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(約8000字)
[4610],[4611]に続いて[4608]などの補足です。
※思いのままに追記していったら長くなりましたので、あまり考えずにざくっと記事を分割しました。過度な期待はしないでください。
・[4607]
> きょうは軽井沢でアマチュア無線。
・[4608]
> 思ってもいない番組で「ブラタモリみ」に遭遇して小躍りする。(※恐縮です。)
> この話が、どう「自由研究 数学」になってゆくのでしょうか。
・[4603]
> 今年になってから特に増えた検索に「自由研究 数学」というものがあります。数学というからには中学生以上なんだなぁ。(※詠嘆)
・[3643]
> 文章を読んで以下の問いに答えよ。
・[4610]
> > 昆布が人気の理由
> 乾燥させて流通できるから。たくさん流通していて安いから。食べ慣れているから。ほかの具よりなんとなくよさそうだから。…選べ!(棒読み)
・(2020年12月4日放送)
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=26505
なんと「一乗谷」で昆布だし。もういちどいいましょうか。きょうは一乗谷で昆布だし。「日本海交易」「三国湊」というキーワードとともに「勝山館」が出てきます。そういういちばんおもしろいところが視聴するまでわからないというのはいかがなものかね。えー…(てんてんてん)。
・「勝山館(かつやまだて)」のイメージです
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B1%B1%E9%A4%A8
http://www.town.kaminokuni.lg.jp/hotnews/detail/00000285.html
http://www.town.kaminokuni.lg.jp/hotnews/files/00000200/00000285/dji_0010.jpg
> 「この館にアイヌと本州人が混住していたことはほぼ明らかといってよいのではないだろうか。」(「日本海と北国文化」『北国の社会と日本海』小学館刊)
> 20年以上行われてきた発掘調査により(略)
> 勝山館跡は、日本海北方交易や中世の生活様式など、「北の中世」を語る重要な史跡として、中学校・高等学校の日本史の教科書などにも紹介されており、興味尽きないテーマを与えてくれる史跡として大きな関心を呼んでいます。
「勝山館」についてほとんどわかっていなかった時代の教科書はつまらなかった。○か×か。(棒読み)
https://www.pa.hrr.mlit.go.jp/minato-oasis/point/1239/
> 旧森田銀行本店(登録有形文化財)
> 北前船が繁栄した時代から、豪商であった森田家が大正時代に設立した銀行で、福井県最古の鉄筋コンクリート建造物です。
森田家という名前を見ただけでご満悦のわれわれ…じゃなくて。それより少し前の時代が「一乗谷」であります。…『であります』!(棒読み)一乗谷がそのまま水田になっていたところ、初めて耕運機を入れようとしたときに…ガツン!(※擬音)まさに「シャベルの先がかたいものに当たった!」([3411],[4609])であります。…『であります』!(棒読み)
・(2002年)
https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004250013_00000
> (この動画は、2002年に放送したものです。)
> 現在は武家屋敷などが復元されていますが、発掘されたのはまだほんの一部です。
・(2019年2月2日放送)
https://www.city.fukui.lg.jp/kankou/kankou/jouhou/buratamori.html
https://www.nhk.jp/p/buratamori/ts/D8K46WY9MZ/episode/te/RJPP9YGJN4/
> ▽恐竜が出迎える福井駅から鉄道で一乗谷へ!
