|
(約16000字)
[5277]の続きです。
…きょうはこれからおききいただきましょう。(※ひらがな)
・[5093]
> > 「NHKバック音楽「不況」」
> > 池辺晋一郎:作曲
> ぷー…(てんてんてん)。ぷー、とはいわないが(…いってるし!)「一時帰休」で急にヒマになった感じや、何らかの紙切れが一夜にして文字通りの紙切れになってしまったといった感じを「ぷー」という音で表現する池辺晋一郎。…池辺晋一郎!(※無駄に復唱)
> 「ぷー」(という音):あえていえば、仕事が忙しければ聞いていない豆腐屋の音みたいなものを聞くという感慨を表わす…のか!?(※疑問形)
・[4625]
> 「1972年」という字幕から始まる、どんぴしゃな番組。
・[4295]
> 1972年から1973年にかけてはオイルショックで、大人は急に時間を持て余した。違いますか。
・「1974年」とは
https://stat.ameba.jp/user_images/20181118/17/mic-tom/77/04/j/o0960054014305393611.jpg
・[4775]
> いきなり「人は」みたいに語り出しちゃう。
・[4622]
> オイルショックより後のことである。まことに酢豚であった。…大儀であった。
・[4624]
> お城の話と鉄道の話にオイルショックの話が絡んでくる。無視できないレヴェル。きみはオイルショックの影響をどこまで知っているか。
・朝倉書店「失われた「郷土」をもとめて」(2024年8月2日)
https://book.asahi.com/jinbun/article/15356319
> 1970年代には「地域史研究」を行うことが全国の自治体で流行した。このような動きは逆説的に、「郷土」を失う危機感があったことを意味する。意識的に盛り立てなければ消失する、そのような危うさが、当時の人々を駆り立ててきたのだ。
…オイルショックで急に時間を持て余した大人が不安でそわそわしただけだった、そういう低次の現象こそが支配的だったのではなかっただろうか、どんな御大層な美辞麗句を並べたとしても、それはぜんぶ「不安」を覆い隠すための便利な説明に過ぎなかったのではなかろうかということを、コロナ禍を経験したいまだからこそ思われないだろうか。
・(公財)日本交通公社「旅行文化変遷史」
https://www.jtb.or.jp/gallery/tourismculture-postwar-2/
> 1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)は、それまで団体旅行が中心であった国民が個人旅行へと目を向けるきっかけとなり、万博に連動して展開された国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンによって、さらに個人旅行は拡大していきました。時を同じくして創刊された『an・an』、『non-no』による、女性のファッションと旅行が結びついた「アンノン族」は社会現象となり、「小京都」ブームの主役ともなりました。
> 1980年代に入ると、地方博が花盛りとなり(略)
> 『神戸ポートアイランド博覧会写真集 1982.3・20-9・15』神戸新聞出版センター 電通 編、神戸ポートアイランド博覧会協会、1982
・[4203]
> > 総合運動公園付近では山陽新幹線
> > 総合運動公園付近では山陽新幹線
> 総合運動公園付近に山陽新幹線があるんですね。山陽新幹線の工事のときの「新幹線1丁目」じゃないんですか。総合運動公園付近に山陽新幹線があるんですよね。なんどでもいうよ。ポートアイランドからはにわが発掘されても驚かない。
山陽新幹線の残土で埋め立てたポートアイランドからはにわが発掘されても驚かない。(※真顔)
・はにわっく「ポルタ」
https://syougyoushisetsu.com/news/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%A7%85%E5%89%8D%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E8%A1%97%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%80%81%E5%A4%A7%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%81%A7%E6%96%B0/
