・新八柱はどーなんだい。 ・らじゃーなのです! ・「横断歩道橋」(1959年)からの「立体横断施設技術基準および道路標識設置基準について」(1978年3月)を読み解く
(約8000字)
[3408],[3413]の補足です。
☆新八柱はどーなんだい。
・[3408]
> こう、全国紙でも趣味誌でもニュースサイトでも、『JRな論理!』([3183])を読み解かずんば記事など書かれへんといってですね(中略)んだんだ。
・[3260]
> 「やはり千葉支社は地下線を管轄しないはずだ。」→「市川市高谷−津田沼間の線路を保有するのはJRではないはずだ。」(仮)
新八柱は、どーなんだい。港南台とは、どー違うんだい。…ギクッ。
※港南台駅については[3154],[3390]を参照。そして、「湘南日野駅」については[3413],[3412],[3411]を参照。
・[3413]
> 横浜市の都市計画図を参照すると、確かに港南台バーズとダイエーの間の空間を指して「港南台トンネル」との表示がございます。
> 洋光台方の実質的な跨線道は、歩道も含め幅員13mにございます。この実質的な跨線道の下は、それこそタンクローリーの車列([3158])が橋の上で停車しても支えられるよう、線路の中間にも鋼管柱が並んでいます。この部分は、ホームにはなっていません。
そのあたり、類例かなぁと思われた新八柱駅について深めながら深めていければ…などと(略)。
・Google ストリートビュー 「新八柱駅」付近
https://goo.gl/maps/idrS7Hs3e252
・ウィキペディア「新八柱駅」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%85%AB%E6%9F%B1%E9%A7%85
> 開業年月日
> 1978年(昭和53年)10月2日
※港南台駅は「1973年(昭和48年)4月9日」とのことでございます。新八柱駅は「港南台駅の5年後」ですね、わかります!
> 掘割区間に駅を設けるにあたって蓋をかぶせたような形で、トンネルの中に相対式ホーム2面2線を有する。その蓋の部分の上に駅舎がある。事実上は地下駅といえるが、ホームの西船橋側先端部分は地上に露出している(蓋がない)構造である。完全な地下駅ではないため冷房設備は整備されていない。
※[3411]でウィキペディア「港南台駅」を「斬って」みたばかりですので、ここでは「斬」らないことにします。(恐縮です。)
なるほど、国鉄としても、都心から離れてポツンと地下線や地下駅がある(※換気設備からの冷房設備ならびに複数の避難経路など必要となる)のは不都合が大きいといって、何が何でも「当駅は地下駅ではない」とする一種『作文!』のほうなどなされたのではないかと邪推するものです。そして、そのおかげで、JR発足後にも、武蔵野線の新八柱−西船橋間をすんなりと千葉支社の管轄とすることができたと想像できてきそうです。(あくまで邪推の上に想像です。)
そういう「邪ねん!」のもと、わらわらとストリートビューのほうなど参照しますと、おお、これは掘割なんだと、掘割の上に、たまたま人工地盤が構築され、そこまでで鉄道施設としてはおしまいなんだと、人工地盤の上に何が造られようが、それはもう、鉄道施設ではないんだとまで決めつけられそうです。本当でしょうか。
…とはいいながら、実は避難経路を兼ねた通路や駐輪場が県道の地下に造られていたりしませんですこと?