…一乗谷で昆布だし!(※真っ赤)不滅の城マスター(違)はいきなり「一乗谷ツアー」といってとことこ走っていくけれど、福井駅から列車でとことこと向かうところから始まるブラタモリ。(※体言止め)ただ、江戸時代になってからの北前船の話と一乗谷の時代との話が頭の中で混ざってしまう。一乗谷は何市ですか。えー…(てんてんてん)。(※恐縮です。)
・[4610]
> 縄文時代に諏訪が云々というときの富士山の姿は…(てんてんてん)。
> 富士山の高さが2,700mしかなかった。諏訪湖の北側からどのくらいに見えたのか。
諏訪湖の北側にたたずんで現在の地形の模型をのぞきこんでも、ちょっと違うのであったー。縄文時代(の、ごく初期)の富士山の高さが2,700mしかなかったということは抜きにしてもですね(しかじか)地形の模型は地図でいうとどういう「図法」なんですか。えー…(てんてんてん)。(棒読み)
・[4603]
> 彦根城を標高(海抜)で紹介されてもピンとこない。
一乗谷の東側の山の標高が「450m」で、離れたところで新たに発見された山城跡のある山(福井市赤谷町)も「450m」(※いずれも番組内で紹介される大まかな標高=字幕なしでナレーションのみ、出演者のセンセイが言うわけでもない)。福井平野がどのくらい平たんで、一乗谷は海からどのくらいの距離なのかとか、その場ではよくわからないまま、とにかく標高は「450m」という。一乗谷の(城下町の)『GL!(かっこかり)』に対する「千畳敷」の高さというものを(ぐぇ)しつれいしました。城下町から山城に上がれば、それは東京タワーより高いところから見晴らしたことになるのかとか、そういうところへの興味を数字で確かめていこうという態度が大切です。(棒読み)…うわあぃ『GL!(かっこかり)』とか言うなぁぁぁ!!(※エコーはいりまーす。)
http://asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/010_about/spot11.php
> 一乗谷から東に見える山は、標高475mの一乗城山です。山頂には、有事に備えての山城、一乗谷城が築かれていました。
> 千畳敷は、山上御殿群の一画で、山の斜面を削って平坦な地を造っています。ここでは、列状に並んだ大きな礎石(そせき)を見ることができます。千畳敷付近の宿直跡(とのいあと)からは、周辺の山城のほかに福井平野や三国港、日本海を見渡せることも可能です。
実はさほど遠くないので『見渡せる』という。いわば「福井市内が一望できる」のひとことで片づけられるレヴェル。えー…(てんてんてん)。
・…うわさのARXでキミもマスターだ!(違)
https://arx.neorail.jp/appendix/#%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%AE%E5%BA%83%E3%81%95
> マップの広さ
> 描画可能な範囲は視点(カメラ)から「5km」先まで:一望できないほど広いという定性的な言いかたもできる
> マップの広さはかなり広いと思ってよい
ブラタモリ「一乗谷」の回で提示される「一乗谷」の街並みの想像図は縮尺がおかしくありませんか。(※ジト目)とはいえ「広〜い!」という感想を抱かせようという演出には共感するところである。主観的に言って広い。それは広いということだ。(※トートロジー)
※福井平野が一望できるといえば20kmほど遠望していることになる。ここで引き合いに出した「マップの広さ」とはPCゲーム「A列車で行こう9」のものであるが、このゲームで描画できる(ゲーム内の距離の定義でいう)『5km』は、現実の20kmくらいに匹敵するという感覚があったことをいうものである。だからゲーム内の建物などを「1:4」に小さくしてくれるとファインスケールになると思ったんです。(※音声を変えています。)
・(2020年9月8日)
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1160187
> 福井市赤谷町の山中で、中世に築かれたとみられる山城の遺構を郷土史研究者が発見した。
一乗谷より山深いので、こちらはその地点の標高を言おうとしている気配。(※体言止め)しかし、ナレーションが「標高○○メートルの山。(※体言止め)」の一本調子なのがいけない。これはナレーションがいけない。(※個人の感想です。)
・(8月30日)
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1388560
> 福井県福井市の一乗谷朝倉氏遺跡の山城散策マップがこのほど発行された。朝倉館跡の裏にある一乗城山(標高473メートル)に築かれた山城「一乗谷城」へ通じる登山ルートと、山城の見どころを紹介している。
