フォーラム - neorail.jp R16
発行:2021/3/21
更新:2021/11/3

[4462]

【きょうは中目黒で小松菜。】

きょうは大悲山で雉ミンチ。


(約8000字)

[4453]
 > > 神明蘇我共同溝

 > 「神明蘇我共同溝」という文字列を見逃さないわれわれ。(※体言止め)

[4124]
 > > 第49話「天の岩戸と七本竹」

 http://www.pref.nara.jp/secure/165947/sample2.jpg
 http://www.pref.nara.jp/44644.htm

 > 「奈良県」からのイメージでした。(※「からの」に傍点。)

 FM能楽堂で「金剛流謡曲『葛城』」だったんですよ。ええ。FM能楽堂。3丁目の角の。(違)

・FM能楽堂(2021年3月21日)
 https://www4.nhk.or.jp/P4395/x/2021-03-21/07/72866/4832207/

 > 「金剛流謡曲『葛城』」
 > 【解説】中嶋謙昌

 https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=200901029826694544

 申し分ない「先生」の解説です。だがしかし。頭の中では勝手に「ブラタモリ」が進行してしまう。どうしてくれよう井上“ラザニア”陽水。(※井上陽水、ラザニアのいずれとも無関係です。)

[4384]
 > ピコーン! ラザニア原人の気分はイレブン!! …みたいな番組名をコールしたくなりませんか。なりますよね。…うわぁ井上陽水がうつる。(※実在する井上陽水とは無関係です。)かにかま峠の地名駅名えにもーラザニア。なんかねぇ。空気なんですよね。(※意味不明)

 かにかま峠…じゃなくて、葛城山のお話です。大阪府内で樹氷が楽しめる▼「ちはや園地」については[3725]を参照。『葛城』は、(「役行者」が云々という文脈では)奈良県側から見てのお話です。

 https://kotobank.jp/word/%E5%BD%B9%E8%A1%8C%E8%80%85-38333

 > 実在を疑う人もあるが、『続日本紀(しょくにほんぎ)』文武(もんむ)天皇3年(699)5月24日条に、伊豆島に流罪された記事があり、実在したことは確かである。
 > (略)この経緯が葛城山神の使役や呪縛(じゅばく)として伝えられたものである。

[4012]
 > 府中というくらいだから中世に外国人の数学者がそこにいてもおかしくないとは思った。(※恐縮です。)▼読売新聞「奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前」(765年)については[3387]を参照。

 765年にもなれば都にはペルシャ人役人がいる時代になるけれど、699年に独断で(許可された程度を大きく超えて)外国人から知識を得たりすれば流罪にはなるだろう。○か×か。

 https://www.komparunews.com/koborebanashi

 > 金剛流(こんごうりゅう)の歴史
 > 不分明ながら鎌倉時代から法隆寺に勤仕し室町時代には春日興福寺に参勤した坂戸座が源流です。

 鎌倉時代とは1185年くらいから1333年までということにいまのところなっております。(※敬語)

 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1890_ertugrul_jiken/pdf/1890--ertugrulJIKEN_05_chap1.pdf

 > 一般に、古代から中世にかけては、船舶が遭難し、その船体・貨物が漂着又は漂流してくれば、寄船・流船・寄物・流物と称して沿岸民は当然略奪してよいものと考えていた。古代においては外国船が遭難した場合、これを救助せず、乗組員を××して貨物を略奪、あるいは横領する慣行があった。時代を経るにつれてこれが禁じられるようになり、安土桃山時代の天正末から文禄の頃には、海難救助の慣行が成立したようである。この慣行が制度化されたのは、江戸時代である。

[4433]
 > ウィキペディア「金剛生駒紀泉国定公園」内「金剛生駒国定公園(こんごういこまこくていこうえん)」

 https://youtu.be/_GJS_Od26EI




 > 泉州と紀州のほうまで考えるのはちょっと…(てんてんてん)。

 和歌山県沖のほうなど遠目に眺めながら、そこらでは海からいきなり山で、その山がずっと葛城まで続いているという地理を、わたしたちとしては承知した上で「金剛流謡曲『葛城』」を楽しむのです。

 https://www.nippon.com/ja/behind/l00127/

 > 親善航海のため寄港した軍艦エルトゥールル号(排水量2,344トン、全長 約76m)は1890年9月16日夜半、帰航の途中、和歌山県串本町の紀伊大島沖で、猛烈な台風のために岩礁に激突、蒸気機関が爆発し二つに割れ沈没した。

