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発行:2017/11/19
更新:2018/5/22

[3564]

【実例に見る総合評価】

実例に見る総合評価(3) K府立大:高校生懸賞論文の審査


K府立大「高校生京都理系論文賞コンテスト」(2005年11月)を読み解く(談)
「募集内容についての詳しい説明」(2005年)それに「2006年度予告」(2006年)を読み解く
下関市立大学「小論文の出題意図と採点基準」(2003年)を読み解くココロミ(試)
(一社)日本貿易会を遠い目で眺めながら「ハインリッヒの法則」で『採択率』を斬ってみる(談)
いわゆる「公立大学あり検」を遠目に読み解く(談)
明治大学「5つの評価項目」を「決定木」で読み解く(仮)
わたしたちが「相関表」とはにわについて知ることになるのはいつごろだろうか(談)
表330 「ハインリッヒの法則」による「群を抜くバツグン」の応募作が応募される確率の推定(※独自に作成)
表25.0 採択率ベースで決める優秀賞の選定数(※独自に作成)

(約35000字)

 (前略)みなさま(略)[3543]に続いて「実例に見る総合評価」と題して(略)できますことは(略)にございます。(※省略は演出の一部です。実際には省略されていませんのでご注意ください。)

[3543]
 > 「実例に見る総合評価」としては、[3398]までの一連の記事と[3420]の続きです。しかし今回、「総合評価」とはいいましても「評価じゃないやい」的な内容を読み解いていくことになりますので、あらかじめご承知おきください。

 前回([3543])に比べれば、今回はちゃんと「総合評価」の話題ではあるとの認識にございます。(※恐縮です。)

※「総合評価」:たがいに補完的な関係にある複数の評価項目について調べ、各項目の重みや優先順位を決めて、全体として何らかの判定・判別(合否・適否などの判断・線引き)をすること。有力で合意の取れた絶対的な単一の評価項目が確立されていなかったり、そのような評価では不都合が生じる場合に取り組む。

・もっとも、狭い意味での「総合評価」とは「総合評価落札方式」のことだよ。きょうび「総合評価」といったら「総合評価落札方式」。これだね。(棒読み)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%90%88%E8%A9%95%E4%BE%A1%E8%90%BD%E6%9C%AD%E6%96%B9%E5%BC%8F

 この記事に続いて、▼[3565]で「Scilab」、▼[3566]で「○○行列の固有値分解」から「ランダムフォレスト」まで、▼[3567]で「SVM」、それに▼[3568]で「RST試行調査」について(きわめて大ざっぱに)概観しながら、「総合評価」とは何かを深めていきましょう。[3569]では、「K府立大」の当事者が2005年4月にインターネットを使って先行事例を調査していたならば発見できたであろう「高校生懸賞論文」岡山県内での実施例を紹介します。

※このフォーラムの記事では、結論に達さずに記事が途中で終わる感じというものを意図的に演出しています。このフォーラムの記事をそのまま『コピペ!(ぺっ)』してもまるで有用性が出ないように「コピーすると『無効 VOID』と書かれたパターンが浮かび上がってくる!」みたいなのをしこんであるわけです。しかし、このフォーラムの記事でご紹介した資料などをごじぶんで参照いただいて、結果的にこのフォーラムの記事と似たような流れや論旨になるということは、まったく問題ないのでございます。「できる! パスファインダー」については[3213]を参照。

 引用部分も含め、一連の記事はあわせておよそ116,000字にのぼるということです。(※後日の追記により増える場合がございますが減ることはございません。)「実際の講義を聴いているような語りかけ口調!」([3401],[3534],[3557])ですから「400字/分」、実際に耳で聞くよりは速く読めるでしょうから「600字/分」としまして、およそ『193.333分!(「特急くろしお」で3時間14分)』でお読みいただけるという計算になります。…本当でしょうか。

