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・伝統の技「はりぼて」 ・特撮!「パースペクティブ」 ・突撃!「となりの台所」
(約9000字)
この話、これまでの「鉄算用」([2965],[3016])の応用として、ちょっと考えてみます。
・NHK「新国立競技場 安藤氏「コストの徹底議論なし」」(2015年7月16日・12時10分)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150716/k10010152691000.html
> 最初のデザインを決めた審査委員会の委員長で建築家の安藤忠雄氏
> 「デザインの選定までが仕事だった。アイデアのコンペなのでコストについて徹底的に議論することはなかった。オリンピック招致に向け斬新でシンボリックなデザインということで選んだと思う。デザインを選んだ責任はあるが、技術とコストについてはハディド氏と日本の設計チームによる次の設計段階でできるんじゃないかと思った」
> 「ハディド氏のデザインは外す訳にはいかないと思うが、2520億円は高すぎ、もっと下がらないかなと思うので徹底的に議論して調整してほしい」
それが建築家、それでこそ建築家というものです。建築家(中でもアーティストとしての建築家:建物や景観の色や形、音、触感、その他、感覚的な要素のみをデザインする)に、構造設計(工法や部材の選定や開発、そして構造計算)、コストの積算(見積もり)、その他、法務や財務など、別の専門性が必要となる仕事を押し付けてはいけません。誰に、どの仕事を、どこまで頼むのか(=頼むことが可能なのか)は、すべて発注側(委員などにあっては任命側)がわかっていなければならず、特に公共の政策や予算に関わる決定を預かる立場(≒最終決定ではなくても、責任もって「たたき台」を出すことを期待される、準「公的」な立場)において「編集部の者より鉄道に詳しい方」([3017])と一種「開き直る」ことは許されません。
※雑誌(ただし学術的でない)の記事くらいなら、まあ、多少は開き直っても実害はほとんどないんではないかと思います。というよりは、雑誌は「雑」であること、すなわち、信頼性はそこそこでも、他の媒体(メディア)にはない圧倒的な多様性(ダイバーシティー)があることが、「雑誌の魅力」の源泉(アイデンティティーのようなもの)だといわれます。そうしたところで、雑誌と「雑誌でないもの」の違いが明確になるわけで、それを忘れて、雑誌なのに高コストな取材(手間や期間をかけすぎる:挙句、掲載の時機を逃す≒…いえ、他人のことはいえませんです、すみません)をしたり、学術雑誌でもないのに(にわかに)「アカデミックじみて」みたりしては、「もはや雑誌とは呼べない」、よくわからないものになってしまいます。
※ましてや「『万事よろしく頼む』(と言われた)」([861]ごろ)などと、いつ、誰が言ったのか、本当に言ったのかも定かでなくなって「紛糾」するようなことは、文書主義の貫徹によってしか防ぐことができません。
・衆議院 会議録「万事よろしく頼む」(2000年5月17日)
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000214720000517006.htm
以下、誰でも容易に思いつくものの、なかなか本気では検討されにくい(※)と思われるコスト削減策のようなものを列挙してみます。
※思いつけるような素人としては、専門的に深く検討するところまではできず、専門家としては素人じみた発想をすることはもはやできなくなっていて、どちらにしても検討されにくい、の意。
☆伝統の技「はりぼて」 デザイン上の特徴を成す部分と、国際的に求められる所定の定員(観客席の数)を満たすための部分とを分けて考えます。
定員の確保は、低層部で行ない、上層部のアーチや外周部にかけての丸みのあるデザインは、あくまで「はりぼて」として簡易な構造によって実現します。構造を完全に独立とすれば、実質の「本体」ともいえる観客席などを含む部分では、ごく普通のスタジアムの設計と施工をしさえすればよく、この部分で大幅な工期短縮(本体だけは必ず間に合わせるという意味で)やコストの極限までの圧縮が、従来通りの手法で実現できましょう。
・Wikipedia「Aomori Nebuta Matsuri」
http://en.wikipedia.org/wiki/Aomori_Nebuta_Matsuri
> A float sponsored by the JR East Railway Company.
