・【市原市】小湊鉄道線こそが地域の課題:京成千原線の延伸も関係か ・【市原市】駅勢圏を「再定義」 ・小湊鉄道線・五井−上総牛久間での増発に必要な整備、市原市が費用を負担か ・小湊鉄道線の増発を「駅間距離」で読み解く(試) ・小湊鉄道線「(旧)西広駅」「(旧)佐是駅」(1944年) ・表5151 何か的なもの(仮)
(約11000字)
[3256],[3236]に関連して、やはり気になるのが「海士有木のほう!」ですね、わかります!
・Google ストリートビュー 「ちはら台駅」付近
https://goo.gl/maps/GJSA9xap6152
駅の南側は、(立体的な)道路の整備との兼ね合いもあってのことでしょうか、限りなく、線路だけは「完成形!」を示しているように感じられそうです。(あくまで印象です。)
・Google ストリートビュー 「(当初計画?)ここかっ、ここなのかっ!?」付近
https://goo.gl/maps/bAQ1928DPco
https://goo.gl/maps/NdDkFJXQPjF2
https://goo.gl/maps/j5DdQkMC2yF2
https://goo.gl/maps/ZXWPnuLz5H52
https://goo.gl/maps/XWxcj8WC8W92
https://goo.gl/maps/dhgBzg6NMpk
https://goo.gl/maps/XJArhvszoan
https://goo.gl/maps/F3BU6pfuyjA2
https://goo.gl/maps/ywm9FzNnh8Q2
https://goo.gl/maps/f58PyKjkgF82
https://goo.gl/maps/5d6b3GoGmrC2
順に、▼「村田川」橋梁に向かって曲線、▼「県道14号線(茂原街道)」付近、▼「辰巳台」付近、▼池のほとりで曲線、その先の道路付近、▼「県道21号線の不自然な擁壁」付近、▼市原市能満付近(道路の拡幅?工事中)、▼「市原市埋蔵文化財調査センター」近くの「菜の花」付近(※)、▼「山倉ダム西側交差点」付近の「定期借地」っぽい店舗付近(ゴルフ練習場も含むかどうかは不明)、▼「道路を挟んで両側に広がる駐車場」(市原市東国分寺台3丁目)付近、▼「住宅と住宅の間にいきなりある駐車場と道路を挟んで広がる広大な未利用地」(市原市西広5丁目)付近、▼「いきなり広がる直線的な土地」付近です。
※「新規築堤!」で、埋まっているものは埋まったまま工事できないものでしょうか。
・Google ストリートビュー 「海士有木駅」付近
https://goo.gl/maps/bW9V7d1kjMs
五井方の線路北側が高台になっているようすが見えます。
・「山倉ダム」
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0663
> 千葉県営として初の工業用水道の水源。市原市などの京葉臨海コンビナートに立地する企業へ工業用水を供給。養老川から取水して、ポンプで山倉ダムに揚水し貯留している。
> 着工 1959
> 竣工 1964
> 鹿島建設
※後述。
・インプレス「世界最大の水上設置型メガソーラー、千葉県・山倉ダムに建設開始」(2016年1月2日)
http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/20160121_740077.html
http://kaden.watch.impress.co.jp/img/kdw/docs/740/077/10.jpg
●【市原市】小湊鉄道線こそが地域の課題:京成千原線の延伸も関係か
なぜ海士有木までの免許なのかといって、その実、▼バイパス機能、などという輸送上のソレにもまして、▼小湊鉄道の車両基地を移転して五井駅前を***! という、京成グループよりも小湊鉄道の動向(や意向)いかんという依存関係があるのではないかなぁ、と邪推してみます。
・Google ストリートビュー 「五井駅」付近
https://goo.gl/maps/3BgyNmJbbQR2
この広さを、どこか別の場所で、といって、海士有木の次の上総三又駅のほうなど眺めてみましたが、おお、広くはあっても、車両基地ではなく、まずは「行違い設備」なんですね、と、(ウィキペディアを通じて)市原市の資料を参照してわかりました。