> 一乗城山(標高473メートル)
2mほど違う数字。さらには「436m」などとウィキペディアには書いてありますぜ?(※表現は演出です。)
> スマホ用に提供しているアプリ「戦国浪漫一乗谷」も改良。衛星利用測位システム(GPS)機能を利用して主要ポイントの音声ガイドを聞くことができる。
衛星利用測位システム(GPS)機能を利用するアプリ「戦国浪漫一乗谷」を提供していながら標高が不正確とは思えない。○か×か。(※恐縮です。)
http://info.pref.fukui.lg.jp/tisan/monosato/echizenyaki.html
> 越前焼は、今から約850年前の平安時代末期から始まり、主に水がめ(水や穀物用)や、すり鉢といった日用雑器を中心に生産していました。
> 越前海岸から北前船によって、北海道から島根まで広まり、北陸最大の窯業産地として発展しました。
北海道まで届いた福井の産物のうち、ボリュームとして越前焼と笏谷石のどちらが大きいのか。ボリュームの定義なんですよね。(※恐縮です。)
https://www.city.fukui-sakai.lg.jp/bunka/kanko-bunka/bunka/bunkazai/nihonisan-kitamaebune.html
三国湊は坂井市です。坂井市は何県ですか。えー…(てんてんてん)。(※表現は演出です。)
https://nihonisan-ishigatari.jp/heritage/detail.php?id=7
> 越前を南北に縦断する幹線道で、敦賀や京などからの物資を一乗谷に届けました。
https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/douken/nipponfukeikaidou/fukeikaidou.html
> 福井県内で登録されている日本風景街道
成り立ちを無視して現在の行政の都合で県ごとに分かれてしまって、しかも好き勝手な名前が付くのはまったく感心できない。(※見解です。)
・(9月17日)
https://www.asahi.com/articles/ASP9J6R28P9JTLVB001.html
> 担当者は「歴史を踏んでしまうというところへの思慮が不足していた。費用を最小限に抑え、より効果的に歴史を伝えられるようにしたい」と話している。
「費用を最小限に抑え」がくせものである。それを求めたのもまた「市民」であろう。嗚呼。
> 市街地整備課によると、歴史サインは鋳鉄製プレート(縦20センチ、横1メートル)で、「明治天皇行幸」「加藤清正入国」など、熊本市や桜町・花畑地区の歴史が刻まれている。多くの人に歴史に興味を持ってもらおうと、市が約850万円をかけて35枚を設置し、4月から公開した。
35枚ありき鋳鉄製プレートありきで、それ以外のコストをカットした結果、地面に埋め込んで踏ませるという暴挙に出たと疑う。市街地整備課が判断できる範囲を超えた判断が必要になっていたのに、市街地整備課だけでできる範囲でしか考えなかった。違いますか。(※見解です。)
・(2016年10月19日)
https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000008630
> 戦国武将の朝倉氏が近江を治めた浅井氏と同盟関係にあった縁
> 今年は午前10時に関ケ原で出発ののろしが上がった。
> 朝倉氏の山城があった一乗城山(福井市)では、朝倉氏遺跡保存協会のメンバー5人が、午前11時ごろに三峯城跡(鯖江市)から上がるのろしを見つけて歓声を上げた。すぐに竹ざおに結びつけた発煙筒を掲げると、秋空に真っ白いのろしがもくもくと昇っていった。
山城といえばのろしである。のろしは通信である。(※恐縮です。)
> 福井、石川県境の刈安山までつながった。
「福井、石川県境」ということにどれだけ意味があるだろうか。(※詠嘆)
・ウィキペディア「越美線」「越美北線」「越美南線」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E7%BE%8E%E5%8C%97%E7%B7%9A
> 美濃太田駅から北濃駅までは1934年までに越美南線として、南福井駅(JR移行後は越前花堂駅に起点変更)から九頭竜湖駅までは1960年から1972年にかけて越美北線として開業したが、その後工事は中止され北濃駅 - 九頭竜湖間が分断されたままとなっている。越美南線は工事中止後の1986年12月11日に第三セクターの長良川鉄道に移管され、越美北線は1987年4月1日の国鉄分割民営化時に西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承された。
> 福井県側はJRの路線として残っているが、岐阜県側は長良川鉄道越美南線となった。
