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(約6000字)
「前編」([4424])からの続きです。
・[4424]
> 千葉に温泉は存在しない。…はずだったのだが。
> > 養老温泉
> > 塩化物泉
> 養老渓谷というリゾートは大いに認めるが泉質には期待がない。そんなのを温泉というなら、という話に過ぎない。千葉に温泉は存在しない。だからこそ長年「養老渓谷」と呼んできたのだ。「温泉」とは呼んできていないのだ。
> 冷鉱泉は冷鉱泉であり温泉ではない。中世から湯治場として名を馳せて(番付表みたいなのに載って)いなければ「温泉地」とはいえない。
> 宝塚みたいな先生が紅茶…じゃなくて、ブラタモリで出てくる番付表である。
> > 戦乱相次ぐ世の中になると、戦国大名たちは自らの領内に温泉を整え、合戦で傷を負った兵の療養に活かしたといわれています。
> 温泉がなければ合戦にならない。○か×か。
・[3647]
> > 市
> > 原
> > 京
> > 急
> …えっ。
> > 市原京急
> > 市原京急
> 市原京急っ! なにこれなにこれ!!
・[4404]
> 千葉県内を駆け抜ける赤い京急。まごうことなき赤い京急。千葉は京急である。
https://livedoor.blogimg.jp/h_nekomata/imgs/5/2/52039f70.jpg
・[4413]
> 千葉の鉄道を語るときの盲点であり、京急を語るときの盲点である。かくもわれわれは無防備な議論を展開してしまうのか。のちの世の戒めとするのであーる。
温泉はないが市原京急があるじゃないかっ。…実に、温泉はないが市原京急があるじゃないかっ!(※ソコジャナイ。)
・(2016年4月12日)
https://www.sankei.com/region/news/160412/rgn1604120057-n1.html
> 環境省の調査によると、昨年3月末現在の千葉県の温泉地数は、草津、伊香保、水上などの有名温泉地がある群馬県とさほど変わらない94カ所で、全国10位だった。
そんな数字で「草津、伊香保、水上などの有名温泉地」と並ぶかのように見せかけるなんてとんでもない。塩化物泉を除いたところで見ないと話にならない。
千葉に温泉は存在しない。利根川などから水をもらってということで、そもそも水源がないに等しい。南房総はたいへんであった。土地もなく水もない。観光客の数に頼って回転率を追求するタイプのいわゆる観光産業も成り立たない。三浦半島から船で日帰りしてほしいというのが本当のところではなかったか。それにしても東京港や横浜港などの大型船で湾口はいっぱいである。かの有名なペリー提督も嘆いていたではないか。(違)
https://www.eorc.jaxa.jp/earthview/2010/tp100707.html
> 図1は、2009年9月6日にALOS(だいち)が撮影した、三浦半島とその周辺画像です。画像中央の三浦半島と、右側の房総半島に挟まれた、幅約10kmの浦賀水道が東京湾への入り口となっています。ここは貨物船やコンテナ船、タンカーなどが1日に500隻以上航行する、世界有数の海上交通路です。
ALOSのミッションって、何なんですか。(※遠い目)なるほど施設の公開で地元のひと向けに地元の話をするやつ(※直訳)の仕込みですな。まことに地元ですな。分解能をアピールするために裏庭というか駐車場にわざと小さなものをいろいろ置いといて撮ったんですな。試写というか記念撮影ですな。えー…(てんてんてん)。
> ペリー来航で知られる浦賀・久里浜と横須賀は三浦半島の東側にあり、浦賀水道に面しています。また半島東端にある観音埼灯台は、日本初の洋式灯台として1868年に起工しました。東京湾内を航行する船舶への情報提供と航行管制を行っている東京湾海上交通センターが250mほど離れたところにありますが、ともに浦賀水道航路の安全に貢献しています。
https://www.eorc.jaxa.jp/earthview/2010/img/tp100707_01j.jpg
> 実際には、黒船の来航による混乱は、後年の創作だそうです。幕府には、オランダ政府を通じて、来航が通知されていたうえ、逆に野次馬の整理に大わらわだった様です。
> もと艦隊乗組員のビアズリー退役海軍少将が再来日した際、ペリーの記念碑がないことを嘆き、これがきっかけとなって1901年米友協会がたてました。碑には伊藤博文の筆で「北米合衆国水師提督伯理(すいしていとくペリー)上陸紀念碑」とあります。