・Google ストリートビュー 「上総三又駅」付近
https://goo.gl/maps/eB4QnV8uVZB2
・ウィキペディア「上総三又駅」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%B7%8F%E4%B8%89%E5%8F%88%E9%A7%85
> 今後、行き違い施設の整備が行われる予定である。
その出典が「リンク切れ」になっております。
・市原市「市原市交通マスタープラン」(2014年1月15日)
https://www.city.ichihara.chiba.jp/kurashi/kotsu/kotsu/oshirase/plan.html
・同「施策の実施時期と事業主体一覧」
https://www.city.ichihara.chiba.jp/kurashi/kotsu/kotsu/oshirase/plan.files/11-jissiitiran.pdf
> 小湊鐵道新駅設置:短期(H27):◎交通事業者(主体)、○市原市(直接)
> すれ違いのできる駅の増加:短期(H27):◎交通事業者(主体)、○市原市(直接)
> 車両や駅施設の環境整備:短期(H27)→中期(H31):◎交通事業者(主体)、○市原市(直接)
おお、そのような計画があったんですね、といって、詳しく読んでみます。(しかし、ここでは計画全体のうちの一部に過ぎない、小湊鉄道線に関する事項のみ読みます。恐縮です。)
なお、小湊鉄道線は、終点の上総中野駅(いすみ鉄道と接続)を除いて、ほぼ全線が市原市内を通っています。市原市がこんなに広いなんて…と、ちょっと驚けます。ワー。そのような立地からしても、小湊鉄道線がいかにあるべきかというのが、千葉県というよりは市原市の課題であるというのがよくわかる…ような気がしてくるかもしれません。
・市原市「市の概要」
http://www.city.ichihara.chiba.jp/joho/profile/sigaiyou.html
http://www.city.ichihara.chiba.jp/joho/profile/sigaiyou.images/tiikikubunzu.gif
> 江戸から大正時代にかけては、本市を縦貫する養老川は、物資輸送の幹線として利用されました。
> 昭和38年5月、五井、市原、姉崎、市津、三和の5町が合併して市原市が誕生。さらに昭和42年10月、南総町、加茂村が合併して1郡1市の今日の姿になりました。
養老川と国道297号線(大多喜街道)、それに小湊鉄道線が交差する地点があり、おお、二日市場(後述)といって、その実、水運の時代から栄えているんですね、とシノバレましょう。
・京葉ガス「房総の古街道」
http://www.keiyogas.co.jp/home/park/hureai/kokaido/index.html
・小湊鉄道「営業路線図」
http://www.kominato.co.jp/buhin/map.pdf
京葉ガスのページで、小湊鉄道バスを乗り継いであちこちへ行こうという記述が見られますが、小湊鉄道の路線図をみますと、おお、実にくまなくバスの路線網があることがわかります。
●【市原市】駅勢圏を「再定義」
・同「5.交通基本計画1〜5」
https://www.city.ichihara.chiba.jp/kurashi/kotsu/kotsu/oshirase/plan.files/7-5syou1-5.pdf
> これまで本市では、交通空白地域を「JR、京成電鉄の各駅から1km以遠」、「小湊鐵道の各駅から700m以遠」、「バス停留所から500m以遠」の地域で人口集積のある地域と定めていました。
> しかし、小湊鐵道駅周辺の土地利用規制緩和(平成21年9月25日施行)が行われ、各種の条件はあるものの、小湊鐵道駅から1km圏内での宅地開発が可能となりました。そこで、今後の交通施策を検討するにあたり、きめ細やかな交通サービスを提供するため、駅や停留所へのアクセス性を考慮した公共交通サービス圏を新たに定めるとともに、交通空白地域の考え方も再定義することとします。
おお、小湊鉄道線を中量扱いでなく、きちんと鉄道扱いするということですね。これはすごい「再定義」だと実感されましょう。駅勢圏をJR線、京成線と同じに広げるということは、駅施設や駅前広場の広さなど、少なくとも市原市内のJR線、理想的には千葉急行電鉄(「公団のにおい」で「現在の水準!」、の意)と同じ基準で決めていく(都市計画に反映していく)ということだと理解されます。
