・「EQF」の構造を読み解く ・いわゆる「キャリアパス」を「EQF」で読み解く ・青島幸男「ショボクレ人生」(1962年)で「integrity」を読み解く ・「EQF」の「Level」は非連続である(たぶん) ・表8 「EQF」を構造的に読み解くココロミ的なもの(仮) ・表8.1 「一般化EQF演算」のココロミ(試) ・表8.2 「EQF単価表」のココロミ(仮)
(約25000字)
前編([3387])の続きです。
前編では『超訳!』などと称して…「実例に見る日英対訳」としましたが、後編は「研究ホワイトボックス」に…そんな「コードシェア便」([2754])みたいなこと、していいんでしょうか。『謎』です。
※大学院の後期課程(博士課程)の実情がわからん、というかたは、ぜひ、お近くの大学院のセンセイに直接、おたずねください。(学部生から見て)院生のセンパイに聞いてはイケマセン。必ずセンセイに聞いてください…どうぞ?
☆「EQF」の構造を読み解く
勝手に『超訳!』しておいてなんですが、原文ではたいへんシステマティックに単語が吟味されていることがわかります。同じことは同じ語で述べ、似たようなことやあいまいなことは排除して、高度に規格化されたコンクリートブロック…いえ、レゴブロックで『補強レゴブロック造』の建物を建てるかのように文章が一種「構造計算」の上で「構築」されているわけです。この感覚を、日本語の母語話者としては、古文や漢文、英語などを学ぶ体験なしには得ることができず、体験してもなお、その方法(構文に注意して、きわめて慎重に、正確に読む)を母語にも適用しよう、そうしよう! …とは、なかなかならないことに気づかれましょう。
・LEGO「LEGO Architecture Studio」
http://www.lego.com/en-us/architecture/explore/architecture-studio
http://cache.lego.com/r/www/r/architecture/-/media/franchises/architecture%202015/explore/studio/720x611_studio_box.jpg
> (1) 272 page inspirational book
> (2) Dedicated sorting trays
> (3) 1210 white and transparent LEGO(R) bricks
・「世界の『補強レゴブロック造』」
https://www.pinterest.com/tomalphin/lego-architecture-art-deco/
http://www.dwellings.sg/community/meet-dwellers-%E2%80%93-lego-architect
http://tomalphin.com/2015/09/brickarchitect_com.html
『補強レゴブロック造』のイメージを具体的に浮かべた上で、それにならいましてですね(略)「EQF」を文章としてではなく、全体の構造を把握する読みかたをしてみようと思います。
descriptorで、複数のLevelにまたがって出てくる概念(単一の語、またはいくつかの語で表現される:類義語も含む)と、概念間の関係を整理してみます。
・direct supervision(Level 1) 〜 supervise the routine work of others(Level 4)
・responsibility(Level 4,6,7)
・usually predictable(Level 4) ⇔ unpredictable(Level 5,6,7)
・autonomy(Level 2,8)
・different fields / between fields(Level 7,8)
どういうことでしょうか。
・「上級の者から監督される度合い」が、1から4にかけて弱まっていきます。
・「責任」を負うのは、4、6、7です。(責任を負うかどうかに着目してレベルを区分しているのは4、6、7で、5、8については、責任とは関係ない要素によってレベルを区分しています)
・「予期できることに取り組む」のが1から4で、「予期できないことに取り組む」のが5から7です。
※8は、「予期できる」か「予期できない」かを見分けることに取り組むんだと素朴には思われます。「EQF」では「Skill」として「required to solve critical problems in research and/or innovation and to extend and redefine existing knowledge or professional practice」と書かれ、「and/or」「extend and redefine」のあたりが、この、「予期できる」か「予期できない」かを見分けることに取り組むというあたりを何となく述べています…が、ちょっと甘いような印象があります。7までと同じ調子の文章で書こうとする(そうすれば厳密に定義できる! と思いこんでいる)から、かえって「8の説明」としては甘くなるんではないですか? うーん。)
・「自主性」「自律」を強調することで、他のレベルとの区分を明確にしているのは2と8です。(2と8は、「自主性」「自律」を強調しないと、ほかのレベルとの違いが明確にならないということです。)
・1から6までは、1つの分野に閉じていますが、7と8は、分野を飛び越えることが求められています。また、再帰的ですが、分野を飛び越えて知識を「一般化」することが「貢献」であると定義されているようにも見受けられます。(自分の分野の内側だけでは「貢献」とはみなされない、の意。)
■表8 「EQF」を構造的に読み解くココロミ的なもの(仮)Keyword in descriptors | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | | | | | | | | | | supervision | -1 | -1 | 0 | 1 | 1 | 1 | 1 | | unpredictable | | | -1 | -1 | 1 | 1 | 1 | | responsibility | | | 0 | 1 | | 1 | 1 | | autonomy | -1 | 1 | | 0 | | | 1 | 1 | different fields | | | | | | | 1 | 1 |
