フォーラム - neorail.jp R16
発行:2017/7/12
更新:2019/4/2

[3509]

【どうなる京成線】

【鉄算用】「市原緑地運動公園」を「千葉県環境研究センター」で読み解く(談)【新茂原】


既設の鉄道線の電化工事にかかる工期は一般にどのくらいですか?
小湊鉄道線の車両はどこから搬入・搬出されるのですか?
「市原市営地下鉄」はありえないけど、第三種「京葉臨海高速鉄道」はありえるかもしれない

(約17000字)

 線路編([3504])およびプロパルジョン編([3506])の続きで、久々の「鉄算用」でございます。


★既設の鉄道線の電化工事にかかる工期は一般にどのくらいですか?


・「電化」のタイムラインの1例です
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%B1%8A%E7%B7%9A

 > 19.3km

 > xxx0年3月18日の**定例社長会見において、**線全線の電化工事が発表された。xxx0年3月から工事が開始され、xxx5年3月1日に電化開業した。

 着工の直前に発表というのが(期間を短く印象づけるという意味で)ズルい感じですけど、5年だということです。

[3103]
 > 「適時開示情報」の発信が促された結果、安易に「ノーコメント」できなくなって、苦肉の策として「決定の事実はありません(キリッ」と、いわば開き直るしかなくなったという面もあるでしょう。それでもベストを尽くす(不誠実な対応は仮にも一時的にもしない=後から訂正すればいいんだ、そんなもの、などと不そんな態度をとってはならない=「あざとい業界」[3058]も参照)には、黒沼氏が指摘しているように、発表を前倒しにする、もっと進めば、大事なことほど検討段階から何でも公表しておく、自社が何に迷っているのかをハズカシがらずツマビラカにしておく(実用化やサービスインに至らない研究開発の途中の段階でも、論文や特許として公表される⇒ぜんぶがぜんぶ最終製品に使われるとは限らず、ちょっとでも可能性のあるものはぜんぶ固めておく(一種の「迷い」)⇒事業の先行きが確率的にツマビラカになる≒公表されているうちのどれかにはなるだろうと、誰もが予想できる⇒そして予想が楽しくウラギラレル=そこにアコガレルという形で技術者や研究者のタマゴが育っていく)、ということへと進んでいくのかなぁ、などと想像されます。

 そういう意味で、この一連の記事(「小湊鉄道線を読み解く」)も「どれかにはなるだろう」と予想してみて、それでもなお「楽しくウラギラレル」という期待をかけながら、ワクワクしようという話題なのであります。ワクワクしなくなったら試合終了っ…えーっ。

 日本ではできないことですが、「諸外国!」には、庶民(※)がいろいろなテーマであれこれ予想しては“賭け”をするという文化を持つ国もあることが知られてございます…というか、とっても有名です。これ、実はとてつもなく「分野を問わず共通する基礎的な研究能力」([3479])のようなものを養うことにつながっているのではないかといって、うらやましく眺めるところでございます。(※日本ではゼッタイだめです! 念のため。)予想が外れたら「いや〜、今回の予想はむずかしかったんだよ!」といい、当たってもやっぱり「いや〜、今回の予想はむずかしかったんだよ!」といって…いかにむずかしい予想をしたのかを競うとでもいいましょうか、先行きがわからないものほどもえるんだと、たぶんこういうわけです。

※いや〜、たまたま仕事はブルーカラーだけどココロは紳士だぜ★…みたいなぁ?(※恐縮です。)

[3434]
 > 「予想と違う!」といいながら、実は具体的な予想などしていなかったということってありますよねぇ(「札幌の時計台よりがっかり」[3403])。わたしたち、情報がなければ(身体的な感覚で)海の深さは700mくらい(身長の400倍くらい)だと予想し、未知の大陸は大きいに違いないと思いこむわけでございます。そして、大江戸線や千葉都市モノレールに乗って初めて「狭っ!!」と感じるわけでございます。

※「ニューデイズモノレール千葉」については[3506]を参照。

[3059]
 > > 小・中・高の教育課程でその元気がだんだんなくなっていくのが典型的なパターン。社会人になってからだと、自然に自己主張できる人は極わずかだ。アイディアがあっても表現できない。意見が伝えられない。奮って参加するどころか、とにかく目立たないようにするのが普通みたい。

 > > 一流大学生でも、意見があっても言えない人が多い。そもそも意見がない人も多い。 学生だけではない。先生も社会人も同じ悩みを持っている人が少なくない。もっとも、恐ろしいのは悩んでいない人だ。なぜなら、彼らはそもそも自覚していないのだから。

 > > そこで、僕は立ち上がりたい...ちょっとだけ。

 「意見」と「予想」は別物ではあるんですけど、必要とする能力や情報というのは、かなり共通しているのではないかなぁ。その上で「意見」を醸成するのはかなりむずかしい上に責任を伴いますし、当事者でもないのになんでも「意見」を述べるというのもはばかられます。しかし、もう少し中立的なところで、なかば自動的に、なんでも「予想」してみよう(≒予想もせずに結果が来るのを漫然と待つことは避けよう)というのは、そもそもまずじぶん(たち)のためになるんですよ。本当でしょうか。それこそ「予想」してみていただきたいかなぁ。(恐縮です。)

[3477]
 > 先に「考察」のしかたを考えておかないといけない。それを「予想」(「仮説」)ともいう

[3312]
 > drinking:一杯やっか、飲酒をともなう。convivial:一杯やりながらの、飲酒をともなう。どちらにしても飲むんですね、わかります。

 > レクチャーなしにディベートしても、素朴すぎて意味が乏しいですし(※1)、自分の知っていることだけでディベートしていては=コロキーがなければ、発展も成熟もありません(※2)。コロキーなディベートに、いわば「酔っている」だけでは、それはあなた自身の利益(満足感や充足感、いわゆる「いま何かをしている感」)にしかならず、公共の、そして将来の利益のためにはフィルムから問題を発見していくことが重要といえます。さらに、フィルムばかり集めていても、そこから問題を発見したり、新しいレクチャーへとつながるようなコロキーをしていけない限り、これまた単なるコレクション自慢に陥ってしまいます。コロキーにしても、フィルムによる裏付けとディベートによる吟味がなければなりませんし、そうして確立したならば「秘蔵」「秘伝」していてはだめで、公開でレクチャーしていかなければいけません。

 とっておきのアイデアがあるのだけれど、そのうち特許を取りたいだとか、ここぞというコンペで提案しようだとかいって「秘蔵」しているような専門家というのは、…なんだかなぁ。社会において、その仕事をあなたがするということにはほとんど意味がなく、誰でもいいから早くしてほしい、というニーズがあるわけですよ。いますぐじぶんが取り組めないけれどもアイデアはある、といえば、それはいますぐ取り組める、別の専門家に託されるべきなんですよ。(じぶんの会社や事務所が)もうける機会が逃げてゆくぅ…とんでもない! 現に忙しいということは、可能なもうけをきちんと得ているということではないですか。…その発想はなかった!(棒読み)

・「賭けとイギリス人」ちくま新書(1995年4月19日)
 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480056306/

・「イギリス人は何にでも賭ける」(2004年5月25日)