※3時間14分(るるぶ調べ):新大阪から串本までの所要時間です(6,460円)。

※記事が長いということにつきましては[3570]にて補足ございます。…余計に長くなるとはこのことだよ。いえいえいえ、だからこそ[3570]に分けたのだと、こういうわけです。


★K府立大「高校生京都理系論文賞コンテスト」(2005年11月)を読み解く(談)


 …うーん。「K府立大」などと伏せる必要がない上に伏せたことにもなっていないのですが、この一連の記事ではこういう見出しをつけないといけないようではあるとの感触にはございます。(※表現は演出です。)

[3512]
 > いいですか、「理数」なんてものはないんですよ(=すぐに「理」と「数」に分解してしまう弱い結びつきでしかないんですよ)。
 > 「観察や実験が楽しい(数学は苦手だけど。…数学は苦手だけど!!)」などとのたまう生徒を量産せぬよう細心の注意を払っていただいてですね(中略)

 そのようなココロがまえでわたしたち、おおいにギクッとしようではありませんか。

・K府立大「環境情報学科創設10周年プレイベント「高校生京都理系論文賞コンテスト」入賞論文集」(2005年11月)
 http://www2.kpu.ac.jp/life_environ/info_environ/envinfo_hspc/envinfo_hspc_aw_paper.pdf

 > 高校生懸賞論文コンテストを行うのは、本学では初めての試みでしたが、多数の優秀な論文の応募をいただき、高校生の志向や夢を直に知ることもできました。主催者として、大変実り多いコンテストであったと喜び、また励まされてもおります。コンテスト実施の概要は京都新聞にも記事として取り上げられ、広く府下全域に紹介されました。
 > 多くの高校生にこの入賞論文集を読んで「理系の魅力」を実感していただければと願っています。

※学部レヴェルでのイヴェントだということです。大学全体のソレではないとのことですから、あしからず。

 > 「高校生京都理系論文賞コンテスト」

 うーん。…うーん! どうも釈然としないコンクール(のネーミング)って、こうですね! 英語でおっしゃっていただけるかしら&どこからどこまでかですって? ここからここまでぜんぶよ。(※一般に演出は表現であり、すべての個人は感想です。)

※きっと京大(仮名)の『向こう!』をはってですよ(中略)「Kyoto Junior Science Prize(高校生のための京都科学賞)」みたいなのにするんですかねぇ。…そのくらいしか思いつきませんよねぇ。「N体シミュレーション大寒の学校教科書」については[3546]を参照。メダルをかじって…いたたた。かじるんだけどかじらないでくれる?(※メダルはイメージです。)

 (あくまでいまとなっては)参考文献も挙げさせず、図表も書かせず、のうのうと「理系」だなんて、とんでもない!(※個人の見解です。応募者は一生懸命ですけど、ダメなオトナのせいで要らぬことに一生懸命にさせられているという印象ですよ&大人って、じぶんで思うよりもはるかに責任重大なんですよ。…たぶん。)

[3449]
 > > 「久米さんは通りすがりに“ニュースを読んでるんだけど、読まないでくれる?”みたいなことを言って去るんですよ。

[3560]
 > 「飲むんだけど飲まないでくれる?」みたいなのーっ。

・「むこうをはる」
 https://kotobank.jp/word/%E5%90%91%E3%81%93%E3%81%86%E3%82%92%E5%BC%B5%E3%82%8B-641260

 > 「競争相手の―・って安売りする」

 「むこうをはる」などというアレな行為に及んだ時点でこちらのほうがつまらぬものだと決まるんですよ。…実にお安いはなしですのう。(違)「本場に負けない(=本場というものを認めるならば自動的に負けるんですけど=)○○をわがまちにも1つ!」については[3548]を参照。

※いわゆる「人間環境学部」で『理系!』などとことさらに…いえ、ほとんど「その他」とか「この前まで短大でした」とか「教職のための理科のセンセイ」が集められて「人間環境学部」といわされている感もなくはない(=当時)ので、お気持ちは察しようではございませんか。実際、その後さらに改組されたようですよ。むずかしいですのう。(※むずかしいというのは本当です。)