> イタリア語で「門・入口・玄関・扉」を意味
> 当地下街は、京都で初めての本格的な地下街として知られ、JR西日本グループのJR西日本京都SC開発株式会社が管理・運営を行っています。
> 1974年に京都市営地下鉄烏丸線の工事が始まり、1980年11月27日にポルタは開業しました。
この「1974年」に「工事が始まり」という記述は不正確だと判明しましたので報告いたします。
※「デバッガー」の「石版」みたいな言いかた。
・[5259]
> 想像してごらん烏丸線を
・[5023]
> 「あつ森」に「烏丸線」が出てくる。
・「地下鉄烏丸線開業前史」(2021年7月3日)
https://kyotolove.kyoto/I0000332
> 昭和49年11月29日に京都会館第一ホールで多数の市民が参加して起工式が盛大に行われました。アトラクションとして京響による演奏会も開かれる力の入れようでした。
昭和49年は1974年です。この「1974年」は「起工式」だけ。
> 起工式を終えて烏丸通では全区間で「槌音高く工事が始まりました」といきたいところですが、現実は紆余曲折の連続でした。
> 御所の西の一条工区が昭和52年6月にもっとも早く竣工するのですが、その時点でまだ未着工の工区が4か所もあったようです。北大路駅工区と紫明工区が着工したのは同年9月、六条工区と七条工区が着工したのは翌53年2月になりました。
「槌音高く」と形容しうる光景になったのは1977年の秋からでしょうか。橋の工事と似て、梅雨や台風シーズンは避けるはずです。
> 当時の交通局のパンフレットには「仮に京都御所全体に掘り出した土を置くと厚さ1.6mになります」という記述がありました。
うほほーい。(※謎の悲鳴)東京ドームの大きさに感動して「これ、東京ドーム何個分?」と聞こう。(※マテ)
https://kyotolove.kyoto/file/parts/I0000332/c6fc5a90249f7ce728841fee8201d62d.jpeg
https://kyotolove.kyoto/file/parts/I0000332/39f7cba4715b43bfda30a2603b6d3987.jpeg
> 天井が空いている部分から1両ずつ降ろされた。
有名な漫才のアレ。
> 京都の町中はどこを掘っても文化財が出てくると言われていますが、烏丸通は平安京の烏丸小路に当たり、地下の文化財は無視できないエリアです。そこで交通局が主導し、専門の先生方にも参画いただいて「京都市高速鉄道烏丸線遺跡調査会」が結成されました。地下鉄の本体工事の前に烏丸通のセンターラインを中心に東西2〜3m、南北8〜20m、深さ2〜3mの調査のための発掘が何か所かで行われました。その結果、それまで市内中心部ではないであろうと考えられていた弥生時代の住居跡が仏光寺付近で見つかり、一条付近では平安京一条大路の側溝跡が、さらに室町末期の二条御所の石垣跡が出土するなど各時代の遺跡が次々に出てきました。それらの出土品の一部は今も烏丸御池駅に展示されていますが、地下鉄工事は全線に渡って掘り返すわけですから、調査は部分的なものとなり、最終的には全線に渡って「土の中の文化財」が破壊されていったのは事実です。
「専門の先生方」の目をいかに逸らすか、その手をいかに煩わせて、いかに見落とさせるかという化かしあいのような状況になってはいなかったかと、人(※役人)のしたこと、人(※市民)としての態度というほうに主眼を置いて指摘してもらいたい。「モノ」しか見ないのは未熟なんです。1972年からすぐの時期の文化財の調査では「出土品」に偏重している。大きな柱の跡や長い溝くらいに明確なものしか「遺構」と認識されて調査されるには至らず、かまどの焼けた跡とか土を盛った跡のような遺構は完全に無視されて破壊しつくされたに違いないのです。▼「二条城」については[4661]も参照。
https://arx.neorail.jp/terrain/?%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%A8%E3%81%AF
> ハウス食品が業界に先駆けてカレーの「辛味順位表」を表示し始めたのが1972年だといいます。
…ほぅ?(※お手元になぜかあるハウス食品の「辛味順位表」をしげしげと眺めながら上から目線で!)