> 『勾配』を歩き難さを表す要因と考え、バリアフリー整備基準と同等の*縦断勾配5%を基準に、縦断勾配の平均値が5%を超えるバス勢圏の徒歩圏域を半減して250mと定義します。
おおー、スバラシイ。
> 今後、実態調査などを行い、交通空白地域を詳細に設定いたします。
とのことで、その結果を待とうではありませんか、といって、みなさま、首が長くなりそうです。
●小湊鉄道線・五井−上総牛久間での増発に必要な整備、市原市が費用を負担か
小湊鉄道に関する施策の説明は110ページにあります。
> 小湊鐵道のより有効な活用を目指して、人口集積のある国分寺台付近などへの新駅設置の可能性を検討し、設置の働きかけを行います。
> 小湊鐵道は単線であるため、駅で列車がすれ違いできるよう、切換えポイントの整備を行う必要があります。
> 南部地域では学校再編に伴う児童・生徒の通学利用や沿線住民の生活交通に加え、観光需要に対応した小湊鐵道の活性化、利便性向上が重要となっています。
> また、利用者の多い上総牛久駅―五井駅間においても、すれ違いができる箇所を増やすことが利便性の向上につながります。
先に参照した表で、市原市が「直接」との記載があり、市原市の費用負担で、小湊鉄道が線路の改修を行なうという事業が想像されますが、信号の改修費用は小湊鉄道が負担するのか、そこを市原市が負担するんだとなると、他のあらゆる『ローカル線』がこぞって、CTCの更新費用を地元に期待するようになってしまうのではないかなど、こう、この地域だけに限らない視点での懸念もありそうだと心配されます。(あくまで勝手な心配です。)
> ○辰巳台地区においては、長期的に京成千原線の延伸を睨みながらも当面は、外房線沿線と内房線沿線を結ぶバスの乗り換え機能の強化を目指します。
…とのことです。しかし、「あきらめた!」とはしていないところが「力強い」とも受け止められそうです。本当でしょうか。なお、この資料でいう「長期」とは「平成31年」(2019年)で、おお、ちはら台−海士有木間の免許の当面の期限([3256])と一致するではないですか。うーん。
・Google ストリートビュー 「人口集積のある国分寺台」付近
https://goo.gl/maps/LgmMtntrrey
そして「人口集積のある国分寺台」といって、え゛ーっ! いうはやすしのナントヤラ、駅に適した土地がありませんよ、と(素人ながら)見受けられます。駅間距離も適切ではなくなります。新駅を造る代わりに、両隣の駅は廃止だ、というセットな施策にならないと、上述の「再定義」とも整合しなくなってしまいます。
他方で、本当に「人口集積のある国分寺台」に小湊鉄道の駅が集約されるとなれば、京成千原線の計画には追い風ともなりえそうです。その場合、「山倉ダム西側」交差点付近から、道路の直下の地下など通って、「人口集積のある国分寺台」の新駅で行き止まりと、もう、これ以上の延伸も、小湊鉄道線への乗り入れなども、いっさい考えないという構造での整備となったり、するのでしょうか。いまのところ、どのような計画が模索されているのか、気になりますが、不明です。
「利用者の多い上総牛久駅―五井駅間」との記述からは、おお、『バスタ上総牛久!』でも造りたそうですね、と想像されてしまいました。鉄道として「駅勢圏を1kmに!」といえるのも、線形や周囲の地形から、この区間が限度だということだと読み解かれそうです。
●小湊鉄道線の増発を「駅間距離」で読み解く(試)
・Google ストリートビュー 「上総山田駅」付近
https://goo.gl/maps/rcNKxeaa1hm
https://goo.gl/maps/mdzfG1voyBF2
ほとんどの駅が既に「行違い設備」を有している中、おお、ないのは上総三又駅だけだとわかりました。そして、なぜ上総三又駅に行違い設備がないかといえば、おお、ダイヤ上、▼馬立−上総牛久間(4.0km)、それに▼五井−上総村上間(2.5km)の途中に駅がないことがボトルネックで、上総三又駅には行違い設備が必要ではなかったのだろう(=当時)と、順を追って理解できそうです。
・Google ストリートビュー 「上総牛久駅」付近
https://goo.gl/maps/KiGjTqpuNYK2
https://goo.gl/maps/i1zejUA3gjp
