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(約10000字)
[4423]からの続きです。
・[3954]
> > 暫定駅前広場が整備され、本格駅前広場を2023年3月までに整備するべく事業を推進しています。総武線で唯一駅前広場が無い状況を早期に解消したいと思います。
> 2023年3月までに予定通り『本格駅前広場』が整備されると千葉市が約束してますという理屈があれば、2023年3月の改正でとてつもない変更が可能になるのではないか
> 2023年3月くらいに全国のJRでいっせいに何かするために、千葉市の事業も締め切り(※完成の期限)が切られて(=外部要因で決まってきて)急にあわただしくなってくる(いままでゆっくりというか何もしてないように見えていたのに)ということがあるのではありませんか。…そんなことはだれに取材すればいいんですか。(※取材はいたしませんので、あしからず。)
それはともかく。(※恐縮です。)
・[4423]
> 武石ICは幕張市。○か×か。
・(2018年7月15日)
https://with.sonysonpo.co.jp/hs/detail/kanto_shinetsu/225688.php
> 東関東自動車道下り 湾岸幕張パーキングエリアに来ています。
> 「千葉丼」
> 750円。
> こちらは、千葉県産の「いもぶた」ロースカツに、千葉県佐倉産の味噌と、とろろいも、さらに千葉しらすのふりかけをかけた、まさに千葉づくしのとろろ味噌カツ丼なんです。
いいですか。
・[3908]
> 神戸市北区を北神といい、北神の大豆を使って北神で製造したみそを北神みそといい、北神みそをつけていただく(ということにした)ぎょうざを北神ぎょうざという。○か×か。
味噌はどこからどこまで運び、しらすはどこからどこまで運ぶのという中世の交易路に言及することもなしに好き勝手するでない。(※見解です。)千葉の海辺のものは千葉県内は通らずに船で江戸に行ってしまう。○か×か。(※ジト目)
https://chibathepork.jp/imo
> チバザポークとはチバザポーク千葉県を代表する銘柄豚肉。
出ました「チバザポーク」絶望的な響き。(※あくまで国語上の絶望です。お肉はぜったいおいしいに決まってる。だって千葉だもの。千葉や近くの都県で食べる限り、ぜったいおいしい。)
https://chibathepork.jp/wp-content/uploads/2018/03/d8a68f9f79757c02ff8279aaf1254355.png
> 「いもぶた」は、その名のとおりいもを食べて育った豚のこと。さつまいもを中心としたデンプン質の多いいも類を配合した飼料で育てています。
> 同じ品種の豚を同じエサで飼育しても、同じ味にならないのが養豚の面白いところ。
水だ。…水ですな。たぶん水だ。(棒読み)▼絶望的な響き「チバザビーフ」については[4322],[4398]を参照。牛乳も同じだと思うんですけど、わたしたちと同じ水を飲んでるひと(※家畜)の味(風味)って、なんかね。水に由来する部分は、わたしたちとしては風味を感じない。だって、いつもの水なんですもの。そういうことって、ありませんか。たぶんあるんですよね。(ぶつぶつ)
・うー…「BOSSO」っ!!(※イタリアンなのになぜか陽気な南米のリズムにのせて! いずれにしても陽気だからどっちでもいいやみたいな顔で!!)