 > トルコ軍艦の海難事故より4年前に起きた英国貨物船「ノルマントン号」(排水量240トン)の沈没事件だ。1886年10月、日本人乗客25人と雑貨を載せ神戸へ向かっていた同船は、暴風雨で和歌山県樫野崎の沖合(沈没場所は特定されていない)付近で座礁沈没した。その際、船長ら英国、ドイツの乗組員26人全員は救命ボートで漂流していたところを沿岸漁民に救助された。
 > しかし、乗船していた日本人25人は船中に取り残され、全員が溺死した。

 そちらの風刺画を学ばせると、エルトゥールル号までは取り上げる時間がないという単純な問題ではありませんか。(棒読み)

 > 日本政府は台風シーズンであることや、エルトゥールル号が建造後26年の木造船であったことから、出航を見合わせて船体修理をするように勧めた。ところが、使節団は、滞在延長がイスラム圏の“盟主”オスマン帝国の弱体化と受け取られかねないと懸念し、横浜港から予定通り出航した。

 台風に関する知識や見解の翻訳や通訳に不備があったと疑うべきではありませんか。技術的な情報をずけずけと言い合える関係にまでなっていなかったといったことを問題視すべきではありませんか。

 > 樫野埼(かしのざき)灯台の下に漂着した乗組員は、灯台の灯りを頼りに40メートルもの断崖をよじ登り助けを求めた。灯台から知らせを受けた島民は暴風雨の中を総出で駆けつけ、危険を顧みず岩礁から生存者を救出した。
 > 紀伊大島は、当時3村から成る約400戸の島だったが、食料の蓄えもわずかな寒村だった。それにもかかわらず、島民たちは非常用食料を供出し、不眠不休で生存者の救護に努め、殉職者の遺体捜索や引き揚げ作業にもかかわった。生存者69人はその後、治療のため神戸に移ったが、この時、明治天皇は侍医を、皇后は看護婦13人を派遣されている。

 > 神戸で治療を受けた生存者は10月初めに、日本海軍の軍艦「比叡」、「金剛」で、帰国の途に就いた。

 そこで出てくる「金剛」。

[3648]
 > 事実を伝えるだけみたいな表現や「はい」「いいえ」で答えさす(…『答えさす』!!)応答には不自由しなくても、感性的なものや程度を表わすものなどはうまくいかないんですよ。

 https://youtu.be/f6W-Aztz--w




 > 葛城山で大雪に難渋する山伏(ワキ)を庵に誘った女(前シテ)は、山に岩橋を架けるように役行者に命じられたものの果たせず、明王の縛めを受ける葛城ノ神である、と明かし姿を消す。やがて現れた葛城ノ女神(後シテ)は三熱の苦を逃れた喜びを述べ大和舞を舞うが、夜明けになると自分の相貌を恥じ岩宿に隠れるのだった。(大和舞の小書(特殊演出)により、装束や舞事が神性を増したものに変わる。)

 「ブラタモリ」なんですよね。人物などが史実かどうかは不明のままでいい。だって山は正直だ。岩は雄弁だ。葛城山の山中に『岩橋』を架ける“一大プロジェクト”(※エフェクト「きらきら」はいりまーす)が遅延したのを責任者が責任を投げ出して神さまのせいにした。えー…(てんてんてん)。(※勝手な解釈です。真に受けぬよう。)

 山で暖をとっていると、なんとなく周りから見られている気がする。山の動物が遠巻きに、暖をとりたそうに集まってくるんじゃないか、みたいな牧歌的な想像が広がります。その中でも命知らず…いえ、好奇心旺盛なキツネやイタチ、それにリスなどのフレンズが、何かおすそわけにありつけるのではないかと人の周りを舞うようにかすめていく。そういう実際の光景を昇華したものでは、ないんですかね。夜明けになるとねぐらに帰る夜行性のフレンズじゃ、ないんですかね。(※勝手な想像ですが、これが楽しいのです。)

※快適な場所はネコが教えてくれる([3162])。大雪をしのげる場所を動物が教えてくれる(動物の行動に倣えばうまくいく)というお話でもよかった。(※個人の感想です。)

 https://thejapanalps.com/activities/mammalian/

 > 氷河時代の生き残りのような種類もいます。

 > ホンド オコジョ
 > イタチの仲間
 > 顔は可愛いですが、肉食性ですから非常に獰猛でノウサギをも捕食するといわれています。非常に好奇心旺盛で、登山中に岩場で出会うことも多いでしょう。
 > 餌は岩場のネズミ類で、その餌を探すために体は細長く、狭い岩の間も通り抜けられるように進化しました。