▼他のLevelとの区分の明確化において、特に言及されていない部分は空欄としました。
▼特に手厚い監督を必要とするLevel 1,2について「-1」とし、中間のLevel 3を「0」、監督する側になるLevel 4,5,6,7を「1」としてみます。
▼Level 3は限定的な責任を負うということから「0」としてみました。
▼Level 7の「original thinking」を「autonomy」に含めます。
▼Level 8には多くの要求があり、日本語的には「責任ある○○」とは感じられましょうが、目先の結果に対する責任という狭い意味では、問われていない(そこを問うと試行錯誤が許されなくなる:試行錯誤せずして研究などできまい、の意)とみなして空欄としてみます。
☆いわゆる「キャリアパス」を「EQF」で読み解く
このフォーラムで「進路」の相談などしませんよ。それは学校のセンセイが学校ですることです。念のため。しかし、学校のセンセイにとって参考になれば、との思いから、ここにまとめるものでございます。
・[3126] 標準「17歳」のための「予定された博士へのまわり道」
> > さらに、企業における研究者の役割は研究だけではありません。研究職として入社しても、やがて管理職になって研究活動から離れる人がたくさんいます。特に日本では、優秀な研究者ほど管理職になる傾向があるのです。つまり企業は研究者にマネジメント能力も求めているわけで、それが課程博士の採用に消極的な理由の1つになっている可能性があります。
> こうした実感は、それなりにみなさまお持ちのことと思います。もろもろ勘案の上、中間をとったような、といいましょうか、いま、「修士了で普通にご就職(24歳)」そして実務5〜10年の後、「きちんと通学して課程博士!(30代のうちに)」というのが一種「定番」になりつつあるかのように見受けられますが、業界によっても温度差はあるかとも思います。高校生のかたにあってはぜひ、こうした話は学校のセンセイでなく、企業にお勤めのかたに聞くのがよいでしょう。
> 卒業生が「種類や内容」を指導してほしかったとしているのは深いですね。セカイ全体を知ることができるのが理想で、しかし目の前のわずかな職業や、現に「ご縁」のあった産業のことしか、知る機会がなかったということなのでしょう。
知る機会すらないまま「地元愛☆!」などといって(「言わされて」?)いては、たいへんもったいない、もっと「かつ躍!」できる人がぞろぞろと埋もれているんではないかと心配になります。
そして、そもそも学校のセンセイ(子どもから見て、「知る機会」が歩いてくるようなもの!)が最新の動向や将来の見通しなどに決して明るくない(センセイにしても「知る機会」がほとんどない?)というのは、何らかの方法で補われていくことが期待されていましょう。
いわゆる「名状しがたい明確なキャリアパスのようなもの!」として、大工さんを中心とするIT××で『ろくろ』…いえ、現状がどうなっているのかといえば(標準的な企業がどのように扱っているかといえば)、学校にいるうちにアルバイトと称してLevel 1,2を「済ませて」おいて、(学校に対してはほとんど何も期待せず)卒業と同時の「新卒採用」の直後のわずか3ヶ月でLevel 3に「引き上げ」られ、5年でLevel 4(『標準27歳』)、そこから10年でLevel 5(『標準37歳』)、そこから15年でLevel 6と、ここで『標準52歳』を迎えるという、…あくまで現状です。
その上でLevel 7を目指すのは、たいへん厳しいことであります。ここから20年かけて、そのうち最初のほうで、ちょっと「大学院のほう」へ「論文博士のほう」など取りに行き(「行かされ」=そこに「自主性」があるとは認めがたい)、『標準72歳』までかけて、Level 7に到達したかどうか、もはや自分でもよくわからないが、待遇は確かにそのようになっている、というのが、…あくまで現状の想像です。(具体的に誰それがどうのこうのなどとブスイなことは申しません、の意。)
※「人生は1マス5年の人生ゲーム」([3103])も参照。(「EQF」の)同じLevelのまま仕事を続けるなら、「1マス」で『1仕事』できましょうが、(「EQF」の)Levelも上がりたいんだとなると、『消費マス数』のようなものも増えていくだろうという概算でございます。
『標準24歳』で『修士了で普通にご就職』、といって、その実、「EQF」でいうLevel 3が、採用直後から発揮される、との期待が企業にはありましょう。そして、賃金の体系がアレだということから、5年後といわず3年後にLevel 4を目指せと(『標準27歳』)、そこで見かけ上、並べられるわけです。
そこで、「まわり道」…いえ、「分かれ道」が訪れるのではないでしょうか。▼『標準27歳』より後のパスは従来型をなぞる(声の出し方忘れた@明日もがんばらない=自分の専門分野にたてこもるかのようにして、セカイを見なくなる)、▼いやいやいや、「修士了」を活かしてパスを短縮するぞ(戦略的孤独)…などと(略)。5年でLevel 5(『標準32歳』)、その後、3年ほど「大学院のほう」など通学しながら、実際に通学して、結局、通学して、課程博士を取りました! といって、職場に戻ると拍手で迎えられるというわけでございます(『標準35歳』)。
※「修士でありさえすればLevel 7」「学士でありさえすればLevel 6」との理解をしてはなりません。(日本の大学や大学院で)そこまで厳格な試験や認定を受けていますか、と問われて…ギクッ。そこは素直そして正直に、だいぶ足りないんだと自覚しておこうではありませんか。学部卒の段階で何かに不満があって大学院に進学するとあらば、おお、「Level 6」になりたかったのに、学部の教育がそれに応えてくれなかったんですね、わかります。
Level 5からの課程博士で『標準35歳』の人をいかに処遇するかで、いかなる企業であるかが分かれてきそうだといって「過言」ですか、そうですか。
紛れもなく課程博士であるのでLevel 8でありつつ、Level 6,7は経験していないのです。表8に従えば、あとは「responsibility」のビットが1になるだけでLevel 7であります。しかし、従来型の研修の流れでいえば、「responsibility」は、Level 5から、6を経て身につけていくものである(あった)わけです。Level 5であり8である人に対し、速やかに7として「かつ躍!」いただこうといって、これまでは『標準52歳』まで1
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