https://www.bosso.jp/
> 三越駅前から徒歩2分。
「三越駅前から徒歩2分。」って、書いてある。あらやだ本当だわ。(棒読み)▼「クスクス」については[3171]を参照。
https://www.enjoytokyo.jp/img/s_bl2/0/65/65140/MAIN_2.jpg
> JR総武線快速新日本橋駅から徒歩2分
それはつまり新日本橋である。総武線からは新日本橋で、京成本線からは三越前ひいては東日本橋である。▼「JR馬喰町駅C3出入口あり」については[3608]を参照。
・[3505]
> ちばドリーム(仮)…じゃなくてBOSSO! のってたのしいBOSSO VIEW EXPRESSに揺られながらどったんばったんおなかいっぱい(仮)「東金産“竹炭”」「大多喜産バジル」「大多喜産ルッコラ」「山武産なでしこポークベーコン」「佐倉産特選しいたけ」のイメージです
> 千葉茶とか“ゆば”とか、そういうのは使われないんでしょうかねぇ。
沼と台地ばかりで大豆とか落花生という。茶の栽培はうまくいったりいかなかったりという。海に迫ってはいきなり岩場である。だから養鶏場である。岩場で垂直な暮らしをするヤギのような動物とも親和性が高い。だからキョンが逃げ出して千葉市から北へ流れる鹿島川で野生化して千葉市内の外房線の線路に出没するのだ。これが千葉市である。えー…(てんてんてん)。
https://www.ehonnavi.net/img/cover/500/500_Ehon_15.jpg
※画像はイメージです。
・(2月8日)
https://www.kensetsunews.com/archives/537560
> イオン子会社でオンラインスーパーマーケット運営のイオンネクスト準備(千葉市)は、千葉市に計画する顧客フルフィルメントセンター(CFC)の新築工事を大成建設の設計施工で進める。
> 建設地はエム・ケー(東京都日野市)がJR外房線誉田駅や千葉外房有料道路高田IC近くで造成した産業用地「ネクストコア千葉誉田」のうち千葉市緑区誉田町2−27−14ほかの敷地7万2622m2。
> ネクストコア千葉誉田の土地は、同社が一蘭、ユアサ・フナショク(千葉県船橋市)、タカラ食品工業(東京都大田区)にも売却済み。
おおー。(※恐縮です。)
・[3171]
> > クスクス。
> > 日本ではクスクスは料理の材料だが、お菓子の材料としても使われるのが、この食材が生まれた北アフリカにある国、モロッコ(モロッコ王国)だ。
> 料理として食べてもピンと来ず(=当時)、なるほど、実はお菓子にしたほうがピンと来るものだったんですね、と早合点されます。
それはお菓子なのか料理なのか。異邦人にとっては難解だ。
・[3625]
> > 消費者がスーパーに求めるものは、大まかに言って生鮮食品、メーカー品、高級グローサリーに分けられ、売る側も地元密着のスーパー、イトヨやイオンなどの全国チェーンスーパー、成城石井などの高級店とそれぞれドメインを絞って強みを活かし、棲み分けが出来ている。
> ぜつみょーなツボをおさえて『ここぞ!』というもの(この記事では「パルメザンチーズ」)は高級品(と思えるもの)がさりげなく置かれていると期待しちゃう(させちゃう)業態
ときに、ひとはそれを「大丸ピーコック」とよぶ。(※ひらがな)よく見ると…ん? 東金市内某所でパッケージされたパルメザンチーズである。9点。(※歓喜)
> アメリカからチーズを輸入し、東金で削ってパッケージしておられる。これでとりあえず、「パルメザンチーズ」に期待する風味(…味じゃないっ)としては及第点なのですよ。国内の工場で国内の生乳を使ってチーズをつくるところから…うーん。それなら牛乳のままでおいしくいただくよみたいながっかり感があるんですよ。ウシ分…いえ、ウシの飼料が違うんでしょ&そこからですかっ!!(※個人の感想です!)
チーズのカマタリ。…鎌取だけに。外房線シリーズで揃えてみました&いかがだったでしょうか。(しーん)
・(再掲)産経新聞「給食牛乳、「異味異臭」なぜ起きた? 風味は気温や餌などで変化」(2014年6月26日)
https://www.sankei.com/life/news/140626/lif1406260029-n1.html
> 大人には許容範囲
> 同社や川崎市健康安全研究所などが同じ製造番号の牛乳について、大腸菌群や残留農薬、化学物質などの検査を実施したが、結果は全て異常はなかった。同研究所の****所長は「食中毒や意図的に何かが混入されたのではないかと心配したが、検査の結果、全く問題がなかった。官能検査として私を含めた職員数人が味見をしたところ、青臭いという人もいたが、私にはおいしく感じた」。
> その後の同社の調査で、加工前の生乳を運ぶタンクローリー車1台から豆臭が確認され、同社はこれが原因の可能性が高いとした。豆臭は牛乳を温めたときなどに感じるにおいで、出荷前の官能検査では異常と判断されなかった。小児科医でもある**所長は「官能検査をした大人には許容範囲の味や風味が、子供たちには『いつもと違う=異味・異臭』となったのではないか」と推測する。
> 日本酪農乳業協会(現Jミルク)が平成18年に作成した「学乳における異味・異臭発生対応マニュアル」によると、異味・異臭に関係する事故が14年度から16年度までに11件発生。いずれも検査で異常は確認されず、工場の製造工程にも原因は見当たらなかった。