> PRISMは地表を520〜770ナノメートル(10億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時に行いますが、ここでは直下視の画像を使っています。
> AVNIR-2の、バンド3 (610〜690ナノメートル)、バンド2 (520〜600ナノメートル)とバンド1 (420〜500ナノメートル)を赤、緑、青色に割り当てカラー合成したAVNIR-2画像を「色相(Hue)」、「彩度(Saturation)」、「明度(Intensity)」に変換(HSI変換)し、明度をPRISM画像で置き換えて再合成することで見かけ上、地上分解能2.5mのカラー画像を作成することができます。図2、3はこのように高分解能の白黒画像と低分解能のカラー画像を組み合わせて合成された高分解能のカラー画像、つまりパンシャープン画像です。
> 1253年、上総(かずさ、現在の千葉県中部)から鎌倉を目指していた日蓮上人が嵐に遭いました。
われわれはそれを追体験すべく、同じ航路で移動するのだ。いえ、嵐には遭いたくないけれど(棒読み)そこを横切る小さな船を増やす余地などない。だから、南房総に流入できる観光客の数はおのずとかなり少ないところで上限となるしかないのだ。えー…(てんてんてん)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%9B%E3%81%AE%E6%B5%A6
> 地名は妙の浦。
> 元禄地震(1703年)の際に、小湊海岸は陥没して当時の誕生寺前庭は海中に入り、現在の鯛の浦が現出したとある。この地は、明応地震や元禄地震の地震と津波によって激しく変化をとげたため(略)「妙の浦」
文字での伝承は途絶えて音だけで伝わっているという疑いがないか。えー…(てんてんてん)。鎌倉まで渡るのはあきらめ、そこらの近場をまるっと遊覧するのである。…まるっと!(※白目)▼「きょうは四ツ葉で高島流砲術。」については[4392]を参照。
・「サンキュー♥ちばフリーパス」のイメージですか
https://pbs.twimg.com/media/EILhkjLWwAI2XsV.png
・[4052]
> 夏目漱石は理系だ。○か×か。
> …いまいちど問おう! 夏目漱石は理系だ。○か×か。
・[4316]
> > 房州(房総半島)を旅した時の模様を漢文でしたためた紀行『木屑録』の批評を子規に求める
青年夏目がした青い旅とだいたい同じ移動ができる青いきっぷ。いつの時代にも青年は青い。夏は短し旅せよ夏目。(※詠嘆)
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/484270.html
https://car.watch.impress.co.jp/img/car/docs/484/270/l42.jpg
https://tainoura.jp/yuransen3.html
> ウオポート
…はひ!?
https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/tips_pict/13/57/09/650x450_13570905.jpg
> ウオポート
観光客が方向感覚をなくすようなぐるぐるの航路であるので、ちゃんと元の場所に戻ってきましたよとアピールする「ウオポート」の大げさな建物や名称は重要である。ありがとうございました。「小湊妙の浦遊覧船協業組合」でした。
https://stat.ameba.jp/user_images/20200930/18/suzukimaru-turibune/23/9f/j/o0809108014827648405.jpg
https://www.jalan.net/jalan/img/5/kuchikomi/1745/KL/71bf5_0001745020_3.jpeg
※元の場所に戻ってこないと遊覧ではなく運送になってしまう。客の勘違いで当局が検査に来たら面倒だ。(ぎゃふん)
・[3124]
> > 1962年6月16日(土)
> > 今日は新幹線車両の試運転がおこなわれると聞いていたので,6時すぎに鴨宮基地へ行ったみた.しかし様子がおかしいので関係者に尋ねたところ,送電テストをした瞬間に50サイクルを60サイクルに変換する機械が壊れてしまったとのことだった.