https://goo.gl/maps/HpKVvgDibTk
この観点(単線のまま「全駅で交換!」のダイヤを目指す施設拡充の方策)では、五井−上総三又間(7.2km)において、駅間距離が2.0kmほどになるよう、駅が再編されるか、部分的に複線化されることが期待されるとわかります。
「人口集積のある国分寺台」に新駅を、という前提では、▼海士有木駅はそのままで問題なく(上総三又駅から1.8km)、▼「人口集積のある国分寺台」の大きな道路に面した位置では海士有木駅から1.2kmで近すぎ、▼少し五井方の直線区間で1.7kmほどですが道路とのつながりがあまりよろしくなく、という状況だと読み解かれます。
また、直線区間に新駅を、といいますと、▼上総村上駅との距離が1.2kmになってしまい、(単線としては)うまく収まりません。そして、▼五井−上総村上間の2.5kmが何とかならないか、といって、館山自動車道の近くに…などと、いえいえいえ、「京葉高校入口交差点」付近のほうがもっと適切だろうといって、上総村上駅はそのまま、五井−上総村上間に新駅で行違いだ、といって、うーん、▼五井駅から1.4kmほどとなり、また、▼そこから上総村上駅までが1.1kmと、こう、駅間距離を均一にしようなどという方策があまり成り立たない土地利用であると理解されてくるような気がします。(あくまで気のせいです。)
駅間距離がばらばらになる区間は複線化だっ! …などと「鼻息の荒い」施策が目指されると話はだいぶ、違ってくるでしょう。小湊鉄道線が非電化であることはむしろ、(部分)複線化への敷居が低いということでもあると思います。
■表5151 何か的なもの(仮)1 | 五井−上総牛久間 | 16.4km | 2 | (五井−上総山田間、上総山田−上総牛久間) | 8.2km | 4 | (上総山田−馬立間、馬立−上総牛久間) | 4.1km | 8 | | 2.0km |
五井−上総牛久間で、仮には東武野田線のような運行(単線区間はあるがきちんと運行されている、の意)を目指されるとあらば、表5151に示す駅間距離(行違い設備の設置間隔)を目指されたい、さすればフリークエントなダイヤが実現されましょうぞ、ということだと早合点されます。(あくまで早合点です。)
※駅間距離がいかんともばらつく区間では、運転速度や、駅での時間調整で揃えていくというダイヤが組まれるのだろうと想像できましょう。しかし、それらの調整の余力がほとんどないとなれば、やはり駅間距離をこそ揃えられたい、という話に戻ってくるでしょう。
また、現在は、五井→上総牛久間(下り)の所要時間は28分(29分の列車も)で、いわゆる「表定速度」([3075])は35.1km/hと電卓されました。▼南武線(支線)の尻手−浜川崎間(35.1km/h)や▼烏山線の宝積寺−烏山間(35.0km/h)とほぼ同じで、▼池袋−赤羽間の湘南新宿ライン特別快速(33.0km/h)より速いということです。おおー。
「ここに駅がほしい!」などと、いうはやすしのナントヤラ、だということです。光風台駅ができてもなお、ダイヤ上は、光風台駅の行違い設備をほとんどアテにできない(ほかの区間の制約で列車本数や時隔が決まっている=光風台駅は増発の役には立っていない)という状況にあるのではないかと想像できましょう。(あくまで想像です。)
・Google ストリートビュー 「五井駅から1.4kmほど」付近(「京葉高校入口交差点」付近)
https://goo.gl/maps/i8JZnijNnv32
https://goo.gl/maps/wyePpijeybz
こう、趣味で小湊鉄道線に乗る人にありがちな「ワー! まどのそとのシャソウが***!!」(『実際に乗ってみながら考えた!』)だけでは、周辺の土地利用を大きく誤解する恐れがあります。道路の交通量など、ストリートビューも援用して把握してから「意けん!」をいわないと、(後から)ハズカシイですよ、などとのたもうてみます。(マコトに恐縮です。)
・Google Earth 「上総牛久駅」付近から「五井駅」(養老川の河口付近)を望む
https://goo.gl/maps/j64wqYLaXR52
・Google ストリートビュー 「スターバックスコーヒー市原店」付近
https://goo.gl/maps/iijEUHYvBU42
わあぃスタバ。とりあえずスタバといって、ドライブスルーっ!!