https://dime.jp/genre/files/2018/12/00-123.jpg
※写真はイメージです。
・[5279]
> ぜんぶ漢字の「地下鉄烏丸線開業前史」と「京都市高速鉄道烏丸線遺跡調査会」。…「地下鉄烏丸線開業前史」と「京都市高速鉄道烏丸線遺跡調査会」っ!(※意味もなく復唱)
・[3440]
> 調査の時期が古いとみられ「かたいもの(出土品)」に偏重しており、古代から江戸時代中期くらいまでの古道の跡や建物跡(柱の跡)のようなものを探す調査は手つかずに近いのではないかと疑います。
もっとも「京都」なので、掘り起こさなくても古代や中世からそのままの道だったりするわけでもあり…(てんてんてん)。
・(10月2日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241002/k10014599061000.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241002/K10014599061_2410021918_1002194332_01_02.jpg
> 個人が所有していたもの
> 江戸時代に京都で活躍した絵師 伊藤若冲と円山応挙が1787年ごろに手がけたびょうぶと判断
・[4694]
> 日本では1973年にならないと訪れない、(学術的にエレガントに)文化財を発掘したり『修復』(※技術が未熟なうちは、とりあえず「模写」)したりしようという機運(や、作品を買いあさるばかりでなく、芸術そのものの振興に金を出そうという機運)
・[5120]
> まずもって「ピラミッド」というものに向けるまなざしを冷徹に読み解いておきたい。それが文化財だという理解があるか。単に「王家の墓」だと、肝試しだと、怪談風味のBGMだというだけでは、あまりにもあまりではないか。(※あまりな言いかた)
> 「世界遺産」という概念が希薄だった時代にいう「ピラミッド」は、ほかの文化財と並べてとらえる(一般化してとらえる)ことがなく、ただただ「ピラミッド」という固有名詞であったのです。…うーん。もう少し言いかたがないかな。
> オリジナルのファミコン版「ドラクエ3」の当時としては、大人も子どもも、エジプトの文物は見世物だとしか思わないようなところ、エジプトをなんとなく見下すような気持ちがなかったか。文化財の発掘と保存と修復に関してエジプトは先進国である。○か×か。(※さらに言いかた)
・[5014]
> 静岡新聞「書き換わる教科書 消えつつある「登呂遺跡」の記載 研究進み、弥生観多様に」(2023年1月1日)
> 「1月1日」の超絶おめでたい記事。お正月しか帰ってこない人に読ませる静岡まるごと1年分。
> > 「弥生人は頭を使いながら生活していたんだって感じた」
> …ォィォィ。(※困ったような顔で!!)「A列車で行こう9」は頭を使いながらプレーするゲームだったんですね。
・(♪〜)
https://youtu.be/vnaoHKLQWaM
幕末から明治維新までに荒廃しきったという「京都」。京都市の方向性を決める立場の人間が京都に長く住んでおられる家から出るとしても、文化財に関する成熟した態度など期待のしようがない。屏風なり刀剣なり茶器なり、そういう『ブツ』をありがたがる態度でしかない。(※極論)
・[4480]
> > 渋沢栄一はリアル妄想鉄!?
> なんてひどいいいかた。(※ひらがな)
> > 数ある鉄道ファンの中でも、架空の鉄道会社を経営し、架空の路線を引き、沿線の都市開発まで行ってしまう趣味の方を“妄想鉄”というそうです。日本の近代化を推進する時代にあって、それをリアルに進めたのが渋沢栄一でした。
> 社会科の授業時間では到底たりない学習を生涯かけてやらないとなぁと思って学び続けるんですよ。いろいろ学んだと思っても現実に追い越される。現実の東急電鉄が北海道で新しいことを始めたりするんですよ。その前に伊豆急行線と半島振興法について学びそびれていたことに気づくんですよ。望ましいことではないけれど特措法の類は乱発され続けているから社会科の学習はキリがない。遊んでいるように見えても勉強なんだなぁ。(※詠嘆)
・[3288]
> 何かにつけては「**規制法!」「特措法!」といって『したり顔』になる(うまいこと思いついた的なソレ)という、そちらばかりが強くなりますと、土台から崩れていくような錯覚がしてまいります。
・[3383]
> 駅員や担当者にあって、初期設定はダメなもので、じぶんたちがカスタマイズした内容こそがベターであると信じこまれる&「お客さまの声」に応えたといって、査定っぽい何か的にポイント高〜い!