 > 二ホンリスは体長22cm位、手のひらに乗るような大きさです。
 > 警戒心は強く登山者が見つけても逃げてしまうことが多いと思います。
 > 案外ゲテモノ食いで野鳥の卵やキノコ、松の実、昆虫なども食べる雑食性に近い食性です。

 警戒心が強いことと、人の近くを走っていく(あわよくば何か食べものをさらってゆこうとする)ということは両立するのでした。

 > 冬になると雪の上に点々んと足跡が残りその存在を確認することができますが、実際その姿を見ることは多くは有りません。それはほとんどその行動は夜間で、しかも捕食者に狙われて居るために、絶えず逃げまどっているというのが現実です。
 > 登山者がかなり近づかないと動かないので足元から飛び出し、びっくりさせられます。

 そちらは「二ホン ノウサギ」でした。

・(2015年5月30日)
 https://www.chukei-news.co.jp/news/2015/05/30/OK0001505300c01_06/

 > タヌキの毛皮で作った尻当て

 > 暖かい季節になってくると森の中の動物たちが活発に動きだします。人里でそれを実感するのが、道で車にひかれた動物を見るときです。

 https://shunan.keizai.biz/photoflash/3823/

 > 動物の鳴きまねをする山伏
 > 周南市の福川中学校で10月30日、能楽の鑑賞とワークショップが行われ、生徒らが伝統芸能に親しんだ。

 http://www.shiga-miidera.or.jp/taiken/yamabushi/index.html

 > 修験道では、自然そのものを大日如来の曼荼羅、深山幽谷の森羅万象そのものが大日如来の説法であると説かれています。まさに修験道では「自然そのものが経典」であり、自然と一体となる修行が求められているのです。

 > 自然はいつも美しく人々を包み込むだけではありません。ときには荒々しく残酷な姿を私たちの前に顕わします。大自然は人間界とは異なった世界でもあり、そこでは人間の論理は通用しません。古代の人々は、そこに神の顕現を認め、畏怖の感情を育んできました。

 > (略)修験道もまた、深山幽谷に分け入り大自然の懐に身を任せることによって山に生きる動物や虫、樹木、草花と同じひとつの生命として大自然なかに生きていることを自ら体感することが求めらています。

 おかしな脱字が続くけれど「三井寺」です。タヌキの毛皮で作った尻当て。このありがたみよ。(※恐縮です。)

 > 三井寺は「本山派修験」と呼ばれる天台系修験の根本道場として知られています。その起源は古く、三井寺の祖師・智証大師円珍(814〜891年)が、修験道の開祖・役行者の足跡を慕い、845年に葛城山、大峰山をはじめ熊野三山を巡礼し、那智の滝に参籠されたことに遡ります。

 > 修行の方法は人さまざま、坐禅するもよし、心静かに読経や写経をするもよし、あるいは一人深山に登るのもよし、その厳しさや深さにも様々ですが、その人の境遇にあわせて、今できることを実践しようとする気持ちがなによりも重要なのです。

 https://daihizan.jp/food/
 https://daihizan.jp/wp/wp-content/themes/daihizan/img/food/icatch/yamabushi_02.jpg

 > 飯(粥)
 > 雉ミンチ 野人参 ハトムギ 小豆

 > 山伏の食事には厳しい修行に耐えるだけのエネルギーが必要とされました。
 > その為、食材は植物性のものだけではなく、動物性のものも取り入れていました。

 > 山は海と同様、生命の源であり、滋養の有るものが多く生息する場所です。
 > ここ花脊・大悲山においても、かつては山伏たちが、自然からの恵みを有難く頂き、
 > 峰定寺を中心に盛んに修業を行っていました。

 山伏というのは、毛皮にする…いえ、食料にするという意味でも動物に詳しかったのです。

・その名も「岩橋山」
 https://www.city.katsuragi.nara.jp/kanko_bunka_sports/kanko/3/2/3783.html

 > 岩橋山は竹内峠の南側にそびえる標高659メートルの山で、葛城市北部の磐城地域の西側一帯に豊かな緑を育み、良質な清水の恵みと、歴史に彩られた伝説を今に伝えています。
 > この山の山頂周辺には「行者苦行の跡」と伝えられる名所旧跡があり、数カ所の岩場が残されています。
 > 中でも古くから知られる伝説の石造物「久米の岩橋」は、その昔、役行者が葛城の神に命じて、葛城山から吉野金峰山(よしのきんぷせん)へかけさせたといわれる岩橋で、その一部分がこの山中に残されたものと伝えられています。

 http://www.town.kanan.osaka.jp/kakukanooshirase/machisozobu/kankyomachizukurisuishinka/kankogaido/1491442196032.html
 http://www.town.kanan.osaka.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/14/kumenoiwakashi.JPG