・高校生は“ジュニア”なのか…じゃなくて「高校生になったら」岩波ジュニア新書(10)の見解です(1979年11月20日)
 https://www.iwanami.co.jp/book/b269009.html
 https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/4198DY4KDBL.jpg

 > この本は,高校生にはもちろん,これから進学する中学生にとっても必読の書です.教師として三○年間高校生とつきあってきた著者が,勉強,友人,クラブ,生徒会,読書や大学受験など,高校生が日常つきあたる多くの問題をとりあげて,高校生活の中でいちばん重要な目標を明らかにし,そのための学び方,過ごし方を語ります.

 いや〜せんせい、1979年11月に発刊された著書で「30年」とおっしゃる、遅くとも1948年くらいから高校の教員だということですね。

・「国語の田代三良先生」ほか“個性的”な教諭陣のイメージです
 http://www.magazine9.jp/morinaga/110309/

 > 戸山高校があまりに自由で、欲求不満がなくなってしまった

 > 学校の目の前にあった雀荘に入り浸っていても、誰からも文句を言われなかった。

 > 当時、都立高校の教諭には、週に一日の研究日というのがあった。週に一度は、平日に教諭が校務から離れて、自由な研究をできる日を作っていたのだ。「研究日は何をしているんですか」と有賀先生に聞くと、「いつもは本を読んでいるんだけど、最近は妻に言われて朝からスーパーに並んで、トイレットペーパーを買っているんだ。一人一パックしか売ってもらえないんだ」。石油ショック後のトイレットペーパー不足の時代だった。いまなら、糾弾されてしまうような発言だが、私はその発言で経済に興味を持ち始めた。有賀先生は、英語の教諭だったが、最初に我々に教えたのは、何とスペイン語だった。

 > 国語の田代三良先生は、いかにも学者然としたタイプで、岩波新書から「高校生」という本を出していた。教科書どおりの授業などするはずもなく、その時々の先生の関心にしたがったプリントで作って、授業時間に配布して、講義をした。生徒は、「まあこんなもんでしょ」くらいの気持ちでプリントを受け取ったのだが、そこで先生が切れた。「お前ら、このプリント一枚を作るために僕がどれだけの本を読み、どれだけの時間をかけたか分かっているのか。できるものなら、作ってみろ」。

 「生徒としては口を開けて待っていさえすればせんせいが「プリントみたいなの」を持ってきて配ってくれる」([3520])も参照。生徒としてはほかのどのせんせいのプリントとも違いがなく、やはりプリントであったと…ゲフンゲフン。

 > 戸山高校で一番勉強になったのは、定期試験の答案が返された後だった。私を含めて何人もが、採点で納得できないところを、すぐに先生に抗議した。考えさせる問題が多いので、正解が一つではなかったからだ。「何故、この回答にバツをつけたのか。これでも正しいじゃないか」と私は必死で食い下がった。点数が復活することも、そうでないこともあったが、そうしたやり取りが授業よりもずっと頭に入る実践的な講義だったのだ。

 > すでに都立高校では、教諭の研究日は廃止されてしまったという。

※小学校高学年からの岩波ジュニア新書については[3328]を参照。

 改めまして『K府立大』(2005年)でございます。

・「ダンゴムシ」の人は具体的で(≒じぶんで取り組んだことをじぶんのことばで述べていて)いいですね。概数ではありますが実験結果のデータ(「半分以上」「中には」)が示されつつ、「半分」というところで分かれるような結果というのはランダムなのではないかなぁ…などと深めていけそうです。

・入賞作の中では「AED」の人だけが(新聞などで調べたのでしょう)具体的に数字を書いています。じぶんで行なった実験や調査でなくても数値(割合)を正確に言及しようという姿勢は好感されましょう。