> 初期設定はダメなもので、じぶんたちがカスタマイズした内容こそがベターである
> 初期設定はダメなもので、じぶんたちがカスタマイズした内容こそがベターである
・[3712]
> 19歳から26歳くらいまでのひとにありがちな態度だよね。
・[4812]
> 「DIY=イコール=絶対の“善行”」(※意訳)といった刷り込みというかなんともいえないものもあるようで、それが「カスタムを要求しる!」(※誤字)という要望や、自分だけで勝手に「MOD」(※全角)し始めちゃうというところの根本にもあるように思う。市販の製品を改造してはいけない。そこを習わないうちに何か勝手にしたことは「勝手に」としか形容しえない。
・[5080]
> これと似た構図で、古い秩序や慣行を破壊することが「絶対の“善行”」(※意訳)とみなされてきたのだ。
もともとよくできている基本的な法令を「ダメなもの」と断じ、じぶんたちが成立させた特措法こそがベターであるとするような主張ばかりされるようになってしまっているが、これはすごくダメなことだと思うのである。それこそ「じぶんたちが成立させた特措法」という「目の前にある『ブツ』」を屏風だか刀剣だか茶器だかのように(じぶんたちでもありがたがるし)ありがたがらせようとする態度そのものがケシカランのである。(※意見です。)
・(♪〜)
https://youtu.be/jt0T_Yv8T8E
※本文とは無関係です。
・[5221]
> > 〈アンケート実施〉
> > 千葉市、千葉商工会議所、千葉県商工会議所連合会、
> > 株式会社ちばぎん総合研究所
> 市長個人が出入りしてますというだけで「千葉市」と書くのはいかがなものか。調査の費用をぜんぶ地元経済界が持ち出しで負担してくれて公金はかかっていないとしても「千葉市」と書くのはいかがなものか。
・[4513]
> サンリオがわがもの顔(げふ)自治体が著作権を持つキャラに至る。しかし、公金でキャラを買わされているに等しい。支出が少ないなら、なおさら問題だ。よからぬ輩にただ同然で業績を与えるようなものだ。自治体の信用へのただ乗りである。
・[5220]
> 公金をむしり取ろうとする人間がいて、それを見抜けないとか押し切られるとかしてしまう、東京から来て役職についている「いい人」みたいな人が危ない
・[3436]
> > 正直にいって、自治体というのは、調停の当事者に向かない立場だ、と思う。調停の場に持ち込まれる事件である、ということは、互譲によって妥協点を見出す以外に解決策がない、ということに等しいが、自治体の行動原理は「法律による行政の原理」であるので、どうしても、杓子定規な対応をしなければならず、事件が調停の場に持ち込まれたからといって、そう簡単に譲るわけにはいかない傾向がある。加えて、和解は自治法96条の議決案件であり、市の公金を用いて和解=譲歩をすることについて、その必要性を市民の代表たる議会に説明する必要があることが、より客観的に・通常人の感覚に照らし妥当な譲歩であることについての理由を求められる動機となり、それが調停の成立へのハードルを高くしている。
> > 一度、調停員を本気で怒らせてしまったことがある。
> > 金銭賠償(といっても、賠償を求める根拠はかなりあやふやであるように、私には感じられたが)を求めて市を相手方とする調停が申し立てられたものだが、その額自体は少額であったことから、調停員から「このくらいの金額がなぜ払えないのか」的なことを言われ、ついカチンときて、「市の金は市民の財産であるから、金額の多寡の問題ではなく、法的な根拠が明らかでない支出については、ビタ一文出せない」というような内容の話を、強い口調で言い放ったら、調停員の機嫌を損ねた、という次第である。言い方が大人気なかったことへの反省はあるが、話の内容それ自体は、決して間違ってはいないと、今でも自負している。
・[3926]
> > 公金などを少しずつ不正に使うこと。
「少しずつ」「このくらい」が、いつしか積み上がるのである。
・[4949]
> > 京都市が、市の取り組みをPRするため人気漫才コンビにツイッターで情報発信をしてもらう対価として100万円を支払う契約を吉本興業と結んでいたにもかかわらず、漫才コンビのツイートの中に「広告」と明示していなかったケース
> 京都の人間の商売繁盛(※市内の「にぎわい」)が大阪で100万円も出せば買えるという考えである。わずか100万円でひとこと何か言ってもらうだけで大阪の人間が新快速みたいな電車でのこのこ京都にやってくるということである。
> 額が少なすぎるのが問題であるし、公費なのに「気持ち程度!」「まあまあ!」みたいなことを首長らが私的な感覚で行なっているのではないかという疑念を持たれるという話である。そのほかに、京都の人間から見て大阪の人間がどう見えているのかということもにじんでくるとは思う。