・Google ストリートビュー 「新八柱駅」付近
https://goo.gl/maps/VshQ9p5QLty
https://goo.gl/maps/4vKBjT5vKRk
・YouTube (東松戸)→新八柱
https://youtu.be/GSjr36RdEJE?t=42m36s
・(個人のページ)「新八柱駅ホーム」のイメージです(2015年5月29日)
http://okiraku-goraku.com/2015/06/20155291.html
> 停止位置をずらすという事はホームの延伸が必要な筈・・・という事で西船橋方端部を確認してみると、やはり両方面とも数メートルホームを延伸していました。
なるほどなるほど(略)。
・Google ストリートビュー 「八柱駅」「車に注意」「歩行者注意」「横断者注意」付近
https://goo.gl/maps/GAdL6qmHxzu
https://goo.gl/maps/sAxZCYPEhi52
https://goo.gl/maps/RUJwyR74Tu82
うーん。武蔵野線の東側だけでなく、ここまで西側にもあるとなりますと、こう、『こんなこともあろうかと』…いえ、「当駅は地下駅ではない」の『作文!』が認められなかった時は地下道とつなげて換気設備とするとともに、これらを『八柱駅A1出口!』などと呼称のほうなどされつつ、鉄道事業者の負担で駅名などの標識が掲出されたのかもしれないとまで邪推してみたく…なりますよねぇ。(あくまで邪推です。)
※県道281号線の地下道の完成時期が不明です。(新八柱駅の建設当時、)『八柱駅A1出口!』などとしなければならなくなるということが起きないと確定してから、(県道側の)現在の構造物が設計されて構築されたとみられます。九段下の壁…いえ、いまから「壁!」を抜きさえすれば『八柱駅A1出口!』に早変わりするなどということはありえないとみられます。誤解なきよう。もっとも、この場所の県道に地下道が必須なのかはよくわからず、やはり新八柱駅の工事と同時期に準備した何かが無駄にならぬよう(補修などできないまま空洞があるのはよからぬといって?[3083])、活用された結果なのかなぁ、と想像してみます。横断歩道でも対応可能なのに地下道を設けてあるとなればアレですから、これはもう、何が何でも「地下道がなければならない」とする『作文!』が、こんどは道路側で必要になったりしたんでは、ないでしょうかねぇ。(まったく憶測です。メッソウでございました。)
県道ということでは、(千葉県営鉄道の起点としての!)本八幡駅と一種『同じ頭!』で考えられたのかもしれないといって、想像を広げてみようというものです。わあぃ想像っ。
・Google ストリートビュー 「新八柱駅」南西側
https://goo.gl/maps/Ztk6WAMWN2P2
・Google ストリートビュー 「県道6号線」「本八幡駅」付近
https://goo.gl/maps/hYZB9ahUdcH2
https://goo.gl/maps/BXhWq2WKFgq
https://goo.gl/maps/CTTHsfer46k
…ぐふっ。国道とも交差するので関係者が増えるぞう。新八柱と似た事例とはいえないようだとわかります。
☆らじゃーなのです!
さあさあ国土地理院のお時間がやってまいりました@じゅるるー。
・国土地理院「CKT7415-C19B-30」(1975年1月31日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1005130
武蔵野線の新八柱駅の駅部の土木が概ね完成しているように見えます。県道281号線は、武蔵野線との交差部のみが舗装された状態ですが西側の道路とはつながっておらず、地下道の出入口は見えません。そして、新八柱駅の駅部における、土木と建築の分界点といいましょうか、まさにコンクリートで構築された階段だけがにょきっと地面に表れているようすが確認できます。
地下鉄建設の発想にならいますと、ホームの両端に階段があることは避難経路として優れていますから、新八柱駅で、ホーム南側の端にも階段を設けることが検討されたとしても不自然ではないと思えてきそうです。(※正式には工事誌を確認する必要がございます。)
・国土地理院「MKT664-C1-11」(1966年10月19日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=445798
新八柱駅のホーム南側や県道281号線との交差部になる場所は山林であったことがわかります。ガス管などを移設する必要もなく、思いのままに土木構造物を構築できたとみられます。一方、武蔵野線の東側となる箇所では水路のようなものも見え、こちらは暗渠にでもされたのかなぁと想像してみます。
・Google ストリートビュー 「ダスキン松戸東(支)」付近ほか
https://goo.gl/maps/48StKcPXLgD2
https://goo.gl/maps/JNJDpdiSyuy
なるほど、流路が整えられつつ宅地になったようすがうかがえてきそうです。
・同 「千葉県和名ケ谷水門管理所」付近
https://goo.gl/maps/GKUAU7UJE9k
https://goo.gl/maps/rqCJQhHXxhL2
どちらに向かって流れるのか、簡単にはわからない感じでございます。いや〜、ここは片栗粉を使った模型で…(違)。(主に)西へ向かって流れるようでした。
・国土地理院「MKT704X-C2-6」(1970年4月23日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=545380