・Wikipedia(ロシア語)「ねぶた」
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9D%D1%8D%D0%B1%D1%83%D1%82%D0%B0
鉄道でいえば、つくばエクスプレス(TX)で採り入れられた、(高架橋の)土木と(駅舎の)建築を完全に分離した高架駅の工法と同じ発想です。
・日本建設機械施工協会(JCMA)「ハイブリッド構造の高架駅」建設の施工企画(2009年)
http://jcma.heteml.jp/bunken-search/wp-content/uploads/2009/02/049.pdf
ワーストの縮減率「2.55%」(建設費がもとの約97%になる)をそのままあてはめますと、なんと「75億6000万円!」も浮かすことができます。規模が大きいので、わずか「2.55%」といっても、たいへん大きな額になってきます。侮れません。
そして、デザイン部(と仮に呼びます)については、「『イメージ図(完成予想図)』のイメージ」(「超イメージ」とでも…略)さえ守ればいいんだとして、一種あきらめて、ある1枚の「イメージ図」に描かれた方角からのみ「イメージ図」の通りに見えるというところまで「はりぼて」を貫徹していいんではないかと思います。(あくまで素人の極論です。)きわめて大雑把には、アーチが「半分」(主に「重さ半分」)になることで、それを支える構造を含めると「半額以下」になりつつ、アーチの大きさ(重さ)によらずかかるコストはさほど減らないとすれば、それでも大きくコストが圧縮できるのではないかと期待されます。
☆特撮!「パースペクティブ」 さらには、「イメージ図」のパースペクティブ(遠近感)を、ちょーっとだけ、ちょーっとだけいじってさしあげて(わからない程度に遠近感を強調し:画面の奥ほど極端に小さく見えるようにして)、そして、実際に「東京・渋谷」の屋上カメラやヘリコプターなりで空撮した時に、その通りに見えるよう、錯視効果も入れつつ、実際に小さく作ったり、大きくないのに大きく見せるという工夫を重ねていくこともできましょう。
・アビスパ福岡(旧福岡ブルックス)「ちょーっとだけ、ちょーっとだけ」(2014年10月31日)
http://avispaf.jugem.jp/?day=20141031
これは建物にとどまらず、周囲の植栽をあえて低い木(背が低い割にモシャモシャと密度の高い植物など)に植え替える(そして、それは人が歩く通路や広場の「屋上の上」である:実際の大きさがバレてしまう原因となる「人」が外から≒上から見えないようにする)、周囲に建物をいっさい建てず、大きさが比較しにくいようにする、などといった、特撮もびっくりな「演出」の手法を「リアルスケール」(「1分の1」のスケール=スケールしないということですね、わかります)で適用していくということになりましょう。
・「リアルスケール」
http://bondesign.jp/archives/576/
・「スケールする」
http://www.iij.ad.jp/company/development/tech/activities/haskell/
とはいえ、「テレビ映り」という狭い意味での「見た目」だけのために(「リアルスケール」で)そこまでするというのは「B/Cの値」的に微妙とも判断されかねません。植栽がモシャモシャ、すなわち毛虫などウジャウジャ、ニョロニョロの駆除が徹底できないということをむしろ利用して、人は立入り禁止の「バード・サンクチュアリ」にするということも考えられましょう。その効果を定量的に「2520億円!」の中に盛り込むのは難しそうですが、うまくいけば「スポーツ振興」に限らない「社会的投資」が同時に実現できる好機でもあり、環境省などを巻き込んだ案件としていくことも可能なはずです。
※いわば「運動公園と自然公園の融合」(自然に恵まれた運動公園である「自然運動公園」ではなく)ですね、わかります。
・日本野鳥の会「サンクチュアリ」
http://www.wbsj.org/activity/sanctuary/
http://www.wbsj.org/nature/hogo/others/iba/judge/index.html
http://www.wbsj.org/nature/hogo/others/iba/search/sites/kanto/74-tokyo.htm
・ろーとろーとろーと(1965年)
http://www.rclub2.rohto.co.jp/club/cflib/cf-op.htm
> 撮影のために本社屋上の鳩舎にたくさんのハトを飼い、担当の女子社員が毎日、手のひらにエサをのせて養育。撮影条件のよい、雨上がりや台風一過のあとを待つために半年がかりで撮影しました。
テレビに映すだけでも、そこまでした、の好例です。いま、ハトは合成映像になっても、さすがにスタジアムのアーチを合成で済ますわけにはいかず、とはいえ、実物は小さいのにテレビでは大きく見えるよう、これまた映像の上で遠近感をちょーっとだけ、ちょーっとだけいじっても、それはそれで許されるのではないでしょうか。本当でしょうか。