・(10月9日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241009/k10014604051000.html
> 元会計検査院審議官「先を見据えた防止策を」
発言全体の主旨をとらえて見出しをつける能力が、ずいぶん低下してはいないか。
> 元会計検査院審議官の星野昌季弁護士は、「事業主が訓練費用を自己負担するからこそ、職業訓練の内容や効率性を主体的に精査し、本当に必要な訓練を選定すると考えられるので、全額負担が助成金の支給条件になっている。しかし昨今は、国の助成金の補助率が上がっている傾向があり、事業主が取り組みやすい反面、精査の徹底が不十分で結果的に支給額が膨れ上がる『モラルハザード』の状態が続いているように感じる」と話しています。
この話をまったくわかっていない人にわからせるために、あえてゲームの話にすると、「費用を自己負担するからこそ〜主体的に精査し」というところが、例えば「A列車で行こう9」は16,800円するんですよ、だから16,800円にふさわしい態度で臨むのが当然ですよねという話なんですよ。だけど、いまはそういうことをわかっている人が極端に減っていないか。それはすごくおかしな社会ではないか。(※重大な問いかけ)
> そのうえで、「今回の指摘を機に、助成金はあくまでも事業主の負担の一部を軽減するためのものだという認識を持つ必要がある。時代に合わせた事業に伴う助成金制度が今後も創設されていくことが想定される中で、制度を設計する中央省庁は、不正受給が出ないよう、先を見据えた防止策を不断に講じていかなければならない」と指摘しています。
不正受給がいくらかは出てしまうのはしかたがないというような言い分を許してはいけないんです。民間の財団じゃないんです。公金なんです。そこをわかっていますかと。「不断に」という言葉には、とてつもない重みがある。そこをわかっていますかと。(※倒置法でたたみかけ)
・[4949]
> 製品の価格帯と釣り合わない下世話な感じのプロモーションには反感しかない。
・[4592]
> 2019年12月にもなって、そんな1990年代のゲーム雑誌か大学生のレポートみたいないい加減さを残していてはいけない。われわれは着実にエレガントになってきているので、歩みを止めたり、元の木阿弥になっては絶対いけないのである。不断のなんとかで前進しなければならぬ。…お、おぅ。(※ちからなく)
出ました「不断のなんとか」&「前進」のコンボ。元会計検査院審議官氏が「不断に講じていかなければならない」という、法学上の議論の文脈において最上級ともいってよい強い表現でおっしゃる、そこのところをまったく伝えない見出しである。こんな見出しをつけていてはニュースが廃ります。(中央省庁ひいては官邸が)次々と別の助成金制度を乱発して全体として煙に巻こうとしてくる、グルになって会計検査院を欺こうとしているのではないかと、そこまで疑っていますよと、おっしゃっているのである。(※個人の感想です。)
・[4703]
> その「パッシオ」に出てきたひとが、かなり苦労して(?)笑いをこらえながら、まじめくさって標準語を話そうとしているかのような(ぐふっ)絶えず笑いっぱなしという中学生のままのようなひとであった。…演奏だけ聴きたいよアリガトウ。
・[5119]
> それは音大の人の実情ではあるけれど、ほかの業界でも状況は似たり寄ったり。
・[3586]
> > 50年代後半以降,子どもの認識の発達と言語学・数学など教科の基礎にある諸科学の研究成果に依拠して,教育方法の研究がすすめられるようになった。
> > 読み書きそろばんは基礎学力であるという一句に安住せず,読み書きそろばんのうち何がもっとも重要な内容であり,それをどう教えるのがよいかについては不断の研究が必要である。
・[5124]
> 楽器は上達するのに国語は上達しないということが起きているとすれば、それは国語科の課題であるという理解であります。教え方が悪い。教材に工夫の余地がある。不断の努力が必要である。
・「『法学入門』(有斐閣ストゥディア)をもとに考える」(2016年4月29日)
https://kitada-design.com/wp-content/uploads/2013/11/studia1_2.jpg
https://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1611/02.html
