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[2992]の続報です。なお、見出しに深い意味はなく恐縮です(※)。鎌倉市のごみ焼却施設の用地選定について、検討結果の報告書が公表されました。
・鎌倉市「鎌倉市ごみ焼却施設用地検討部会における検討結果報告書(平成27年1月)」(2015年1月30日)
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/skensetsu/h26-kihonkeikaku.html
「学問的エレガンス」として、質、量ともに申し分ありません。
・同「本編2(PDF:3,901KB)」(2015年1月30日)
http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/skensetsu/documents/youtikentoubukai_houkokusyo2.pdf
今回の「3次選定」において、国鉄跡地を含む「4候補地」が残っていた理由が改めて説明されています。
> 用地の選定にあたっては、本市の限られた土地事情を踏まえ、全ての公共用地を対象に、1次選定として「敷地面積」及び「接道」といった条件で絞り込み、さらに2次選定として「本市の特徴である緑地関連法令や自然的土地利用の方向性が示されている用地を除外」、「既に施設の運営がなされており、廃止の予定のない施設で、利用可能な余地のない施設は除外」及び「焼却施設の存否に係る協定・覚書を有する用地は除外」といった基本的な条件から4候補地を選定した。
> これを受け、3次選定では、比較検討項目を定めそれぞれ候補地ごとに相対評価を行ったが、どの候補地についても様々な課題があることを認識した。
選定のステップが進むごとに、候補地を減らしていったのではなく、候補地を絞り込む条件を精緻化していったのです。候補地そのものをダイレクトに(ここがいい、ここはダメ、などと)云々することと、候補地を絞り込む条件を云々すること(こういう条件をつけると、どこが含まれ、どこが除外されるか)は、まったく別のことなのです。
> 今後市が、ごみ焼却施設整備を進めるにあたって、市として何に重点(これまでのまちづくりの経過・エネルギー活用・災害対策・整備費用・施設周辺への影響等)を置いて、判断するかを明確にした上で、最終的な結論を出すべきと考える。
いくつもある評価項目に、自分ならどのような優先順位をつけるか、考えてみてください。そして、隣の人や周りの人にも、どう考えるか聞いてみてください。いま、野村さん、村岡さん、山崎さん、それに深沢さんに聞いたとしますと、きっと、驚くほどに優先順位の付け方はバラバラのはずです。
※私は、といえば、既成の住宅街で煙突だけニョキッと、が最も避けたく(深沢さん)、次に埋蔵文化財を避けたい(野村さん、村岡さん)、といった順番で、整備費用が一番、どうにでもなる(必要な費用はきちんとかけて、よい状態をつくってほしい)という考え方をします。
・[2992]
> ごみ焼却施設に関する技術革新にも目を見張るものがあり、かつてのように、周辺に悪臭や有害な煙をまき散らしたり、土壌汚染が起きたりするわけでもありません。そのような技術的側面での進化や変化をまったく見ないまま、旧来のイメージだけで、あるいは単に「記号」(symbol)として、「ごみ焼却施設=迷惑施設」と断じる、ましてや、先に断じたうえで後付けで「ごみ収集車の往来が増えて汚い、危ない」などといって反対することは、まったく合理性のない、あってはならないことといえます。
この点についても、報告書で繰り返し指摘されています。
・同「本編2(PDF:3,901KB)」(2015年1月30日)
> 昨今のごみ焼却施設は、環境面、安全面及び外観などにおいて目覚ましい技術革新や工夫がなされているが、どうしても総論は賛成であっても、いざ候補地になると各論反対となる施設である。
> このため、施設の立地にあっては、市民の意見を踏まえて、より安全・安心で、景観面等についても十分考慮した施設を設置していくとともに、地域にどのようなサービスや付加価値を提供できるかが重要であると考える。行政には、地域の状況を十分認識し、どのような地域還元が図れるか創意工夫を凝らして考えることを提案する。
> また、各建設候補地において、現在まで履行されていない地元住民との約束事は、ごみ焼却施設の建設候補地となることとは別に、早急に対処するべきである。周辺住民との信頼関係を得るためにも、真摯に約束事を履行することも合わせて提言する。
行政側の認識がまだ足りない点もあります。住民の「不満」や「反対」というものが、その実、いかなるものであるのか(「お客さまの声」の根本的な問題[2938]も参照)については、かなり子細かつ繊細に見極める必要があります。
いま、大昔の「約束」を履行すべく、温水プールなりスケートリンクなりを造ったとすると、こんどは別の住民から「無駄遣いだ」「ぜいたくだ」と反発されかねません。周辺の住宅に直接、温水の配管を引くほうがよほどましですが、そうなると、不公平感が出ないように、どのくらいの範囲までを対象とすべきか、どうやって線引きすればいいのかという難題が出てきます。もっとも無難なのは、すべて電力にして売電することでしょうが、効率としては温水を供給するほうがよいかもしれません。