☆突撃!「となりの台所」 工法や設計の工夫では下げきれない分のコストは、もとからなかったことにしてしまえばいいのです。つまり、東京での世界的なスポーツイベントに際して、一気に「2520億円!」がかかる、というのが「高い」と感じさせる原因であるものの、モノの値段としてベラボウに割高とまではいえないのであれば、いろいろな方法で「目先の負担感」を解消したり、より望ましい「負担割合」の決定に資するような「見積もりの分解」すなわち各者の受益を細分化することが期待されます。
都知事が「白紙で」というくらいですから、そういう方向で進むのかなぁ、とみられますけれども、東京都の難しいところは、施設の立地として東京都であっても、必ずしも受益者が都民には限られず、また他の都道府県とも違って、多くの国民が受益者となるような公共施設を、他の都道府県に代わって東京に整備して、全国からお越しいただく、という面もあることです。そのため、あくまでこれまでの発想で行けば「国の負担額を増やしてほしい」といって「議論」(これを議論とはいわないとも感じますが、当事者は「議論」だといいはることでしょう)するのでしょうけれども、いまさらそんなことをしていては遅れが膨らむばかりです。(福岡ブルックス…いえ、「ブルックスの法則」[2984]も参照。)できれば、既に一度決まった負担額や負担割合をいっさい変えることなく、「2520億円!」を実現していくことが望まれます。
いま、社会的には「いまならなんと1980億円! アーチをおつけしてこのお値段です!!」(いわゆる「心理的な節目」:俗にいう「イチキュッパ」:そしてこれは税率や為替レートに関係なく一定であるという強力かつ普遍的な何かであります)以下に抑えることが期待されているとみられます。
・「イチキュッパ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%91
> 1,980円などのように端数の末尾の数字が8
※「端数の末尾」ってなんですか…「末尾の数字」は「0」ですよねぇ。試しに目をこすってみても「0」です。いいたいことはわかりますが、文章はおかしいです。
> イチキュッパの「8」という数字は非計画購買を喚起させる心理的作用があるからともいわれている。
※出典が…示されていないですねぇ。上の段落では「社会心理学にあてはまる」などと、意味不明な記述をしています。心理学の「何」にあてはまるのか、そもそも「あてはまる」と表現すべきことなのか、吟味された形跡がありません。
・(再掲)「情報B解説 小数の表現」
http://www.seiai.ed.jp/sys/text/cs/chp03/c03a040.html
そして、「イチキュッパ」は常に上位2〜3桁のところで、すなわち正規化した指数表記の仮数部の整数を0からせいぜい4まで(※)、小数部を0.98とすることが要求されてしまい、例えば「2519億8000万円!」や「2498億円!」では許してもらえない(割安には見えない)というキビシサがあります。本当でしょうか。もっとも、「2520億円!」も、その実「252十億円!(nihyaku-gojyu-ni billion yen)」と表記すべき精度での見積もりとみられ、その精度を上げただけでも大きく金額が上下…いえ、主に下がるんでしょうか、変わりそうな気配があるようにも感じられます。(感想は個人です。)
※ベンフォードの法則から想像しようとすると、ここが0であること=0.98×10^e=98円や980円が期待される確率は無限大などと…いえいえ、「9800円」なんて、ほとんど「1万円」じゃないですかぁ…「逆効果」というものですね、わかります。「ゼロキュッパ」で喜ばれるのは98円と980円だけでしょう。
※「2520億円!」に対しては、(少し緩和して「0.98」だけでなく「0.8」「0.48」なども許す場合)「2480億円!」「1980億円!」「1800億円!」「1780億円!」「1680億円!」「1580億円!」…といった、いわば予定された調和的な何か、一種「着地点」のようなものが暗黙のうちにあって、必ずしも「なめらかな連続値」で見積額を上下させれば納得いただけるというものでもないように見受けられます。
※「300円と500円」([3057])も参照。いくら税率が変わろうとも…いえ、主に上がるんでしょうけれども、金銭感覚は急には変えられません。税率を頻繁に変更するよりは、貨幣価値のほうをこそ「アダプティブにコントロール」するのが望ましいといえます(一部でいわれているかと思います)。いつでも300円で、人々が300円相当だと思っているモノやサービスを買えるのが、認知上の負荷が少ない状況といえましょう。
・「ベンフォードの法則」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
・JR東日本ウォータービジネス「飲料自販機「acure(アキュア)」にて「Suica 電子マネー専用自販機」を継続展開します〜引き続き、交通系電子マネー専用価格「1円単位」で販売します〜」(2015年4月30日)
http://www.jreast.co.jp/press/2015/20150417.pdf
※…いえ、何度聞いても(なんでこうなってしまったのか)理解しがたい会社名ですね、わかります(わかりませーん)。
・物理学で読み解く「ウォータービジネス」
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/wwatch_intro.html
