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(約9000字)
[4445]の続きです。
・[3745]
> がばい自由研究である。しかし理科である。
がばい自由研究である。しかし理科である。再びゲームのマップを見ながら何かぶつぶついいます。(ぶつぶつ)
・ARXぱりぱりの「かいか家M」
https://arx.neorail.jp/newgame/?%E6%96%87%E6%98%8E%E9%96%8B%E5%8C%96%E3%81%AE%E8%96%AB%E3%82%8B%E8%A1%97
本件ゲームこと「A列車で行こう9」でA9V3の新規収録マップ「文明開化の薫る街」を開いたのち、地形データをフリーの統計解析環境「R」に持ってきて、主成分分析してからk-meansしてああだこうだいっています。過度な期待はしないでください。
・[3885]
> どこかからひびく「ゲーム!」という声。(違)
・[4440]
> オリジナルセンターかいか家
> 何の店かわからない名前だけど、きっと定食屋で服も売ってるんだ。
> きこきこきこ。(※効果音)
https://youtu.be/NsxLkeT4Ghk
> ハウステンボスをイメージしながら重ねてみました&いかがだったでしょうか。
・(再掲)
https://neorail.jp/forum/uploads/a9_region_kaika_plan_km17.png
![https://neorail.jp/forum/uploads/a9_region_kaika_plan_km17.png]()
・「14」の「林業」は、なぜ「14」の領域の半分だけなのか
「14」の中央は谷底というほどはっきり筋があるわけではなく、だらんとしています。その平地を川がしゃきっと流れる感じではない。
むしろ「5」との境の山の裾(北東)が急峻だから、ここを削りながら流れる川というか、断層(?)によってできた、そこだけの鋭いくぼ地を川が流れるというような想像ができてまいります。
・セルリアンタワー能楽堂で松。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Cerulean_Tower_Noh_Theater_%2816043637317%29.jpg
…じゃなくて。
・東急リゾートタウン蓼科『蟹河原断層』
https://www.tateshina-tokyu.com/info/images/2a.20030%e8%9f%b9%e6%b2%b3%e5%8e%9f%e6%96%ad%e5%b1%a4.JPG
とはいえ「5」と「14」の境の山からはガスが湧き、井戸を掘っても真水は得られにくいと想像したところでした。なるほど「17」のほうの、マップの南東の角の山からは何か所も(細いけど)湧水があるんじゃないか。それなら「旧街道」が通ってもよさそうだ。「14」の南部で「林業」のエリアが削ったようになっているのは、そこで街道から東の山の湧水地点まで短冊状の集落が延びたからだ。…ほぅ?(※あくまでゲームです。)
・「熊本県の代表的な湧水」
https://www.env.go.jp/water/yusui/result/sub4-2/PRE43-4-2.html
> 地域の人が野菜を洗ったり、生活用水として使用されている。
> 砂が舞いながら湧出している。
砂が舞いながら!(※白目)
> 釣耕園や叢桂園の水口が延命水である。
> 共同の水場で石段があり、地域の人たちが野菜などを洗う姿を見ることができる。
共同の水場で石段!(※歓喜)
> 藩主細川忠利公の命でお茶屋が造られ、さらに水前寺が建立されたのがはじまり。
> 「水前寺のお茶屋」は後に大規模な大名庭園となり、成趣園と名づけられ、今の水前寺成趣園となっている。
> 清らかな地下水が湧き出す池を配した桃山式の回遊式庭園は、素晴らしい眺めである。
> 園内には細川家ゆかりの出水神社があり、境内に「長寿の水」がある。
それはさすがに…(てんてんてん)。
> たたらみず
> 樹齢600年以上というイチョウの根元から湧き出る清水
> 製鉄を意味する鑪(たたら)の名を冠し、その昔製鉄に使われた歴史を物語る湧水である。
コレハスゴイ。(※恐縮です。)
> 立福寺町にある太郎迫神社の境内から清水が湧き出し、神社入口に湧水を集めた水場がある。
> その昔、茶の湯に重宝された名水とされ、明治の中ごろまではこの水を樽に入れて市街地に売りに行く人もいた。
> 流水の音がすると伝える鳴岩は、高い岩壁の下から湧水している。
> 八景水谷の地名は、谷水が出る「吐け(ハケ)」という地名に、5代藩主細川綱利公がお茶屋をつくり八景を詠んだことが重なったことに由来する。
> 熊本市上水道発祥の地として、水源地、水道記念館、水の科学館など水道関連施設があり、本市の水の歴史を語る上で欠かせない存在である。