1970年には、新八柱駅の工事は着工されていないことがわかります。県道については、武蔵野線とは離れた場所で直線の道路が完成していることがわかります。現在ある交差点はまだ造られておらず、南東側から直線で延びているようすが見えます。(現在の「日暮交差点」にあたる箇所まで直線で延びているように見えます。)
・Google 「県道51号線」付近
https://goo.gl/maps/UmSjAtDDiDR2
(現在は)斜めに交わるのはいかんといって、交差点の前でくねくねしているんですね、わかります。
・国土地理院「KT727Y-C4-4」(1972年12月13日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=363767
武蔵野線の工事が当地付近でも着工されているようすが確認できます。水路の部分では鉄道側の構造物ができあがっているようにも見えます。北側からの掘割は、途中の斜めに交差する道路の箇所まで掘られているようすが見えます。
・Google ストリートビュー 県道51号線「陣屋前橋」付近
https://goo.gl/maps/W7oUwAeGLTP2
https://goo.gl/maps/g97HjJr6AAH2
なるほど、単に跨線橋を架けるだけでなく、配管も渡す(=関係者が多い)工事をする箇所だということですね、わかります。「陣屋前橋」「昭和四十八年九月……」との銘板が見えます。なお、2014年の時点では配管が撤去され、トラスは塗装し直されているようですが、今後も使われるものなのかはよくわかりません。
・国土地理院「KT736Y-C4-4」(1973年12月17日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=355120
駅部の工事が始まっているように見えます。また、周辺の道路がよくわからない感じに大きく変わっているようにも見えます。道路を何回かにわたって「切り換え!」ながら、すなわち、県道の交通量をうまくさばきながら工事が進められたのかなぁ、との推測にございます。(※あくまで推測です。)
・国土地理院「CKT794-C4C-8」(1979年9月9日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=1611480
新八柱駅の開業後ですが、なんと、県道281号線の地下道の出入口(4箇所)も完成しているのが確認できます。道路の標示を見ますと、なんと、横断歩道はありません。…なんと、横断歩道はありません! 必ず地下道を通りなさいということですね、わかります。(現在は地下道がありながら横断歩道も設けられています。)
・国土地理院「CKT772Y-C1-1」(1978年2月16日)
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=368773
開業(10月)の8か月前に戻ってみます。この時点で、新八柱駅の駅舎の建築が完了している(少なくとも壁と屋根が完成している)ように見えます。県道281号線の地下道の出入口は、見えません。
☆「横断歩道橋」(1959年)からの「立体横断施設技術基準および道路標識設置基準について」(1978年3月)を読み解く
県道281号線としては、県道51号線とあわせ、歩道橋の設置基準(のようなもの)に該当する交通量が見込まれていたとみられ、しかし、歩道橋ではなく地下道が設置されるに至ったと読み解けそうです。
・ウィキペディア「横断歩道橋」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%96%AD%E6%AD%A9%E9%81%93%E6%A9%8B
> 1959年(昭和34年)6月27日、愛知県清須市西枇杷島町に日本で初めての歩道橋「学童専用陸橋」(西枇杷島町横断歩道橋)が設置された。
・ウィキペディア「地下横断歩道」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E6%A8%AA%E6%96%AD%E6%AD%A9%E9%81%93
> 立体横断施設のひとつ
> 高さ・スペースなどの問題から歩道橋では実現できない時、美観を維持するためなどに採用されることが多い。
> 歩行者の昇降高さをかなり抑えられ、その分横断のための負担が少なく快適な往来が実現出来る。斜路をそなえて、自転車の通行も可としている場合も多い。大都市では、地下街や地下鉄のコンコースがその役割も兼ねている。
実は逆で、地下街や地下鉄の通路しか造れない都心部で「歩道橋じゃなくてもいいよーん☆」とするための緩和であったのではないかと邪推してみます。本当でしょうか。
> “立体横断施設技術基準および道路標識設置基準について (PDF)”. 国土交通省 (1978年3月22日)
・「都街発第13号 道企発第14号」
https://www.mlit.go.jp/road/sign/kijyun/pdf/19780322rittaioudann.pdf
> 今般別添の通り立体横断施設技術基準および道路標識設置基準を作成したので、今後これによられたく通知する。
> なお、次の通達は廃止する。
> 1 横断歩道橋の設計基準について
> 昭和40年9月27日道発第413号
> 2 立体横断施設設置要領(案)について
> 昭和42年4月27日道企発第17号
> 3 横断歩道橋の設計基準について
> 昭和47年8月1日道企発第48号
> 4 「横断歩道橋の設計基準について」の取扱いについて
> 昭和47年8月1日道企発第49号
> 以下の各号のいずれかに該当し、しかも防犯上の問題がないと認められる場合には、地下横断歩道とすることが望ましい.
