美味しいそうだから、美食家のトトロが種を取り寄せ、好んで植えていたのかも知れない。
> オタクでサブカルで武蔵野で所沢な文章
> オタクでサブカルで武蔵野で所沢な文章
「オタクでサブカルで武蔵野で所沢な文章」と形容してほめる場合もあればけなす場合もあり、ここでは大いにけなしているのであった。もちろん、そもそものオタクもサブカルも武蔵野も所沢も、それぞれを認めた上での表現だ。寄せ集めなのがいけないといってけなすかたちである。
・[3170]
> 「楽しいから!」というところを不自然に隠さず、もっと自然に書けばいいのにと、あくまでいまとなっては思われるのではないでしょうか。
・「一橋大学留学生センター紀要」
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/17612/ryugaku0001200590.pdf
> 日本語学習者は日本語を話し、書くときに、文法上大きな間違いがなくても、唐突さや違和感があるとよく指摘される。日本語能力試験1級に合格し、文法や読解など高いレベルに到達しても、言語の運用能力、つまり、産出レベルが今一歩である、という現状が海外の日本語教育における大きな課題であろう。
同じことが母語話者の『国語』教育でも起きてしまっていないかといってゾッとするところ。(※体言止め)
> 中国の日本語教科書には例文が不自然なものが多いと言われている。
それはさすがに…(てんてんてん)。中国語の話者にとって学習しやすいことが第一ですから、そこだけを言ってもねぇ。(棒読み)
> 教科書は、生の日本語に触れる機会に乏しい海外の日本語教育では日本語のインプットの土台といえる重要な存在である。中国で出版されている日本語の教科書は、中国の国情に合っていて、学習者が理解しやすい長所を持っている反面、例文が日本語として不自然であるとよく指摘される。中国の日本語学習者の学習スタイルは暗記中心であるため、例文の不自然さは日本語でのコミュニケーションに負の影響を及ぼしかねない。にもかかわらず、中国の教科書では、暗記する例文の自然さの検討が未だ欠けていると思われる。
じぶんでおっしゃる。学習がとん挫したら困るので、その不自然さは、きっと必要なんですよ。えー…(てんてんてん)。
> 河野(1994)によれば、中国人向け上級者教材の難しい語彙として考えられている84語のうち、副詞が45語で半数以上を占める。また、上級学習者に対しては、語彙の説明は「書き言葉」「話し言葉」の区別しかなされておらず、この区別に収まらない、かなり詳細で具体的な説明がさらに求められると指摘されている。
> 副詞は修飾語であり、実質語と機能語の中間に位置する。そのため、語彙的な性格に加え、陳述副詞に典型的に見られるように文法的な性格を持ち、文の前後の要素との関わりが深い。さらに、文体的に微妙なニュアンスを帯びることが多く、教科書の中で、そうした副詞の多面的な性格を明瞭に説明することがまだ十分にはなされていないと思われる。
日本語の母語話者が「河野(1994)」をじぶんで読むと読み飛ばすようなところであったりはしないか。(棒読み)なお、▼「語彙的な性格」は「名詞のようなはたらき」、▼「多面的な性格」は「出現箇所での局所的なはたらきと文や発話全体での大域的なはたらきの両方を持つこと」というとわかりやすい。どのような副詞を選んで使うかということはもとより、副詞をどのくらい使うか、あるいはほとんど使わないかということも、文や発話全体の「トーン」を左右するのである。ここでいう「トーン」とは「調子が強い」「調子が弱い」のほかに、「積極的な言及」「消極的な言及」や、「全体として(結論として)肯定的」「全体として(結論として)否定的」といった、話者のさまざまな態度や考えを実際に表明する機能(において表明された方向性)を指す。
> 表1 文の不自然さに関する原因
> 副詞が大げさ
> 副詞がくだけている
> 副詞が硬い
> 例文の意味から考えて、そもそも副詞は入れにくい
> 例文が情報不足で文脈や場面・状況などが想像しにくい
「長い」文や発話にならないと副詞の出番はないし、副詞のはたらきも定まってこないので、副詞を選び取ることもできない。逆に、「長く」なりさえすれば間投詞的に副詞を使う余地が出てくる。○か×か。同時に2つのことを尋ねておいて「○か×か」も何も…(てんてんてん)。