> 「学校では1人の児童が『味がおかしい』と言うと、他の大勢の児童も連鎖的に同じ症状を訴える傾向があった」と分析している。
> 日本乳業協会の****常任理事は「牛乳は新鮮な生もので、工業製品のように常に同じというわけにはいかない。大きく違うことのないように品質管理をしているが、気温や湿度、乳牛の餌など飼育環境の変化で風味が変わりうることを理解してほしい」と話している。
・[3625]
> 学校給食以外でも「いろいろな牛乳」を「いろいろな体調」のもと飲む体験があると(じぶんのからだとの相互作用でもあるということが)自然と体感されるんですけれども、学校給食の牛乳(「学乳」)しか飲まない児童にあっては、何じゃコリは(略)お気持ちはわかります。まずは安心させるのが大人の務めでありましょう。
・(2009年8月16日)
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000209441
> 徳川吉宗が牛を飼って、白牛酪というものを作っていたらしい。
http://www.namp.or.jp/column19.html
> 「蘇」は今日の発酵クリームまたはクリームに近いもので、牛乳を熱濃縮したものであることから長距離の輸送にも適していた。
> 享保9年(1724)、当時のカピタンであったヨハノス・テイデンスが参府したとき、幕府要人にオランダ人の飲食について説明した様子をその時の大通詞であった今村市兵衛英生が「和蘭問答」に詳細に筆録している。その中に、オランダ人が通常の食事にパンにバターを塗って食べる様子が記されている。
> 鎖国によって閉ざされた日本人にとって、出島は唯一西洋に開かれた窓であり、当時の日本人の強い関心を惹いたものの一つにオランダ人の食生活があり、その中に乳製品や肉製品があった。
> 吉宗は安房嶺岡牧場を開き、白牛を飼育させバターを造らせている。さらに青木昆陽に命じて長崎でオランダ語を学ばせ、昆陽は「和蘭文字略考」や「和蘭話訳」などのオランダ語の手引書を著しつつ洋学(蘭学)の道を拓き、後に前野良沢、杉田玄白、大槻玄沢といった傑出した洋学者が生まれる素地をつくった。
何もないから何をやってもほかのものと作用しない(こっそりできる)千葉という至便の土地よ。(※詠嘆)養鶏場の立地として好適である。完全な封鎖ができて防疫が完ぺきである。千葉は養鶏場である。きょうは多田屋でオランダ語を学習するのであーる。…多田屋どこから出てきたし!(※真っ赤)
・[3944]
> …えちごやー!(※ジト目)
おぬしとはながいつきあいじゃからのう。(棒読み)
・[3674]
> …だがしやー!(棒読み)
だがしかし。(棒読み)
・[3767]
> …わがしや(※仮名)が『歩く高島屋!』になっておる!!(違)
びっくりなのん!(棒読み)
・[3945]
> …たーだやー!(※ジト目)
ただのスライムじゃないよ?(違)
・[3795]
> さしづめ新世紀エメグリ歌舞伎neoといったところか。…この“世紀末”感がすごい!
・[3548]
> > 歌舞伎の舞台で、役者が登場する場面や見せ場に差し掛かると、客席から「○○屋」などの掛け声が上がることがあります。
・[4404]
> いやがうえにも何か。そんな、くしゃみしたら背中が痛いですみたいな言い方しないでよ。(違)
> > 旅を続けて句を詠んだ動の山頭火に対し、放哉の作風は静の中に無常観と諧謔性、そして洒脱味に裏打ちされた俳句を作った。
> くしゃみ先生が火ぃ噴くぜ。…噴きません!(※真っ赤)
https://pic1.homemate-research.com/pubuser1/pubuser_facility_img/0/6/6/00000000000000144660/0000004672/00000000000000144660_0000004672_1.jpg
https://img08.shop-pro.jp/PA01033/512/product/129507973.jpg
https://livedoor.blogimg.jp/kitasan1970/imgs/1/1/11c63121.jpg
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0112/users/52bc60b1b8ceeda0e022026958b0d0ff9aed767b/i-img1024x767-1607665356iyvg9l78356.jpg
すんません、さすがにその時代には「千葉町千葉」の何番地とかいうのがあった。しかしまあ、いきなり番地である。(※恐縮です。)
> 嶺岡牧場は十一代将軍家斉の時代に入って益々充実し、家斉は白牛酪を造らせ、侍医である桃井源寅(もものいのみなもとのいん)に命じて我国最初の牛乳・乳製品についての単行本である「白牛酪考」を書かせている。
> 彼らがアメリカでバターやアイスクリームといった乳製品に出会って(略)「之をアイスクリンといふ」
出ました「アイスクリン」([4189])。
・[4189]
> 津田梅子である。アイスクリンである。(※敬称略)
> ▼「アイスクリン」については[3595]、▼「旧佐倉藩出身の津田仙」については[3601]を参照。
パパが外国のおねえさんとなかよくしてる。ぷんぷん。(※現代語訳)
> ブロッコリー…じゃなくて、「千葉高架水槽」あたためですか??