※といって、この2編に講評しているのは外部の審査員で、…うーん。いえ、ま、その、…うーん。

 翻って、▼じぶんたちにコンクールを設計する能力があるか、▼『助言を仰ぐ』ことができるか、▼じぶんたちより圧倒的に高度な知見を持つ者や、思いもよらない視点を持つ者(※SF作家やSF歌人、それにSFメトロカード(パスネット含む)などを含む)を審査員に招くことができるかなど、(外部から、ひいては後世の者から)たいへんシビアに問われるのだという覚悟のようなものがですね(略)…なんだかなぁ。きわめてなんだかなぁ。(※SFメトロカード(パスネット含む)は無関係です。)

 > 趣旨の文章については、学内や京都府教育庁の関係者にご助言をいただき作成しました。

 それは(府立大の1学部からみて)身内であって、『助言を仰いだ』うちには入りません&入るわけがありません。身内だということすら理解できていないというのですか。…きわめてなんだかなぁ。「上下関係には2つ上や3つ上もあれば、2つ下や3つ下もある。」については[3174]を参照。そもそも「文章」は『作成!』とはいわないのであってだなぁ(略)そこからですかっ。(棒読み)

※じぶん国語の成績は下から数えたほうが(中略)みたいな、本人にとっては謙遜のつもりでも、傍から見ると見てられないよ(そんなことは公の場でいうものじゃないよ=ましてや後世に残る公的な文書に書くことではないよ)的なげふんではあろうとの…ぎゃふん。府立大が対外的に発表した文書はウェブを含め「みなし公文書」であるとの理解でございます。

 > 高校でまとめられて応募された論文数が158(97%)、個人での応募が5(3%)でした。

 応募者そっちのけ(後回し)で学内での学長への謝辞を述べるとはナニゴトか的なぎゃふんのほうなど…わたしはいえないので誰かいってくださいオネガイシマス。…えーっ。

[3461]
 > > もう一つ、シンポジウムに参加しながら考えたことがあります。それは実践者と研究者の考え方の違いということです。実践者(だけの立場)の時は、私も「私はこう思う」という言い方に疑問を感じたことはありませんでした。しかし、研究者の世界を垣間見た今は、「こういう根拠からこう言える」と言わ(書か)なければと心がけるようになりました。つまり、データなり、先行研究なり、説得的な論理がなければ、実践報告ではあっても研究とは言われない世界を知ってしまったのです(実践報告がダメだということでありません。それでは価値観を共にする仲間内にしか伝わりにくいということです)。

[3530]
 > ポスター(掲示物や「展示物」)のうまいへたで賞を決めるのは、あくまで発表技術(プレゼンのうまいへた)に対する賞なのであって、研究(内容)に対する賞は、全員がまったく同じスタイルでパソコンで打って出力したソレだけで選ばなくてはなりません。名前がカワイイですって? 字がきたないですって? …研究の本質とは、ぜんぜん関係ないじゃないですかぁ。

 > 「梗概」というのは、論文を書いた本人が、まず「第1の読者」になったつもりで、「フーン、この論文って、こういうことをいいたかったんだね(いや、じぶんで書いたんスけど。)」ということをまとめるステップなのですよ。

 > 何の研究なのかわからなくなるようなタイトルをつけてはいけません。
 > 論文を「ストーリーじたて!」にしてはいけません。

 > 何もしなかった日に「きょうは何もしませんでした(家族でさわやかに行きました)」みたいなことは書かなくていいですよ。念のため。しかし、さわやかで自由研究のヒントが得られたのなら、それはきちんと野帳に書かなければなりません。だからといって、できあがりの論文でさわやかに言及する必要はなく、もし口頭発表の場があって聴衆や審査員から質問が出れば、さわやかでヒントが得られたというエピソードを紹介してもいいでしょう。(※さわやかはイメージであり、実在のさわやかとは無関係です。)

