フォーラム - neorail.jp R16
2021年12月の話題
更新:2022/5/23

[4665]

【きょうは中目黒で小松菜。】 【2時間で読む・10年後に読む】

きょうは堀田善衞でメルヘン街道。


(約18000字)

 [4664]の続きです。

[4664]
 > > 発光妖精とモスラ(1994年、中村真一郎・福永武彦との合作小説 筑摩書房) ※初出は1960年

 > > 宮崎駿が最も尊敬する作家であり、宮崎は堀田の文学世界や価値観から非常な影響を受けていることを常々公言、堀田と幾度も対談している。たとえば宮崎の作品によく出てくるゴート人のイメージは、堀田のスペイン論に由来している。また、宮崎は堀田の『方丈記私記』のアニメ化を長年にわたって構想していた。2008年には、宮崎吾朗などのスタジオ・ジブリスタッフによって、『方丈記私記』などの堀田作品をアニメ化するという仮定の下のイメージ・ボードが制作され、神奈川近代文学館に展示された。

 > 昨今のYA作品や文化庁のCMで落語家が言う「マンガ・アニメ・ゲーム」([3059],[4195])全般に、ものすごく影響を与えているのが堀田善衞せんせいでした。ありがとうございました。

 話はそこで終わらない。

[4651]
 > らじるらーじる!(※11月14日放送)ラピスラズリやタージマハルの発音で「らじるらじる」で1語の固有名詞を発音すればいいのだという“正解”にご納得いただけないご様子。(※敬語)そういう説明しにくい言語上の感覚は早ければすごく早く獲得しているものだから説明しにくい。(※トートロジー)遅くとも小学校の高学年の国語の時間に日本語の詩を堪能して体得する。俗にいうカムチャツカのお時間ですよ。…カムチャツカねぇ。(※遠い目)わたしたちの「国語」のお手本となる教科書や新聞で、外来語や人名がぜんぶカタカナで書いてあって頭の中で空中分解するんですな。わあぃ“上の空”。(しーん

[4652]
 > わたしたち、多少の音や表記の違いを気にしないで「なんとなくそんなかんじ」(※ひらがな)というあいまいな情報処理をこなして、日々、大量のカタカナ語とつきあってきていると思います。その副産物として「らじるらじる」みたいなネーミングもできるし、それを迷わずに読めたりも、するんです。

・堀田善衞「誰も不思議に思わない」ちくま文庫(1993年2月)
 https://pbs.twimg.com/media/DyXGJWiUcAAJ7WW.png

 そちらは「セレクション」の目次。そんな抜け殻みたいな「セレクション」なんて読んでないで「誰も不思議に思わない」そのものを読まれたい。二言はありません。57ページより「これはなんだ?」を読まずして堀田善衞「誰も不思議に思わない」を読んだとは言えない。

 その57ページと58ページのアレを、ここでTABLEタグで表示することをお許しください。

シャレードピーター
バロングロリア
ウッドスンプチドール
トレビアンドム・ドム
アゼリアアポロ
ビッグベンメリージェーン
ホワイトハウスピアス
マロニエウィーン
ボッカサンモリッツ
ジュリアン


※紙上では縦書きです。「ジュリアン」だけ改ページして58ページにぽつんと。やってくれるぜ編集者よう。

 …シャレード! ピーター! バロン! グロリア! ウッドスン! プチドール! トレビアン! ドム・ドム! アゼリア! アポロ! ビッグベン! メリージェーン! ホワイトハウス! ピアス! マロニエ! ウィーン! ボッカ! サンモリッツ! それにジュリアンっ!!(ぜぇぜぇ)

 > (58ページ)
 > (略)茅野市から蓼科高原へ上って来るについての、その街道沿いに、それこそ雨後の何とやらの如くにして簇生して来た、レストラン、食堂の名称である。

 https://www.mitsuinomori.co.jp/images/areamap/t.jpg
 https://www.alpico.co.jp/tokan-tateshina/assets/img/access/img10.png

 そもそもこのあたりの道路網がどのようになっているのかというのは、「三井の森」と「アルピコ」のマップを見比べるとわかるが、どちらか1枚だけをじっと眺めてもようわからんといったところ。地元の必要あって自然に構築された道路網ということではまったくない。『むかし信玄いま三井』(※七五調)とはよくいったものだ…いいません!(※いま考えた。)

 「それこそ雨後の何とやらの如くにして簇生して来た」と書く、「何とやら」とぼかしながら一続きでまくしたてる中で「簇生」と書き、本来ぼかすという行為の持っていた意味を直後に自ら打ち消してみせる堀田善衞せんせいだが、こういうふうに言葉を転がすのがだいたいそのころから平成年間を通じての流行りである。表現自体はもっと前からあったが、いまや「エッセー(笑)」ともいわれるようなしょうもない原稿をぶくぶくと太らせるのにもってこいだから重宝されたのだ。他人の発言や記述を引きながらちょろちょろと何か書くにあたって著作権を学べば([4664])そうするしかなくなってくる。これは好き嫌いというよりは合理的な態度である。勉強していけば皆こうなるというものである。(⇔なっていなければ「勉強していない!」とまでいわれ得る。)「このフォーラム」くらいの年代になるともっとぐちゃぐちゃして「3人寄ればナントヤラ(ただしフゲンでない)」([3097])とか「あなたが歩いたあとだけタケノコが生えてくる(うしろからサーモントラウト弁当がついてくる)みたいな感じ」([3571])みたいに書く。

 > そうしてこの街道の名を“メルヘン街道”と言う。わが国のメルヘンに登場をするのは、妖精にはあらずして、食堂であるか。

 https://hobby.dengeki.com/ss/hobby/uploads/2017/07/88d42dc2bca1a33db66460b803b53a5d3.jpg

 > かくて、通りがかる度毎に茫然と眺め暮していて、ある日、突如として気付いたことは、そうだ、これこそが正真正銘の日本国なのだ、現代日本国の典型の一つなのだ、と卒然として納得をしたことであった。

 堀田善衞せんせいが牛肉コロッケやサーモントラウト弁当(という“事件”)をおもしろがらないはずがない。(※個人の感想です。)蓼科高原の話「これはなんだ?」の稿から離れて堀田善衞せんせいが何を見て反応するのかを探る。(…そうじゃないけど!)