> 「裁判」においては、限られた期間内に決着を付けなければいけない。「経済学」の論文の執筆には無限に時間をかけてもかまわないかもしれないが、「裁判」では、2年間あるいは1年間で結論に達しなければいけないということがある。そのときに、真実に完全に合っているかどうかは自信はないが、大きくは間違えてはいないところまでみんなで何とかやって、その期間内にはちゃんと答えを出すことができる、ある種の大きな装置として「法学」は存在してきたように思えます。その雑さは、もともと「法学」というものが持っている運命みたいなものなのではないかと思います。
> 法曹に進まない人に「法学」がこれから何を教えていくべきなのか
> 法曹に進まない人に「法学」がこれから何を教えていくべきなのか
> 今の学生たちのニーズにマッチするような「法学教育」を提供できないかというところから執筆しましたが、その結果、従来の「法学」との対比においていろいろな所が逸脱している本であるというように思えてきました。その逸脱が、「法学」に対する懐疑性として瀧川さんからは見えるし、逸脱し切っている人から見ると(笑)、まだ足りない、全然足りないと見えるのかなと思っています。
> 結構面白いのは、学生はここをすごく真剣に聞いています。1年目の学生には、将来どうしようかと漠然と考えている人が多いのですが、民法・刑法まではさすがにイメージが湧きます。しかし、その先だと全然イメージが湧かないので、「最近こういうニュースがありましたね」みたいな話と絡めて、「独占禁止法とか経済法というのはね」と説明すると、みんな結構目をキラキラさせて聞いています。
> もう少し勉強してみると「これって法学だけじゃねえじゃん」ということに気が付くかもしれませんね(笑)。
「このフォーラム」なんかも、A列車とかいうゲーム?(※語尾上げ)の話が延々と続くのだけれど、あと少し、あと少しだけ(ぐぇ)読んでみると「これってA列車だけじゃねえじゃん」「これってゲームだけじゃねえじゃん」ということに気が付くかもしれませんね(笑)。(※まったくわらっていない)
> 一般人に対して「法学」的な議論をすると、「法律家は悪しき隣人」と昔から言いますが、こいつは何を言っているのだというようになってしまいかねない。一般人に話すときは、先ほど言ったように「why」のほうが理解しやすい。
> 私が高校生に対しては「why」、こういうルールを作ると社会が変わりますよみたいな話を先ほどしているのは、そちらのほうが高校生にはわかりやすくて受けるから、そのように話をしたりするのであって。
> 一番ひどいのは数学とかです。
> 一番ひどいのは数学とかです。
…一番ひどいのは数学とかです!(※音声を変えています。)
> 「ちゃんこ鍋と寄せ鍋の違い」
> 「自分で国語の試験問題を解いてみて自分たちで採点してみよう」
> 1人で分析するのは難しい新聞記事なども、「君はどういう意見ですか。その意見に近い人は記事の中にいますか」というような感じでやっていく、つまり、全員で思考実験をやらせる。そうすると、自分自身も加担しながら、靄がクリアに分かれていくみたいなところを体験できる。動機付けなのでしょうけれども、それはすごく大事な教育手法ということになると思うのです。
おしむらくは(※ひらがな)この対談が「2016年4月29日」のものであるということ。現在はもっと余裕を失っている(と思う)。
https://arx.neorail.jp/newgame/?%E3%83%90%E3%82%B0
> イエローカードは何枚までオッケーだといった打算をするのは絶対にいけません。
・[5145]
> 「自分の意見」を言わないといけない(その意見が確かに自分のものであるという確信がなければいけない)という態度は一朝一夕で備わるものではありません。それを苦手と感じていれば、なおさら不断の努力をもって「自分の意見」を構築しようとしなければなりません。しかし、どうもゲーム「A列車で行こうシリーズ」に関する言説には、どこかからのコピーのようなものが多く目につきます。では、そのコピーのもとになったオリジナルの言説は、それを発信したひとにとっては確かな「自分の意見」だったのかというと、…うーん。面倒くさくなってぶっきらぼうに言い放ったボスのぼやきを子分どもが無限にリピートしてるというふうにしか見えないのでありました。
・[4705]
> > 3歳の娘がお買い物ごっこの支払いでカードしか使わず、早めの消費者教育を検討中。
えー…(てんてんてん)。
・[5070]
> ネロは時速40キロの乗り物の『交通事故』による骨折から感染症を併発したという。骨から時速40キロということがわかったという。骨はしょーじきである。保険金を過大に請求してはいけません。(※真顔)
どこの2000年前の古代ローマの暴君「ネロ」の『交通事故』だよ!?(※ハバネロのように真っ赤な顔で!)
