フォーラム - neorail.jp R16

「A列車 色がおかしい」を越えて進もう


2022年6月の話題
更新:2022/7/24

[4795]

ハイソになろうよ(たいやき編)


(約27000字)

 [4786]と、[3724]などの補足です。記事のタイトルにすごく困ったので、あまり意味のないタイトルにしました。

[4376]
 > 「テレビ東京のお偉いさん」という役を、ネットではあなたがじぶんでやらないといけません。
 > 「テレビ東京のお偉いさん」という役を、ネットではあなたがじぶんでやらないといけません。(※2回いいました。)

[4405]
 > 何の用意もなく何か言えだなんてとんでもない。こういう考えもあるよ、別の考えもあるよ、こういうことを言いたいならこういう言葉があるよ、という一種の『カタログ』をつくってお見せするのが、「このフォーラム」の務めである。

[3701]
 > > 「素晴らしい!飯の食いあげだ!」と歯の浮くような言葉で褒める方は,先ずDIAPSに触ろうとさえされません。それに引き換え,「何だ,それしかできないのか!こうはできないのか?」と辛口でも,実際にDIAPSを使用した前向きなコメントを戴けたことが,実用化への大きな推進力になったものと思います。

[3737]
 > そういう態度は「すぐれた製品(ゲーム)」を求める消費者として当然の態度であるという大前提を確認しての本日このフォーラムであります。

[4516]
 > ゲームをゲームとして楽しめなくすることを横行させてはいけない。PS4というハイソなプラットフォームを見習おうじゃないか。

[3978]
 > > ソニー・インタラクティブエンタテインメント欧州法人の法務部

 > このための法務部である。さすがソニー・インタラクティブエンタテインメント欧州法人の法務部である。

[4449]
 > ▼「PS4の客はハイソだゾ」については[4327]を参照。

 ソニー・インタラクティブエンタテインメント欧州法人の法務部あってこそ客も育つ。プラットフォームがハイソなら客もハイソになる。少なくともハイソな客から敬遠されることがなく、大きなチャンスをみすみす逃すということにはならない。ハイソな客こそをつかめ。何事にも基本ではありませんか。しかし本体が転売される。そのうち本体もサブスクになるのかね。ちみぃ、ヤフーのモデムみたいなこというね。えー…(てんてんてん)。

[4480]
 > おかをこえてーほしがきれいねーきみはいうよーゆこうよーみさきのたいやき。(以下略)

[4390]
 > (♪〜)桜吹雪のォ〜、たいやき〜、めぐりはァ〜!(そーれ)

 あーあしたのいまごろはとうきょうからすこしはなれたところにー、あーあしたのいまごろはとうきょうからすこしはなれたところにー。(げふ)

[4665]
 > これは好き嫌いというよりは合理的な態度である。勉強していけば皆こうなるというものである。(⇔なっていなければ「勉強していない!」とまでいわれ得る。)

[4742]
 > COCA11881。実にCOCA11881は「東京から少しはなれたところにすみはじめて」「東京から少しはなれたところにすみはじめて」みたいな音楽をおかけしながら「江戸川区は寅さんのこと」みたいにおっしゃる。あのね、たぶん松戸や柏なのよ「東京から少しはなれたところにすみはじめて」って。

[4761]
 > …そこの「(♪〜)」だけで「寅さんのアレ」の冒頭の1音を頭の中で鳴り響かせてもらえるとうれしいな。

 あーとうきょうからすこしはなれたところのえきまえでヤフーのモデム、あーとうきょうからすこしはなれたところのえきまえでヤフーのモデムぅ。(ぎゃふん)

 https://lohas.nicoseiga.jp/thumb/1756220i?

 > おー
 > (縦書き)

[4716]
 > マリオ花札が倒せない。(違)

 > ありがとうございました。とってもおめでとうございました。おいしそうでした。(※嫌味)

 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1324043853

 > 「ハイ、おいしそうでした!」これぞ名言。
 > 芳野さんのありがたい言葉・・・

[4286]
 > 「昭和45年」を好き勝手に『大昔!』と捉えないこと。日本の鉄道や高速道路などのインフラにおいて、1964年より後は「現代」と言っていい。

[3601]
 > たいやきで木星に行けそうな気がしてきそうです。(違)

 PS「A5 A列車で行こう5」の紹介映像では「300系のぞみ」3両編成が月から飛び立って宇宙を飛んで地球に向かっていく。オーケストラでシンバルが出てくると青い地球の映像を連想する。なんという昭和時代の貧困な連想。日清カップヌードルはきょうも晴天なり。…てすてす。(棒読み)

 https://www.weblio.jp/content/%E3%81%A6%E3%81%99%E3%81%A6%E3%81%99

 「実用日本語表現辞典」の実用性が半端ない。

 https://bunjin.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2015/12/09/gr033487.jpg
 https://livedoor.blogimg.jp/m_marukun/imgs/b/1/b1d5b2d6.JPG