> (3) 地形的条件から地下横断歩道にすることが、横断歩道橋よりも適している場合。
> (4) 積雪寒冷地域であつて、特に冬期の積雪の激しい地域に立体横断施設を設置する場合。
> 路面から頂版上面までの土被りは、必要最小限とし、地下横断歩道利用者の昇降高をできるだけ小さくできるよう考慮しなければならない。
> 土被りが3.5m以上の場合には構造物の上面及びその前後に等分布荷重として活荷重が作用するものとして計算を行うものとする。
> 出入口等には必要に応じ行先等を明記した案内板を設置するものとする。
ぬおー。札幌や仙台の地下鉄のほうなど遠目に眺めながら、まさに新八柱駅そして県道281号線と同じ時期に、そういう『作文!』がなされたやのような錯覚がしてこようというものですぞ。もっと本当でしょうか。…いえいえいえ、1978年2月には県道281号線の地下道の出入口は完成しておらず、1978年3月に「立体横断施設技術基準および道路標識設置基準について」が出され、1978年10月に新八柱駅が開業し、1979年9月には県道281号線の地下道の出入口も完成しているといって、まあ、新八柱駅の事例も巻き込まれながら新しい基準がつくられていったと読み解こうというのは、さほど無理がなさそうだと思えてきそうですよ。(※正式にはきちんと資料にあたってください&恐縮です。)
※階段にするのか自転車も通れる斜路にするのかという決定が、まず▼新八柱駅について「地下駅にあらず!(階段は北側1か所でよい)」と認められ、次に▼県道281号線について「歩道橋の代わりに地下道でよい」とする基準が出された後、おもむろに▼いざ斜路でいきまっしゃ…ゲフンゲフン。(あくまで推定です。)
そして、おお、松戸市内の立体横断施設といって[3234]も参照。
・(再掲)Google ストリートビュー 「松戸車両センター」北詰
https://goo.gl/maps/11KMviQzTHG2
※時代がまったく異なるので、ほとんど関連はございませんが、現在も新設されることがあって、その場合の利点というのはウィキペディアの記述の通りだとナットクできましょう。うん。
・Google ストリートビュー 「新八柱駅」前
https://goo.gl/maps/Mb5RaNNgueK2
https://goo.gl/maps/RRG7f9QDWzq
https://goo.gl/maps/huqc5m8RW462
この道路が新八柱駅の躯体の上で…えーっ。ロータリーの中央に樹木があるんですけど! 樹木が根を張っているんですけど!! …土被りって、こうですか!? わかりませーん!! 「もじゃ」! …じゃなくて、「咲くやこの花館」…でもなくて、樹木モクモクっ([3368])。
※相模線の「(仮称)作の口駅」([3141])も参照。
・[3141]
> 公団(どの公団かはさておき、公団)としましては、港南台駅が後年、「薄暗い」(ウィキペディア)と称されたのは残念なところで、みらい平駅では(会社は違いますが建設主体は似たような…という意味で広くは公団)「大きな吹き抜け」をば、ということになったのだろうと推測されますが、いえいえいえ、「薄暗い」と評されたくなければ、フルスクリーン型のホームドアを採用して、全体に白っぽい内装にすればいいんです。…という意味では、(これまた会社は違いますが)京王線の布田駅では最大限に配慮がなされ、一種「完成形」に到達しているといっても過言ではないのではないでしょうか。
> (仮)作の口駅でも、何よりもまず、地形に起因する土木の設計が前面に出てきますから、その勢いのままボクボクと、地元が何も注文しなければ、なかば自動的に布田駅そっくりな駅の案があがってくることでしょう、と決めつけてみます。
> 駅部を含め、実質的に掘割を拡幅しつつ、垂直なコンクリートの壁で両脇を固め(法面補強といってマス目にしたり、そうすると景観が人工的すぎるので芝生をば、などというのを、いっさいスキップして、全面コンクリート=これを指して土木ボクボクといいたく、の意)、小学校すぐの道路の地下も駅の用地となり、地上部(線路にフタをする、の意)は、現在のこ線橋のレベルにあわせてかさ上げするような格好になりつつ、そうして生まれる駅部上部が、駐輪場を備えた駅前広場となり…などと想像されます。ただし、今までどおりの事業化であれば、小学校と緑地に挟まれ、たいへん窮屈です。▼小学校の建て替えや▼緑地を取り込んだ公園の整備、▼公的施設との合築など、地元自治体が施策を「まるっと鉛筆」されることが求められてくるのではないかとも見受けられますが、何しろ「超長期」(2031〜2045年)のことですから何とも、ですね。
わたしたち、新八柱駅の駅部くらいの土被りがあれば、地下のボックスカルバートの上に樹木もオッケーだとの早合点にございます! …本当でしょうか。
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