 > 山腹には、まだあまり知られていない、久米の岩橋をはじめとする巨石や奇石が点在しています。

 もともとあったのかなんなのか。(※恐縮です。)

 http://www.town.kanan.osaka.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/14/kanban03ps.jpg
 http://www.town.kanan.osaka.jp/kananchotte/konnamachidesu/1394612502806.html

 > 河南町のカナちゃん 
 > チャームポイントは、日本最大の双円墳「金山古墳」と同じ形をしたおだんごのヘアスタイルです。

 http://www.town.kanan.osaka.jp/ikkrwebBrowse/material/image/group/4/kana_10_2.jpg

 > 河南町観光スマートフォンアプリ「かなナビ」で
 > カナちゃんのきせかえが楽しめるよ。

 > 衣装は72種類、組み合わせ次第でコーディネートは無限大です。

 ほぅ。(※ソコジャナイ。)

 https://base-ec2if.akamaized.net/w=640,a=0,q=90,u=1/images/item/origin/93e144f64268c9d199c1107e63b36386.jpg
 https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/056/437/522/89a4046d60.jpg
 http://www.town.kanan.osaka.jp/material/template/img_top/4.gif

 歩いておる。…おだんごが歩いておる!(※白目)

 http://inori.nara-kankou.or.jp/inori/legends/

 > 宗厳は戸岩谷(といわだに)の山で三年間、天狗を相手に剣術修行を重ねました。ある夜、一刀のもとに天狗を切ったと思えば、天狗は消え、そばにあった大石がまっぷたつに割れていました。

 説明に困るような姿の石があれば、困らない説明をつける。われわれの想像力に羽が生えて飛び立つ瞬間である。(※表現は演出です。)

 > お供の八代尊(やしろのみこと)が口から火を出して道明かりとされ、その火が消えずに時々飛びまわったので、聖武天皇の時代に野守(のもり)を置いて守られたという話

 山火事に注意させる戒めのお話であろう。じぶんが火を出さなくても勝手に出る(自然発火)ということを説明しておられる。

 > 饒速日命(にぎはやひのみこと)が天神から弓矢をたまわって、三本の矢を射て、その落ちたところに住まいを定めようとしました。すると三本の矢は全て同じ場所に落ち、「矢田(やた)」という地名の由来となったそうです。

 なぜにそこまで説明的なのか。その土地を説明する手がかりがなかったからつくってしまえ説。現代のマンションだってポエムするじゃないですか。えー…(てんてんてん)。

・下野新聞「ヨシ焼き前にヨシ燃える」(2021年3月19日)
 https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/429464

 > 遊水地では毎年3月にヨシ焼きが行われている。今年は13日に予定されていたが、雨の影響で21日に延期となった。

 > 18日午後1時ごろ、栃木県栃木市藤岡町赤麻、渡良瀬遊水地のヨシ原で通行人から「遊水地が野球場ぐらいの範囲で燃えている」と119番があった。同日午後10時現在、鎮火していない。

・(21日)
 https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/430266

 > 渡良瀬遊水地ヨシ焼き連絡会は20日、21日に延期していた今年のヨシ焼きを荒天が予想されるため中止すると発表した。

 > 1965年ごろから続くヨシ焼きで、天候不良による中止は記録にないという。
 > 伸びたままのヨシによって日光が遮られ、絶滅危惧種?U類の「トネハナヤスリ」や準絶滅危惧種の「ノウルシ」などの植物の発芽に影響する可能性があるという。

 天気は周期的に変化するので、天気の変化の周期と同じ長さの延期では同じ天気になってしまう。昔は天気の変化が5〜6日くらいだったが、いまは温暖化などの影響で(「同じ天気」を持続させる熱や空気や水蒸気のかたまりの大きさが大きくなって)7日になって、「1週間後」という延期のしかたが通用しなくなっている。○か×か。(※根拠はありません。)

[3890]
 > 浜名湖うなぎの回

 > 船のシーンとうな重のシーンの撮影順序はうそついていませんか。船で揺さぶられてから疲れた顔で無口で声が小さくなったままうな重してるから声が大きい声が大きいと…げふ。なるほどそこに気づかせないために先手を打って違うところに注目させればよい。「合成じゃない(パネルじゃない)」と強調しておけばいいんですね、わかります。どう見てもオープニングなら「これはオープニングです(※意訳)」みたいなことは言う必要すらないけれど、そうじゃないからことさらに「オープニングです」とか「始まりました」とか「こんな始まりかたはどうたらこうたら云々(※意訳)」とぐだぐだ言ってみせるわけだ。

 さもありなん。(※表現は演出です。)


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