> ブロッコリーどこから出てきたし。
> > 鉄筋コンクリート造
> > バルコニー下部のコーニス風
> 斜めに読んだ。あったかいアイスコーヒー。
アイスクリンといえば佐倉藩。もうおわかりですね&きょうはこれだけ覚えて帰ってください。(違)
・(2020年8月11日)
https://www.chibanippo.co.jp/news/local/713665
> 佐倉市は11日、約2カ月半前から京成線沿いのコンクリート製の急斜面に迷い込んでいた子ヤギが同日朝、捕獲されたと発表した。
> 騒動となった子ヤギは近くの会社で飼育されていた生後6カ月の雌。5月21日に逃げ出し、高さ20メートルほどの崖のような急勾配な上、すぐ下に電車が走る危険な場所で草を食べる愛くるしい姿が話題となり、「崖の上のヤギ」として人気を集めた。
https://www.chibanippo.co.jp/sites/default/files/IP200715TAN000019000_00_0.jpg
これが京成線である。京成線といえばヤギである。…覚えた。(※ジト目)
https://www.jalan.net/onsen/KEN_120000.html
千葉に温泉は存在しない。…はずだったのだが。
> 養老温泉
> 塩化物泉
養老渓谷というリゾートは大いに認めるが泉質には期待がない。そんなのを温泉というなら、という話に過ぎない。千葉に温泉は存在しない。だからこそ長年「養老渓谷」と呼んできたのだ。「温泉」とは呼んできていないのだ。
https://www.kominato.co.jp/train/station/yorokeikoku/index.html
> 昭和29年12月1日に養老渓谷駅に改称されました。
昭和29年は1954年です。
・(再掲)鹿島
http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki37/index-j.html
> 鶴舞駅近くには現在でも発電所の建物が残っている。当時はまだ電気が広く普及しておらず、自前で発電所を作って駅舎などへ電気を供給するためだった。鶴舞発電所は大正14(1925)年3月に完成し、ディーゼルエンジンによる75kWの発電機が2機備え付けられ、小湊鉄道の駅舎などに電気を供給していた。昭和2(1927)年11月には近隣9か村に3,300灯を提供するが、昭和17(1942)年の配電統制令により、発電を終える。
> 開業当時、地名から朝生原と名付けられていた駅名を、小湊鉄道会社が養老渓谷駅と改めたのは昭和29(1954)年のことだった。『財閥研究』で沿線に「ほとんど見るべきものはない」(P130)と自称した小湊鉄道線だが、昭和25(1950)年、千葉新聞社(現・千葉日報)が公募した房総十二景に、小湊鉄道会社は養老川上流の優れた風景を「養老八景」と名付けて応募し、付近を「養老渓谷」と名づけた。養老渓谷は、昭和39(1964)年に県立養老渓谷奥清澄自然公園に指定され、今では千葉県有数の景勝地として知られるようになった。
> 第二期工事は里見駅から月崎駅までの2駅4.1kmで、大正15(1926)年9月1日に開通した。この区間には第一月崎トンネル(134.7m)があり、次の第三期工事の月崎から上総中野までの9.3kmには、房総半島最長の大久保トンネル(421.5m)を含む4つのトンネルがある。最後のトンネル・板谷トンネルは房総半島の分水嶺の下を通っている。
・[3503]
> 「分水嶺の下」…うーん。「分水嶺の下」っ。えーっ。分水嶺というのは真上から見ての地点(や、それをつなげた線)をいうのであって、上も下もなかろうかと…えーっ。(※個人の感想です。)
・ウィキペディア「養老渓谷温泉」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%80%81%E6%B8%93%E8%B0%B7%E6%B8%A9%E6%B3%89
> 塩化物泉(2000年(平成12年)7月31日温泉分析)と炭酸水素塩泉(1971年(昭和46年)1月7日温泉分析)の泉質がある。
> 源泉温度は20度前後と低めであり、とろみのある焦げ茶色が特徴の黒湯が一般的である。
1971年は昭和46年です。それ以前は単なる山小屋の生活の知恵のような域を出ないものであった。○か×か。(※恐縮です。)湧出してくるまでに接する岩石の違いだけで、水は同じとみた。えー…(てんてんてん)。