・[4620]
> 「偉人たちの健康診断」なのに、ぜんぜん「偉人」じゃないではないか。な・・・なんだってー!!(※顔面蒼白)とってつけたように、江戸時代に偉業を成した人たちがこぞって「ご長寿」であったと説明する。…ちょいとおぬしどこへゆく?
・[3297]
> 本件武将(!)に限って「医師の見地」を導入して考察するのでなく、症状と歴史的イベントに強い関係が疑われる事案すべてに対して、もれなく「医師の見地」を導入していかなければなりません。それが「学問的エレガンス」([2992])ですよねぇ。
・[4621]
> 遡って特定の武将について診断を確定するということでなく、疫学的に、そういう状況であればどのくらいの割合でどういう症状になるだろうから、どの程度の確からしさで本件武将もそういう症状だ、といった議論をするのである。『歴史ロマン!』ということでなく、現代の診断方法や予防方法の改善につなげるものである。もちろん、『歴史ロマン!』としても厚みを増すのは当然で、そこはぜひ楽しんでもらいたい。楽しみはするけれど、楽しいから議論するというだけじゃない、というところが大事。(※恐縮です。)
再び冒頭の「朝倉書店」から。
> 夏目先生の書かれた「あとがき」
この夏目氏とは、浜松生まれで一橋大学で徳川記念財団で特別研究員を務める人であるから、何気ない文章が書いてあっても、そこに「庶民的」な感情が吐露されているとは読まれない場合のほうが多いかもしれないとは思うが、よくよく読めばやはり素朴な、まったくもって個人的な郷愁としかいいようがないものを書いていることも、ないわけではないのだ。(※非常に持って回った言いかた)
https://pbs.twimg.com/media/Dnvry7aUcAYJ5ib.png
> > 私自身も生まれ育った「郷土」を離れ、すでに20年の年月が経った。その間、私の郷土も随分と様変わりしてしまった。高速道路の開発にともなう景観の変化や過疎化の進行、「郷土」が“失われていくもの”だということを実感する機会も増えてきた。
> > ……本書を阿部先生の墓前に捧げたい。
「先生」が「先生の墓前」に捧げたいというのが『郷土史』である。まったくもって個人的な不安や焦りでしかない(と思う)。(※恐縮です。)
> 出版社の朝倉書店です。創業1929年。理学・工学・医学・農学・人文科学・家政学などの学術専門書、および事典・辞典・ハンドブック、大学教科書を出版しています。
いや〜(ゲフンゲフン)「郷土史」は「朝倉書店」の(編集者の)守備範囲ではないだろう。「朝倉書店」のもともとの守備範囲で出版している『先生』(ゲフンゲフン)たちの趣味的な本を断れずに出版してあげているだけだろう。違うなら違うとおっしゃっていただきたい。(※何も隠さない言いかた)なにがいいたいかというと(※ひらがな)、著者自身が何かを述べるのはよいが、「朝倉書店」が「郷土史」について何を書いても、まったく何にもならんよということ。(専門書の出版社としては)本の内容は著者に全責任を持たせ、出版社としては出版の事情を紹介するだけにしておいてほしい。「朝倉書店」が廃ります。(※見解です。)
・…ほぅ?(※上から目線で下すぼまり)
https://livedoor.blogimg.jp/hero3d-you/imgs/6/0/605e87cc.jpg
そして、「京都市高速鉄道烏丸線遺跡調査会」の背景にある「地元」の“意識”が低い、“熱”は高いけど“意識”は低いということがなかったかという疑いの目を向けるものです。そういう時代が「1974年」なんです。あくまで時代のせいにしておく。(棒読み)
・[3902]
> 他人が仕上げてきたリサーチをちゃんと理解するにも3か月かかるんですよ。8秒だけ目をやって「ふーん」という態度ではだめなんですよ。3か月もの間、ある仕事を他人に任せきりで途中は知らないという任せかたをするとかえって高くつくと思へ。3か月の間ずっと「よく伴走し」「よく監督し」という『名監督!』(※意訳)ぶりを発揮しないといけない。つまるところ、他人に任せる仕事はじぶんでもできないと「伴走」や「監督」などできようがない。
文化財の素人なのに烏丸線の調査に口を出し、素人だから専門家の議論が理解できないだけなのに、専門家を煙たがって自分たちの手で何かをしようとしてしまう。これは文化財や遺跡に限らず起きることではありませんか。(※問いかけ)