 ほぼほぼ「300系のぞみ」。(※個人の感想です。)

[4273]
 > > 肝心のA3Dのシナリオ配布はなんとなく分かっていましたが、会場に設置されたPCにSDカードを差し込んでマップの画像データを3DSに取り込むという非常に原始的な方法でした。

 > > 試しにさわりの部分だけプレーしてみましたが、SKIPシティに行くのが不便だから交通手段を何とかしろというシナリオ内容だったのは笑ってしまいました。

 > ビジネスライクな顔だけして、そこにビジネスのマインドもマナーもなく、ひたすら悪ふざけに終始する。それを「元気がいいのはいいこと」(棒読み)みたいに言う時代は終わりにしようじゃないか。

[4786]
 > このあたりについての非常に重い補足を[4795]に追記してございます。

[3727]
 > > 「もじる」には若干上品さ、優雅さが欠ける嫌いがあります

 > 「もじる」という行為そのものがね。だからそのままつかひたまへよしょくん。そのまま使うからには失礼のないようまじめにね。

[3724]
 > (年少のプレーヤーが)もじらないといけないみたいに思いこんでいる節がありませんか。あなたのマップでは実在の地名と無関係だと断らないといけないような凄惨な事件や事故を(娯楽として面白半分で)描くつもりなんですか。あなたがまじめにプレーする限りは実在の町名をあちこちから集めてくる、書道でいう「集字」と同じことをしていいとは思われませんか。…書道の先生にきいてみよう!(棒読み)

 松戸市役所といえば河川清流課であり、松戸駅といえば清流である。…せせらぎじゃないの&ギクッ。清流じゃないから清流って言うんじゃないの&ギクギクッ。卒業式が終わったらスーパーきよしくん人形を流しませう。…流しません!!(※真っ赤)

・京都市「二条河原落書」
 https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka08.html

 > 落書は,時の権力者に対する批判や,社会の風潮に対する風刺などあざけりの意を含んだ匿名の文書のことで,平安初期からその例を見ることが出来ます。

 > この落書中の言葉によると,作者は「京童」(きょうわらべ)であるとされています。「京童」とは当時の京都市民をあらわす名称ですが,内容からかなりの教養人の手によるものであると推定され,建武政権の論功行賞に不満を持つ下層の公家などが作者に想定されます。

 https://animoo.jp/uploads/content/image/11315/gif.gif

[4781]
 > そこに主義や主張はないはずだ。ただの環境だ。

 主義や主張があって「もじる」というのは、よほどの体制下で表現が制約されたときの、体制に対する最後の表現の手段であるから、(いろいろな不満はあろうが、そこまでではない)自由な社会に生きるわたしたちが「もじる」という(非常に「攻撃力」の高い)表現を常用する必要はなかった。「もじる」という方法には、どうにもできないというあきらめや、そこから転じての八つ当たりのような気分が見え隠れするものとなる。

 (そのような状況ではない:あくまで私人間の自由なやりとりの中での)よくある「もじり」には、▼ほとんど何も考えていない子どものしたことのようなものと、▼リーガルな意味でのディフェンスとして真に必要だから(その範囲で最小限の)「もじり」をするものとがある。

[4683]
 > ミステリーは角川である。…このKADOKAWAがすごい!(※全角)

[3654]
 > さすがKADOKAWAなんですよ。ミステリーとかで実在だとまずいでしょみたいなので鍛えられているんですよ。

[3724]
 > あなたのマップでは実在の地名と無関係だと断らないといけないような凄惨な事件や事故を(娯楽として面白半分で)描くつもりなんですか。

 そうではないのに「もじる」と、不必要な「もじり」をしたことになって、非常にふざけた態度だとか、相手をばかにした態度という印象を伴うこととなる。「もじり」には「相手」がある。「相手」がないとか、はっきりしないのに「もじり」だけがあるというのは、成り立たない。実際に「相手」なしで「もじり」だけがあるという場合であっても、そうするとその「もじり」は当座の受け手、読者や視聴者などに向けられたのかなと思わざるを得なくなる。「もじり」は刃物である。刃物がこっちを向いてる(かもしれない)と警戒するのは当然である。体制(あるいは法人といった抽象的な存在)とはこんにゃくのようなものだから、どうってことはない。「もじり」は体制だとか社会の空気だとか、そういうものに向けておくのがデフォルトのはずだ。