また、最近は民事訴訟で損害賠償を請求しながらも「お金が目的ではない」といって、最終的には和解する例もあるように、「迷惑施設の対価」、いわゆる「迷惑料」としての便益を自分が受けることをよしとしない人も増えているとみられます。冷静に見れば言行不一致ともいえ、矛盾する「常識」(慣用句で規定される思考や言動の方向性)、例えば「何でもお金で解決するのはよくない=お金より大事なものがある=プライスレス」と「泣き寝入りはよくない=見て見ぬふりはよくない」を同時にパース(解釈)しようとしてフリーズしたかのように見受けられます。「善は急げ」「いざ鎌倉」のように、「常識」が、何がしかの行動を促すベクトルを持っていればまだよいものの、「何かをするのはよくない」という否定だけであると、では何をしたらよいのか、を自分で考えなくてはいけないのです。それをきちんとできる人は、そう多くはないのではないでしょうか。
・「いざ鎌倉」
http://kotobank.jp/word/%E3%81%84%E3%81%96%E9%8E%8C%E5%80%89-431757
・もともとの「いざ鎌倉」
http://kids.gakken.co.jp/box/syakai/06/pdf/B026107090.pdf
・KDDI「緊急電話番号サービス:光ファイバー auひかり」
http://www.au.kddi.com/internet/auhikari/service/phone/emergency-call/
「話がしたかっただけ」といって緊急通報番号に電話をかけるような、というと語弊がありますが、話ができて、いわば「はけぐち」さえあれば、温水プールも何もいらない、ということなのかもしれません(※)。だからといって、行政の担当者が個別の住民と酒を飲んだり、まんじゅう(ただしプレーンに限る)を持参したり、というわけにはいきません。ましてや、みんなでクマがりだ、ともいきません。はたして、どうしていけばいいのでしょう。
・「ただしプレーンに限る」
http://kotonoha.cc/no/254410
・「きょうは みんなで クマがりだ」
http://www.ehonnavi.net/ehon/1944/%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%AF%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%A7%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%81%8C%E3%82%8A%E3%81%A0/
※軽々しく引き合いに出すことは憚られますが、成田空港は40年も、こじれたままです。「補償金は要らない(から収用しないで)」という要求を受け入れることを許しては、どうにもならないときの最終手段としての強制収用の制度が成り立ちません。補償金を拒んでも額を加算して強制受領させる制度にでもすれば、法律としては問題なくとも、「補償金は要らない(から…略)」のココロは、ますます踏みにじられることになります。ココロは法律で扱えないため、お金に換算して扱うのだという大原則から生じる難題に対して、どのように対応していけばいいのでしょうか。そもそも、これは法律や制度の問題なのでしょうか。
行政の担当者に「顔」や主観があってはいけません。しかし、人々は素朴に、無邪気にも「顔の見える行政」を要求してしまうのです。これに応えてはいけません。応えられないということをわかってもらわなければなりません。子ども向け職業体験施設の大人版といいましょうか、行政の仕事を体験できて、公共性というものを体感できる仕組みが、あってもよいのかもしれません。
そして、技術革新によって環境悪化は避けられることを周知する必要はあるものの、そこを強調しすぎると、「(そんなに安全なら)地方を『原発銀座』にするのでなく(東京・中央区の)銀座に原発を造ればいいじゃないか」的な、「キレイな施設だというなら新駅の隣に造れ、ほら、造れないじゃないか、だからキレイだなんてウソだ」的な話になってしまうのです。
・「ゼノンのパラドックス」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
いくら行政が「学問的エレガンス」を備えつつあっても、住民が古代の哲学と大差ない単純で素朴な論考しかできないままでは、文字通り、話になりません。そして、話にならないからといって話をしないのは論外で、話が通じるように、住民を手厚くサポートすることが重要です。しかし、それが誰の仕事であるのかは、必ずしも明らかではありません。
・タウンニュース 鎌倉版「新春市長インタビュー「3月末までに候補地決定」新焼却施設建設へ決意」(2015/1/1)
http://www.townnews.co.jp/0602/2015/01/01/266036.html
遅いと「遅すぎる」「怠慢だ」といわれ、急げば「早すぎる」「拙速だ」といわれるのです。誰もを納得させるには、徹底して「学問的エレガンス」にのっとる、すなわち、この検討結果は誰かの主観ではない、誰が検討しても(あなたが検討しても)こうなる、ということを、誰もが(みんなが)理解できることが重要といえます。
もしかすると、本当に野村さん、村岡さん、山崎さん、それに深沢さんという4人の「人」に擬人化して、各々に意見を語らせ、どのような対立項があるのかを対人関係に見立てて説明するような、絵本的なアプローチすらも検討しなくてはいけないのかもしれません。でも、それは行政の仕事なんでしょうか。必要だと思った住民が、ほかの住民のためにするべき仕事なのではないのでしょうか。それを代行するのが新聞などメディアの役割ではないでしょうか。いま、報告書が出たといって報告書の概略のみを淡々と報じたり、「各論反対」の地元住民の声を載せることで客観視できたとみなしたりするのは、あまりにも形式的すぎないでしょうか。
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