・[4823]
> > ただし、人間の作業なので100%平地にするのはなかなか難しいかもしれません。どうしても一箇所だけ抜けていたなんてことがよくあります。けれども、この方法でそれに十分近く出来るはずです。
> いきなり主語が「人間」になるは「100%」などと(*)そこだけいきなり数字
> *その記事で紹介する作業の全般にわたって終始、割合の数字を出しながら話を進めるというのでなく、単なる強調表現としてしか数字は出てこず、そういう出しかただから「100%」という「端っこ」「最大」の、いわば「派手な」数字しか出てこない。
・[4993]
> 「率」という概念を出してくるなら「38.1%」や「15.0%」といった数字が出てきてほしいし有効数字の概念も持っていてほしい。(※高校程度)
・[3783]
> > 株式会社トミーテック社協力のもと、特製Nゲージ付の「A列車で行こう9 特別限定セット」が発売されます。
> > 今回、株式会社トミーテック協力のもと、当時のヘッドマークが施された、特製の209系A列車トレイン・Nゲージを制作いたしました。
> あの立石の某社をわが社の配下に取り込んだぞ(名刺入れが厚くなった)といわんばかりである。主語が大きいとはこのことだ。「協力」じゃないでしょ、企画においても製造においても圧倒的に株式会社トミーテックのほうが優越的な地位にあることが明らかでしょ。意図的に地位を逆転させる(じぶんを大きく見せる)ような物言いをしてはいけない。すべては契約である。金である。契約の下では対等である。どちらが大きいの小さいのということは、どちらの方向に対しても言及してはならない(=へりくだる必要もないがいばってもいけない)。いっぽう、関係が対等であるということを「協力」という言葉で表現してはいけない。そこには契約があるのであって、契約が終われば終わりである。「協力」という言葉には「困ったことがあればいつでも協力するよ!(前提なしの絶対の仲間だよ:あるいは永続的な協定を結んでいるよ)」というニュアンスが強く含まれるから、まったく的外れな表現である。「協力」「有志」「要望」「皆様」などのあいまいな言葉をいっさい使用しないで説明するトレーニングをどこかで受けてくるべき。(※見解です。)
・[4972]
> 例えば同級生のNくん(※仮名)がちょっと(あくまでほんのちょっと)気に入らない(ということがちょっとだけたまたまあった)という話に「そもそも人間とは」みたいな(『主語が大きな』)話を持ち出すくらい、場違いで不釣り合いということ。生徒指導室みたいなところで(違)同級生のNくん(※仮名)との間に何があったのよということを供述…いえ、丁寧に話さないといけないのに、そこをまったく話さず、「そもそも人間とは」みたいな大きな話を、まるで天気の話…いえ、話を逸らすかのように延々と繰り返す(よう、ボスに命じられていますという)ような態度に見えてしまう。
・[4775]
> 昔のひとは「長くしゃべる」ことをひどく嫌っていたのです。…電話代が高かったんだよ!!(※過去形)
> 70年代に活躍したひとに比べれば、わたしたちはなんと弱々しいことよ。
・[4960]
> > ジェントリーという独特な名望家階層
> 日本でいえば、駅前ロータリーを清掃して花壇を整備して時計を寄贈する。(※言いかた)
https://urayasu-rotary.net/wp-content/uploads/2020/10/tokeikizo-1-1.jpg
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/049/428/nisidaitokei.jpg
※京都市内ではありません。
まさに駅前ロータリーを清掃して花壇を整備して時計を寄贈する独特な名望家階層を自認する人々がオイルショックで急に時間を持て余すと「郷土史」にハマるのである。それ以前から専門的に「郷土史」に取り組んできた人の著作を鼻で笑い、じぶんのほうが(じぶんの)「郷土」のことは知っとるわい(ゲフンゲフン)と息巻く。もともとよくできている基本的な法令を「ダメなもの」と断じ、じぶんたちが成立させた特措法こそがベターであるとするような主張と、何が違おうか。(※反語)まさに違うなら違うとおっしゃっていただきたいとはこのことです。(※音声を変えています。)
| |