 > 児童・生徒の状況にあわせて、無理のない研究計画とすることは必要ですが、少しでも楽をしながら入賞を目指そうという矛盾した態度を(周囲の大人が)取ってはいけません。自由研究の難易度を下げたり負担を減らしたりするのは、そのようにすることで、確実に学習上の効果を得ようという目的あってこそなのです。賞に基準を置くのでなく、本人の学習上の達成に基準を置いて評価しなければ、学習への意欲によからぬ影響を与えると心配されましょう。

 > 賞を選ぶ側も、単に倍率(競争率)のみに頼って選考するのでなく、ある程度は広くコンセンサスのとれた絶対の基準を共有して、単に選ぶだけではない、授賞理由を明文化するという意味での「審査」を行なえる態勢を確保しなければなりません。ある部門で応募が少ない上に質が低いとあらば、(少なくとも上位の賞について)『該当なし』という審査結果を厳かに言い渡さないといけないこともあってよいのですよ。

 ここでいう「明文化」とは、あらかじめ明らかにしておくということをいっています。そうはいっても実際に作品が応募されてみないとわからないこともあろう…なるほどしかし、よくわからない投票で決めた入賞作だけが先に目の前にあって、その作品がいかにすばらしいかを、あらすじを紹介しながら力説する…それは読書感想文ですよね。まったくもってシステマティック(体系的で総合的)なレビュー(あらかじめ決めておいた観点について網羅的に述べ、それ以外は述べない)になっていないですよね。…ギクッ。ひとのことはいえないなぁ。(棒読み)

・同(2006年12月4日)
 http://www2.kpu.ac.jp/life_environ/info_environ/envinfo_hspc/envinfo_hspc_paper2006.pdf

 2006年度にも行なわれたということです。

 > 昨年に引き続き、高校生懸賞論文コンテストに多数の優秀な論文の応募をいただくことにより、この時代の高校生の志向や夢を生の声で知るという大きな収穫を得ることができました。

 「高校生懸賞論文コンテスト」、…「高校生懸賞論文コンテスト」。うーん。「高校生京都理系論文賞コンテスト」という名称に決めたのでしょ&本文中では一貫していないといかんでしょ。省略するときは「本コンテスト」。これだね。(※見解です。)

 > 主催者としての喜びは大きく、また教育者としても励まされております。

 小町的にカワサキ「じぶんでじぶんを○○者とか○○家とかいっちゃうひと低〜い!!」のほうなど…ゲフンゲフン。空港第2ビルから一路「ナリタニストロード」については[3189]を参照。

 > コンテスト実施の概要をとりまとめた記事は8月2日付けの京都新聞に掲載され、広く府下全域に紹介されております。

 記事を書いたのは京都新聞殿なのに、あたかもじぶんが「とりまとめた」かのように…しつれーしちゃうワ。(外部のひとの仕事に対して「とりまとめた(=じぶんがしたのは「とりまとめ」だけなんです@いや〜、それほどでも!)」などと謙譲的な表現は使えませんよね、の意。)それに、京都新聞に載るということは自動的に「広く府下全域」なんですから、わざわざ繰り返さなくてもねぇ。(※個人の感想です。)

 …じゃなくてですね。(目上の者が)賞を懸けて(目下の者の)論文の出来栄えを競わせて高みから見物する(※)イヴェントのことを(もっぱら文系でいう)「懸賞論文」というのですよ&「論文コンテスト」というとテクニカルすぎる印象が出ませんかねぇ。『理系を目指す高校生の「わたしと研究」エッセイコンクール』(※なぜにフランス語だし)くらいがいいのではないんですかねぇ。(※私見です&しかもいまさら…きわめてメッソウではございます。)

・「とりまとめ」とはにわ
 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8567630.html

 > 物事を望ましい状態にしてきまりをつける。「縁談を―・める」

 「望ましい状態」などと決めつけて動く差し出がましさをお許しいただこうなどと(違)この場合、