> 「壊れてしまった」といって、その実、わずか数日で復旧できる、そのくらいの壊れかたしかしていなかったということですね。「壊れた」と言ったのは、担当が電気ではない人だった(その人も人づてに聞いた:自分のわかる範囲では「機械が壊れた」と理解された)とか、あるいは、「機械が壊れた」というのは、見学に来た人に向けての平易な表現(「棒がポキッと」「バネがビヨヨーン」[2539]も参照)であって、厳密な意味では壊れていなかった、ということかもしれない、などと想像されます。
JAXAさんいわく「黒船の来航による混乱は、後年の創作」というのが、似ていると思いました。野次馬とも呼ばれる群衆を解散させるための方便である。怖がらせればいいのだ。その場ではそういうことにした、という事実はきっとあった。きっとですよ。(棒読み)
・[4193]
> > 西瀬橋は、少年と妖怪との交流などを描いた人気アニメの舞台のモデルとしても知られ、
> ただの橋だぎゃね。
…西瀬橋だじぇ!(※白目)
http://art61.photozou.jp/pub/592/282592/photo/115499373_624.jpg
都営浅草線の地上区間。(キリッ
・南房総市「南房総各地の花栽培」
https://www.mboso-etoko.jp/kyoudo/nougyou/hana_01.html
> 江戸時代の中頃江戸の武家屋敷や町屋に房州から元名水仙が販売されていたという記録があり、寛政4年(1792)11月には老中松平定信が安房の国を巡視した祭の紀行文「狗日記」に「保田といふあたりより水仙いとおほく咲きたり那古寺にやすらふ頃、日の入りて空も浪も紅にそめたるが、白く三日月のみ見ゆるに黒く富士の高嶺のそびへれるぞ、つかれしことも忘れにけり、歌よみしも亦忘れつ、鋸山に宿る。風あらき野じまが崎お海づらは月と花とのやどりなりけり」と記され、保田元名あたりで当時から水仙が多く栽培されていたことが窺われます。
花を花として栽培する以前は薬だったのではありませんか。どの植物が何の薬だというのは秘密中の秘密だったのではありませんか。そもそも難しいので、オランダ語はともかく、文字が読み書きできる人が栽培していたのではありませんか。えー…(てんてんてん)。
> 戦時中は一時花卉生産は中断されていたが戦後まもなく再開され、大消費地東京を控えた地の利と温暖な気候条件とが相まって栽培面積が増え続けています。
・南房総市「嶺岡の牧と酪農の発祥」
https://www.mboso-etoko.jp/kyoudo/nougyou/rakunou_01.html
> 南房総の酪農の歴史は、本県最高峰の愛宕山(408.2m)を中心とする嶺岡山系に慶長年間安房の国守里見氏が軍馬を生産するために牧を起こしたことに始まります。その後の徳川幕府も牧として管理し軍馬の生産を行っていました。
> 現在この牧の一部は千葉県畜産総合研究センター嶺岡乳牛研究所・千葉県酪農のさととして使用されています。
> 搾乳牛が多くなってくると牛乳の処理施設として、製乳製酪業者が房総に進出し、大正時代になると現在の明治乳業・森永乳業・雪印乳業につながる会社が進出してきた。
> 長年農家の貴重な現金収入の道として副業的に行われてきたが、昭和45年頃から規模拡大による多頭飼育の農家が現れる一方、小規模農家の減少が続き平成15年での安房郡市での乳牛飼養頭数は、13,109頭です。
・「なでしこポーク」とは
https://kotobank.jp/word/%E3%81%AA%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%93%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%AF-1746268
> 千葉県産の銘柄豚肉。オリーブオイル、サツマイモ、国産米を飼料に使用。
「デジタル大辞泉プラス」の説明でした。数が出ない民間のものに対しては冷淡な態度をとっておく。千葉県とは関係がない。(※見解です。)
・ウィキペディア「明応地震」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%BF%9C%E5%9C%B0%E9%9C%87
> 安房小湊
> 現・千葉県鴨川市
> 誕生寺、明応七年八月二十三日地震大海嘯のため土地陥没精舎も亦尽く没す、朱印も共に失う『安房郡誌』
> 相模鎌倉
> 現・神奈川県鎌倉市
> 水勢入大佛殿破堂舎屋『鎌倉大日記』
> この記事は疑わしく明応7年8月25日の地震との混同の可能性有としている。
・南房総市「棚田」
https://www.mboso-etoko.jp/kyoudo/nougyou/tanada_01.html
> 棚田が形成された歴史的な経緯は、あまりよくわかっていません。 平野部ではなく、水田として適さないと思われる斜面地までも水田を造成しなければ ならなくなった社会的背景とは何だったのでしょうか。
> 大山千枚田についてもいつ頃できたものなのか、よくわかりませんが、 おそらく江戸時代につくられたものだと推定されています。
「南房総市」の説明をそのままお伝えしました。鯛の浦ができるような地震があったのですから、当地でも何らかの大きな断絶があるはず。(※一般的な想像です。)
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