・スターバックス コーヒー ジャパン「コンセプトストア」
http://www.starbucks.co.jp/store/concept/drive/
> ドライブ途中にお車に乗ったままドリンクやフードをオーダーしてピックアップし、そのままスルー。
> 広々とした店内の席はもちろん、テラス席も充実しており、お客様のお好きな場所でお好きな使い方のできるお店です。
「コンセプトストア」の1つとして「ドライブスルー」が位置づけられていることがわかります。
・Google ストリートビュー 「五井駅前」付近
https://goo.gl/maps/tqzw5vWpudr
他方、「バスで十分だ!」などと、五井駅のごく近くだけ見て「意けん!」するのも、なんだかなぁ、と思われてきそうです。山奥を延々と走るバスは別としまして、「バスで15分」、すなわち「5kmくらい」が、バスがサービスすることが望まれる(実際によく利用される)範囲の限界ではないでしょうか。(個人的な実感です。)
再び、市原市の資料です。
> 91ページ
> 一方、公共交通サービスが希薄な加茂地区で「バスに求めるものはない・利用しない」との意見が3割も挙げられています。
> 自家用車での移動が中心で、多くの方が「運転ができなくなるまで運転する」という考えであることがわかりました。しかし、運転できない方を抱える一部の地域では、「近所の方と共同で買物に出かける、送迎してもらう」などのコミュニティによるサポートがなされています。
> 107ページ
> 公共交通利用者を増加させるためには、自家用車から他の交通手段への転換が必要であり、市民の交通行動を変えるための意識改革が必要となります。
> このことから、自発的な行動の転換を促すモビリティ・マネジメントに取組みます。
> ○バス路線マップやバス時刻表などの情報を配布することにより、利用者が正確な運行情報を把握することで、バス交通に関する不安感を解消し、新たな利用につなげます。
> ○公共交通を大切にする心を育むとともに、公共交通を利用する習慣を身に付けることを目指して、児童・生徒への教育活動を推進します。
既に高齢の方に、あれこれ、これまでと違う行動様式をば、というのは、きわめてストレスになりましょう。行政や交通の事業者としては、若い人が「自転車や自家用車さえあれば公共交通など要らない!」と、公共交通の意義を知らないまま「意見」を述べるようになってしまうことのほうこそ、防がなければあやういと見受けられます。(子どもを飛行機の旅や特急列車の旅にご招待する話[2968]も参照。)
●小湊鉄道線「(旧)西広駅」「(旧)佐是駅」(1944年)
相模線とも似て([3140],[3141])、実は戦時中に廃止された駅の事実上の「復活」としての「新駅」であるのかなぁ、といって、おお、そういう気配もちょっとあるようです。
・ウィキペディア「小湊鉄道線」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B9%8A%E9%89%84%E9%81%93%E7%B7%9A
> 西広駅 -1944
> 二日市場駅 -1944
> 佐是駅 -1944
・Google ストリートビュー 「二日市場2号踏切」付近ほか
https://goo.gl/maps/VKjiZyveM3S2
https://goo.gl/maps/Q7aQviwa3TC2
ここですね。限りなくここですね。
・Google ストリートビュー 「(旧)西広駅」付近(推定)
https://goo.gl/maps/eYSD5kUKvWw
資料なし、知識なしでいきなり探るには、現地に残された手がかりといって、その実、この踏切に面した古そうな擁壁と階段しか見当たりませんでした。うーん。
・Google ストリートビュー 「(旧)佐是駅」付近
https://goo.gl/maps/JGKh153sW6J2
https://goo.gl/maps/ALkdaDu1zt22
あくまで推定ですが…いろいろ調べられている個人のページなどありそうだと予想しつつ、見つかりませんでした。東京から遠いことと、わざわざ小湊鉄道線に着目する人の視点が何かこう、レトロレトロしていて、あまり突きつめて調べようという「冷たさ」がないのか、そこまではわかりかねます。
もう少し探したところ、ありました!