仮に(金額だけを見て)、「2520億円!」が、「1560億円!」(当初の「1300億円!」の「2割増!」)に縮減されればよいですが、それが無謀だとなれば「1764億円!」(「2520億円!」の「3割引!」)くらいへの縮減を目指しつつ、当初の「1300億円!」からはみ出す「464億円!」を、新たに想定する別の受益者に負担いただく、といった方策も出てきましょう。これを国や東京都から見れば、「464億円!」はもとからなかった、すなわち、あくまで国や東京都から見れば「1300億円!」(できれば「1280億円!」?)でスタジアムが完成した(!)、とみなすことができるわけです。
※何が問題で何が問題でないか、それは誰にとっての話か、と細かく見ていくことが必須です。よくわからないまま「2520億円=巨額!」といっているようでは話になりませんが、だからといって話をしないということもまた許されません。
いま、「464億円!」くらいなら、民間からでも調達できるのではないでしょうか。他方で、ライセンス上、世界的なスポーツイベントが終わるまでは「公式スポンサー」しか関与できないという何かもあるでしょうが、むしろ、公共の施設が未来永劫、よくわからないライセンスに縛られるというのはあってはならないことで、ライセンスに縛られる期限をイベントの開催期間が終わるまでと明確に決め、建設段階から、その後の受益(広告を出せる、命名権を買えるなど)を示して民間から資金を集めることが、法的には許されましょう。それを「いっさい認めない」と国際的な委員会のようなものがいいはるのであれば、そこはワインでもロビーでもウィンウィンでも何でもいいですから、何としてでも交渉されたいところであります。
余談ですが、「2520億円!」といって、その実、いつを基準とした金額なのかというのも、物価の変動や税率の変更が激しい時期においては、難しいところです。
・国立国会図書館「過去の貨幣価値を調べる(明治以降)」(2014年11月15日)
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-102809.php
・「割引現在価値」
http://www.tokamoto.cpm.ehime-u.ac.jp/class/class_13/intro_econ/intro13_13_.pdf
http://www.shinnihon.or.jp/corporate-accounting/commentary/financial-instruments/2009-12-08.html
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/suido/hourei/jimuren/dl/070730-2_0009.pdf
かなり専門外ですので、ほとんどわからないのですが、たぶん「モノの値段」としてのみ云々していてはいけない話なのでしょう。それでも、「2520億円!」をケシカランとする人の大多数は、あくまで「モノの値段」としてのみ「2520億円!」をとらえますから、そこを解決する(納得いただく)には、あくまで素人が「モノの値段」として見ても納得できる、いわば「素人合理性(仮)」のようなものを併せ持つことが要件となってくるのではないか、というのが、今回の主旨でございます。その結果、いくらになろうとも、関知いたしません。
…と、ねぷた(Nebuta or Neputa: traditional large-scale craft for 'faked' festival in the Tohoku region of Japan, the origin dates from the 8th century)やゴジラ(Godzilla)、それにウィンウィンまで、あらゆる日本的な知見を「結集」すれば、それなりに何とでもできるような気がして、楽観しています。楽観しすぎでしょうか。
そして、建設会社などで技術開発にあたる方からすれば、巨大なアーチは「やってみたくてしかたがない」ものだと思われます。空港や駅などの大空間にかける屋根([2751],[3010])にも応用できますし、建物と屋根を完全に分離して設計する手法の確立、ひいては都市のさらなる「屋内化」(巨大で公共の「アーチ」のもとで、まるで展示場でのブースのような簡素な建物で済む:圧倒的な低コスト化と設計の自由度が実現でき、建物の多様性が増す→都市の新たな魅力となっていく→さらには都市の要素やその外観が一種「ソフトウェア定義」のようなものになっていく=壁の色などあってないようなものでコロコロ変わり、時間帯によってカフェつきコンビニになったりバーになったりと、土地利用が時間方向に高度化する等…いや〜、「夢」が広がりますねぇ:いわゆる「木密」、木造家屋の密集地域も、地域まるごとスプリンクラーつきアーチで覆ってしまえば、個々の家屋はそのままで防火性や耐候性が高まります)にも、長期的には貢献していけるものと思われます。安易にアーチを「やっかいもの(ムダ)」とみなす論調が広まれば、それは未来を閉ざすことにもつながりかねません。
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