> 両県を結ぶ計画は果たせず
> 両県を結ぶ計画は果たせず
> 油坂峠に鉄道を通そうとすればスイッチバックなどの勾配緩和が必要になる。
https://publications.asahi.com/kaidou/18/index.shtml
> 司馬遼太郎 街道をゆく
> 越前の諸道
うーん。本件番組がすなる三国湊から一乗谷の前を通って尾張まで通じるという説明の申し分のなさよ。(徒歩や馬で越える中世の道としては)越美線より短いルートなのか、だいたい同じなのか。それはそれとして「足羽川ダム」が建設中とのこと。(※恐縮です。)
https://twitter.com/pazuzu2010/status/1335152888394309633
> 「美濃街道(越前美濃街道)」に非常に興味をそそられた。
デスヨネ〜…。(※個人の感想です。)
・「足羽川ダム工事事務所」の説明です
https://www.kkr.mlit.go.jp/asuwa/about/
https://www.kkr.mlit.go.jp/asuwa/about/images/yoteichi_map.gif
> 足羽川ダムは、福井豪雨のような水害を繰り返さないために、上流で洪水を調節するダムです。
> 2026年度の完成を目標としており、日本最大規模(ダム高、堤体積、洪水調節容量)の流水型ダムとなります。
そこが工事中のうちに、きっとブラタモリするんですよ。(※勝手な期待です。)
・[4032]
> ▼「飛騨高山から富山のファボーレに行くバス」からの「あずさが安い!」については[3667]を参照。
・(2020年12月24日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJB171K20X11C20A2000000/
> 滋賀県は中近世に築かれた城館が1300カ所以上ある「城の国」だ。点在する城跡で次々にのろしを上げて琵琶湖を一周できれば、どんなに壮観だろう。
> 中世にのろしは伝達手段として実際に使われていたようだ。「今夜城中之東南不挙烽(のろしあがらず)、不鳴鐘矣、少康耳」。京都の相国寺鹿苑(ろくおん)院主が書き残した日記「鹿苑日録」によると、室町時代の1499年にのろしの記述がある。
> 「平地の城に記録が残るということは、見通しのいい山城では日常的にのろしが使われていたはずだ」
> 旧国別で最も城館が多いのは伊賀国(三重県の一部)で2000カ所。
現在だって中継局が多いではないか。(※遠い目)
・[3106]
> さて、手元にモーターと電池、そして電線があります。いかに接続すれば、右回りそして左回り(※)が実現されるでしょうか。
> ワー! 回った! 回った! はかせー! 回ってますよ見て見て! …といっている段階では、回る「向き」までは意識されません。
・[4611]
> 上意下達の(しばらくお待ちください)郵便物は「下り」ばかりだったのではないか。
伝達手段としての「のろし」の「下り」と「上り」。斜め回線。(※表現は演出です。)
https://kotobank.jp/word/%E6%96%9C%E5%9B%9E%E7%B7%9A-1334089
> 斜回線
> (読み)しゃかいせん
> 状況に応じて基幹回線のほかにバイパス回線ともいうべき直通線をひけばよい。このようなバイパス回線を斜回線という。現実の電話網は図11に示すように,基幹回線と斜回線を複合化した複合回線網により構成されている。
もちろん、ほかの伝達手段に対して「のろし」という手段こそが「斜め回線」の役割を負っていただろう。○か×か。(※考えかた)
・きょうは逓信総合博物館で「のろし」。(※逓信総合博物館は1例です)
https://trynext.com/travel/071101-1500.php
> 現在、逓信総合博物館は日本郵政株式会社(JP)、東日本電信電話株式会社(NTT東日本)、日本放送協会(NHK)の三者によって共同運営されている。そのため館内も3つのコーナーに分かれている。
「のろし」はありますか。
> 郵政資料館
> 赤いポストに投函すれば届くようになったのはつい最近の話。むかしは声で、走って、のろしで、光で、ハトで、さまざまな方法で郵便は行われてきた。その歴史が資料や模型などで、わかりやすく展示されている。
https://trynext.com/photo/md/071101-152034.jpg
> ※昔の郵便は命がけだった
・[3652]
> …ハイジの村の方向にのろし確認っ!!
・[3716]
> 「高宮廃寺跡」あたりから馬だけ帰ってくるというオチで一席いかが。
しつれいしました。(※真顔で「ハイジ」に傍点)
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