・個人のブログ「佐是城址(佐瀬城址)」(2013年11月19日)
http://biisuke0822.blog.fc2.com/blog-entry-1003.html
http://blog-imgs-46.fc2.com/b/i/i/biisuke0822/20131124181836604.jpg
> 佐瀬城址内戦国末期の館跡 と記されています。
> 縄張り図が描かれた別な城址碑もありました。
> いわゆる堀之内
ぬおー! 堀之内っ! レッツ堀之内!(***堀之内だいすき。[3168])
・Google ストリートビュー 「(旧)佐是駅がわからなくなってきました」付近
https://goo.gl/maps/kZBiXoqgb982
https://goo.gl/maps/UJoc6jmcZsC2
あわせて、小湊鉄道の歴史がウィキペディアよりもよくわかりそうなページを参照してみます。(ウィキペディアでも傍証的に参照はされていますが、元の記事がいまいち視点が不明確であり、結果として、さらによくわからないことになっているような…感想は個人です。)
・鹿島「幻の小湊鉄道小湊駅 ―大正時代から続く鹿島とのつながり―」
http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki37/index-j.html
> 鹿島は、大正期から現在まで小湊鉄道線のほとんどすべての施工にかかわっているが、このたび小湊鉄道と鹿島の資料から、幻の小湊駅の存在が明らかになった。
おおー、さすがです! 大正時代に入ってから事業化された小湊鉄道は、かなり新しい部類に入る(※)もので、最初から「文書主義」がなされていたとうかがわれてきます。探せば必ず資料がある、と信じたくなってきます。
※仮には、日立グループなども同じくらい「新しい部類」に入る企業体だと説明されましょう。「江戸時代」を、ほとんど引きずっていない(「近代的法学教育を経ていない裁判官」[3125]も参照)、最初から「近代的な会社」として立ち上がっている、ということです。
> 当時、沿線で最も栄えていたのが城下町鶴舞(現・市原市鶴舞)である。
> 小湊鉄道線の建設に最も熱心だったのが、この鶴舞の地主層だった。彼等が中心的株主となり、大正6(1917)年5月、資本金150万円(現在の価値で約2億7500万円)の小湊鉄道株式会社が設立された。
> 鶴舞出身の奥村三郎が安田財閥系の九十八銀行(後の千葉銀行)頭取だった縁から、大正9(1920)年3月、安田善次郎宛の紹介状を書いてもらい、発起人の一人、永島勘左衛門が安田邸に日参、懇願し、ようやく出資してもらえることとなった。
レッツ千葉銀行! 千葉銀行はいまも千葉っ!
> 浜田慶造は元軍人で、鹿島組にいつ入社したかは定かではないが大正期に鉄道工事現場を歴任、津和野線などの施工に携わっていた。
> 小湊鉄道線工事起工の4か月前、関東大震災が起こる。大礒や房総半島南端で1〜2mの地殻変動があったと国土地理院のホームページには書かれている。「房総半島は平均1.8mも隆起し、南東方向へ2〜3m移動した。線路も動き、軟弱地盤では排水用の土管が陥没(土地が隆起したため陥没したように見える)、橋台は倒れ、橋脚は折れ曲がった」と手記を残した鹿島組社員もいた。この当時房総半島の鉄道で鹿島が施工した区間はなかったが、社員は鉄道復旧工事や海底が押し上げられた港湾の排水、締切、掘り下げ工事などに駆り出された。
> 第一期工事区間の五井―里見間25.8kmは、養老川沿いの起伏の少ない場所であった。しかし距離が長いため、鹿島組はここを4工区に分け、それぞれに事務所を構えた。起点となる五井の出張所が一番大きく、そこに総括の真田三千蔵、助役の浜田慶造他、工務、倉庫、経理の担当者を配した。また8.6km地点の養老村山田に山田派出所、16.4km地点の明治村牛久に牛久派出所、23.8km地点の高滝村に高滝派出所を設置し、それぞれ工務担当1〜2名を配した。請負金額は376,173円(現在の価値で約49億円)とある。
> 金額の換算には、日本銀行ホームページの企業物価戦前基準指数を使用
> この区間だけで大小合わせて26もの橋が架けられた。(略)阿賀野川橋梁(1,366m 新潟県。明治44・1911年)をはじめ数多くの鉄道橋梁を施工している鹿島にとっては、特に技術を要する難しい橋梁があったわけではないが、
おおー(略)。
> 駅舎は海士有木(あまありき)駅から里見駅までの8駅は同じスタイルで作られた。
開業時の駅は、五井、海士有木、養老川、馬立、上総牛久、鶴舞町、高滝、里見と記され、えっ、7駅しかないように見えるのは気のせいでしょうか。
・Google ストリートビュー 「幻の小湊鉄道小湊駅」付近
https://goo.gl/maps/14g4Ej5hmWF2
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