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[2935]で、研究開発の態勢について云々しました。ちょうど、青色LEDの功績でノーベル賞(物理学賞)を3名同時に受賞されたというニュースも伝わってきたところで、分野は異なりますが、研究開発はいま、旬の話題かと思います。
・朝日新聞「赤崎さん、不屈の挑戦 「我ひとり荒野をいく」で続ける」(2014/10/7)
http://www.asahi.com/articles/ASGB76S44GB7ULBJ02Z.html
> 世界では60年代の終わりごろから、窒化ガリウムを使う青色LEDの開発で、研究者がしのぎを削った。だが、結晶の品質がよくならず、発光させるために必要なプラスの電気を帯びた結晶もできない。そのため、ほとんどは窒化ガリウムに見切りをつけて去り、70年代半ばには下火になっていた。
材料系には疎くて恐縮ですが、誰が考えても窒化ガリウムが候補だったのか、窒化ガリウムが候補だとする論文があったのかはわかりませんが、いずれにしてもアイデアだけでは功績にならず、やはり実現しないといけないんだということを強く再認識させられます。
※と、毎年のノーベルウィークにはどんな分野の研究者も大学院生も一度は思うはずですが、1年も経たないうちに忘れてしまうのです。
・読売新聞「「若い人にチャンスあると示せた」…中村教授」(2014/10/7)
http://www.yomiuri.co.jp/science/20141007-OYT1T50131.html?from=ytop_main2
> 「私は四国から出たことがない人間だった。若い人には、誰でも頑張ればこういうチャンスがあるということを示せたと思う」
近日まとめようと思っていた話題に「CPUの創りかた」([2286])があるのですが、この本を紹介した記事に、まさに中村氏の意図するところと共通する趣旨の一文があります。
・日経エレクトロニクス「個人にCPUは自作できるか?」(2009/8/4)
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20090804/173837/?rt=nocnt
> 売られている製品が「個人とは関係ないすごい技術を使って作られている」ということを強調しすぎると,初めから技術に興味が持てなくなってしまうのではないか,と思うのです。
> 「CPUの創りかた」という本
> 実は自分もこの本を持っています。(中略)中も読まずに本棚に放り込んでいました。これを機会に内容をざっと見てみると,思っていたのと違いました。
> 簡単な仕様のCPUを設計し,汎用ロジックICを組み合わせて実際に作ってしまうという本だったのです。
> 私はこの本の真価は「最先端のCPUであっても,この本で作った簡単なCPUから『地続き』である」ということを明示している点にあると思いました。
> 優れた技術を尊敬することはもちろん大切です。しかし,そこに地続き感がないと,わけもわからず奉ったり,「自分は利用さえできればいい」という態度に陥ったりすることになります。若い人に「技術の地続き感」を持ってもらうにはどうすればいいのか,メディアの立場からも考えていかなければならないと思っています。
ATOSについて「わけもわからず奉ったり」「「自分は利用さえできればいい」という態度に陥ったり」していませんか? それは単に個人の趣味、興味・関心の問題に留まらず、将来の社会的損失(育つはずだった人材が育たないまま未来が来てしまった)にもつながりかねません。…といったことを書きかけていたところに、ぴったりなメッセージを中村氏も発していたのでした。
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