> 1912年(大正元年)に個人宅の敷地より天然ガスが湧き出し、後の1914年(大正3年)、井戸より鉱泉が湧き出した。この鉱泉を天然ガスで加熱したのが養老渓谷温泉(黒湯)の始まりと伝えられている。高度経済成長期の1970年(昭和45年)には、日本交通公社の『全国温泉案内1300湯』に掲載されていた千葉県の温泉は合計15ヵ所であった。そのなかでも、観光と療養の性格を合わせ持っていた温泉として養老渓谷温泉が取り上げられている。源泉は25℃未満の冷鉱泉であり、30℃以下の温泉地であったため、当時から加熱を要していた。
この限りにおいて申し分ない、自然の恵みである。せめて炭酸水素塩泉には地質を考えさせるきっかけがあるので温泉について学習できないとはいわないが、冷鉱泉は冷鉱泉であり温泉ではない。中世から湯治場として名を馳せて(番付表みたいなのに載って)いなければ「温泉地」とはいえない。(※考えかたです。)
https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/23/1.html
> 温泉地は、現在では一種の観光地としてとらえられることが多いですが、もともとは湯治をする場所でした。湯治とは、温泉に入ることを通じて病気の治療や健康の回復を図ることです。時代や個々の温泉によって差がありますが、湯治を行う期間や入浴作法などはおおむね決まっていました。たとえば、中世にはすでに7日間を一廻りと数えて最小単位とし、少なくとも三廻り(21日間)は湯治を行うべきであると認識されていました。
> 湯治場としての温泉は、古代の歴史書や地誌に登場するほどに古く、中世から近世を経て、さまざまな形で温泉文化を開花させてきました。
> 戦乱相次ぐ世の中になると、戦国大名たちは自らの領内に温泉を整え、合戦で傷を負った兵の療養に活かしたといわれています。甲斐国を本拠とした武田信玄は、永禄4(1561)年に川浦温泉の造営を進めさせたと伝えられており(松平定能編『甲斐国志』【141-120】 )、信玄が整備した数々の温泉は、現在もなお「信玄の隠し湯」としてその由緒を残しています。
山梨すごい。(※白目)逆にいえば、温泉がなければ合戦にならない。○か×か。…ラグビーじゃあるまいし。(※ジト目)
> 近世には、都市部に住む庶民の間にまで温泉の利用が普及していきました。身体の疾患を治す目的で文字通り湯治をする者がいる一方で、転地療養として、あるいは物見遊山を兼ねて出かける者も増えてきました。江戸時代中期から、温泉案内の書物や図版(第3章 参照)が盛んに出版されるようになったことがそれに拍車をかけました。
https://lifemadesweeter.com/wp-content/uploads/How-to-Throw-The-Perfect-Summer-Afternoon-Tea-Party2.jpg
https://netatopi.jp/img/ntp/docs/1000/521/3.png
宝塚みたいな先生が紅茶…じゃなくて、ブラタモリで出てくる番付表である。(きらーん
> 江戸時代後期になると、伊勢参りなどの途上で立ち寄る団体客をはじめ、ごく短い滞在で済ませる旅客が多くなりました。
何かのついでに何かする。何をしたいのかわからない。どんどん横柄になってくる。いわゆる観光客の誕生である。これは笑えない。(※笑っていない。)
> 見世物として漁をやってみせたり、木工品などの土産物が売り出されたりもしていたようです。温泉がより商業的な存在となりつつある時代ともいえるかもしれません。
なんだかなぁ。
> 明治政府は温泉の成分を分析することで、湯治における効能を追認する姿勢をとりました。
> ベルツは、昔から意識されてきた湯の質や入浴作法を認めると同時に、「温泉をどのような環境にしておくべきか」という点を重んじました。
> 各地の温泉に専門医や温泉委員を設置して環境改善に資することなどの提言を掲げています。ベルツの考えは内務省衛生局編『日本鉱泉誌』【453.9-N249n】 にも踏襲されます。しかし、予算上の都合などから、ベルツ自身が期待したとおりには実行されませんでした。また、自ら草津温泉に理想的な療養・保養施設を造る計画を進めましたが、地元の反対やベルツ自身の帰国もあり、結局果たされませんでした。
> やがて、交通網が整備されメディアが発達していく中で、人々は温泉地に対して湯そのもの以上に便利さと楽しさを期待し始めました。
すごくなんだかなぁ。
「後編」([4425])に続きます。
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