> 表中の「例数」は、教科書の中に副詞を説明する時の例文の数を指す。
「例数」などという語をその場でつくってはいけない。「教科書の中に副詞を説明する時の例文の数」は正しい文になっていない。▼ARXの「日本語がおかしい」でいうところの「番線数」「列車数」「定員数」を「おかしい」とみなすのと同じ理由である。
> 副詞を例文毎に教科書の副詞を選ばなかった人数を示し、平均値を計算し、その平均値の降順で副詞を並べた一覧表になっている。
▼「なんとか」の例文は(用意した教科書の中に)8件あって、理由の説明のために8件ぜんぶ挙げた協力者(判定者)がいた、▼「ずっと」は10件あるが、協力者が挙げたのは最大で8件だった、と読めばいい表なんですか。(※ジト目)その副詞の難しさというか説明の面倒くささを、説明のために挙げた例文の数の平均値で示そうということですね。すんごいわかりました。(※過去形)
・[3976]
> なんでもかんでも「なになに数」と書くのは「なんばぁおぶなになに」という英語の発想だろうとは思うので、これはハノイとかで書いてるのかしら。英語でけんかできないと本件ゲームに意見することなどできないと思えてくるわ&あたしには無理だわ。(棒読み)このフォーラムに日本語でいくら細かく書いても、それを読む力を持つ人はメーカーにはいないと思うわ。
再び「一橋大学留学生センター紀要」です。
> 習得が困難な副詞
> 表2の中の「平均値」が「11.00」以上の副詞
> 一時に・どうのこうの・一向に・けっこう・一口に・近ごろ・もうすこしで・別に・総じて・だれもかれも・なんとなく・とかく/まず・なかなか・このごろ・あまり(過度)・もしかすると・とうてい・そっくり・一時・つい(時間)・なぜかというと・なんとか・だって
読んだり聞いたりしてわかるかどうか。母語話者でもわかっていない(雰囲気だけで聞いたり真似して使ったりしているが理屈を説明できない&説明を求めると考えてもみずに怒る!)と疑うべき。ここで判定している協力者は院生だ。学部卒が最終の人との違いは、卒論に合格しただけでなく、院試にも合格したということである。もっとも、それはいかなる職場への就職でも同じく問われるところであるから、その意味ではいわゆる大卒程度という国語が保証された人という保証しかないのであった。怒らないで説明を尽くす態度があるのが院生だが(そうじゃないと修論が書けていかないが)、これは院生でなくても持っていたい態度である。
「だれもかれも」を使ったときに、どういうニュアンスなのか、話の内容のどこらへんを強調しようとしているのか。それは難しい。「なぜかというと」をわざわざ使って説明するときに、どんな気持ちがあるか。それも難しい。「なんとか」に至っては、まず品詞がわからないだろう。えー…(てんてんてん)。
> 習得がやや困難な副詞
> 「平均値」が「5.00」以上の副詞
> なんと・どんなに(か)・それほど・とても・どれだけ・さすがに・すぐ・道理で・ひょっとしたら・そんなに・さぞ・大して・いずれにせよ・すこしも・さっそく・単に・まるで(否定)・一概に・だいぶ・ぜんぜん・そう
うーん。…うーん! 「道理で」は古風。子どもの国語が、先生や保護者より、お年寄りから直伝される度合いが高いなどの地域性もあるかもしれない。あるいは「道理でカリーが食べたくなるといふ訳だ。」みたいに書いて銀座を気取るというのか。ぜんぜんわからない。(キリッ
・[4382]
> 銀座へゆこうよ。…出ました「銀座へゆこうよ」に唄えば(違)昭和時代も真っ盛りです!
・[4110]
> 「なになにの松」といえば立派な感じで、それほどじゃないと言いたいときに『なになにの小松』(※「小」に傍点)と茶化す表現があった。昭和時代である。
・[4555]
> 2話で出るか9話で出るか245話で出るか焼きそばパン。(※詠嘆)
https://www.meiji.co.jp/foods/curry/ginza/story/
> 山田君(鈴木君)登場
えー…(てんてんてん)。
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