> 大谷というところから湧き出し、集落の雑用水として利用。
> 前川の井川端(まえかわのいがんはた)
> 地域の人が、「イガワさん」と呼ぶ水場である。
> 上水道の普及後も、ここの水が美味しいといった理由で愛飲する方が多い。
そういう感じのがいい。(※あくまでゲームです。)
> 江戸時代、熊本城下を出発した細川藩の参勤交代の一行が昼食を取るために休憩した屋敷跡と庭園は、今でも「的石(まといし)の御茶屋」として残っている。
> 夏場はスイカを冷やしたり、野菜を洗ったりと付近の住民が利用したり、下校時の小学生の休憩所としても親しまれている。
休憩なしでは帰りつけないほど遠いのん!(※ジト目)
> この水源は,江戸時代から生活用水として使われており,1960年宇土細川藩によって市街地までの4kmの樋管を敷設し,今なお使われている水道では,日本最古のものといわれ知られる。
> 「お姫さまの涙」という故事来歴もある。
おおー。
> 水源は山の峠にもかかわらず、湧水量は少量であるが絶えず良質の岩清水が湧きだしている。
> 中世時代より旧本土城と富岡城の往還の途中で、往来する人々の貴重な飲料水として喉を潤し、休憩の場として親しまれてきた地でもある。
> ここに江戸幕府の管理下で水の元観音堂が建立され祀られた。
まさにこれですな。…実にこれですな。(※個人の感想です。)
> みかん栽培の用水などに利用されている。
> バームクーヘンのような地層が露出したところから、清水が湧き出している。
出ました「みかん」と「バームクーヘンのような地層」。(※このフォーラムでは「バウムクーヘン」と表記。)
https://www.sowakajuen.co.jp/blog/agriculture/p2192/
https://www.sowakajuen.co.jp/sowacms/wp-content/uploads/2019/10/e43477cb67f9f6b27a07ae679f652efd.jpg
> 「西受」という畑。西向きの斜面になっていて、西日を強く受けることから、その名前がついています。夏場は夕方の西日が暑くてたまらないので、朝に作業を行います。
> みかん畑は急斜面ですので、このモノラックという機械にコンテナを載せて運びます。
「5」に接する西向きの斜面は何らかの柑橘類の畑に決まった。最初からそんな気がしていた。長閑な時代であった。
https://youtu.be/Li_0TTjZnH8?t=78
きゃー。(※個人の感想です。)
http://blog-imgs-48.fc2.com/t/a/b/tabireki70/0001_oimo_cafe_DSC06984.jpg
https://dailyportalz.jp/kiji/120217153619
> いまでも「屋敷→畑→林」の名残が
> 「インフラ」である道路に面しているのは家屋。
> 短冊状地割りは「インフラ」である道路に面した間口側から「屋敷→畑→林」という構成になっている。
> かつては薪や肥料の供給源だったそうだ。
あくまでゲームです。興にまかせての想像を楽しもうではありませんか。コーヒーカップをご用意ください。西日にご注意ください。
・[3771]
> ヒノキやスギなどが植林されて寺社建築にひっぱりだこ…みたいな想像をするといいんですよ。
・[4445]
> 「大正の中頃」とは、1918年(大正7年)くらい
> > 明治の末から大正の中頃にかけて、スギ・ヒノキの大規模な一斉造林が急速に遂行された結果、各地に不成績地が出現した。いまでも国有林にはこのとき植栽された立派な造林地が残つており、戦後の木材不足の緩和に重大な役割を果たしている反面、50年を経てついに成林することもできず、後からとびこんだ雑木に被圧されているあわれな造林地もみられる。
> 立派だけどあわれだという。
「14」の数字の位置や、そのちょっと南には、沼というか池のようなものが見えてきませんか。えー…(てんてんてん)。『明治の末から大正の中頃』にかけて沼を埋め立てて「林業」が拡大した。立派だがあわれ。…ほぅ?(※あくまでゲームです。)
もとは沼だったということにすれば、「旧街道」が沼を避けながら、そういう方向に進んだというのが自然に見えてきそうです。まことに都合よく想像してまいります。究極的にはじぶんが納得できればいいのです。(※白目)
・(♪〜)
https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/42/59/650x_11425927.jpg
https://www.toretabi.jp/pr/nakasendo_2013/images/pic2.jpg
http://img01.gunmablog.net/usr/g/p/n/gpnotebook/P5328_280614.jpg
うーん。汽車より前に馬車鉄道が、旧街道に沿って走った。もともと街道を走っていた馬が鉄のレールの上で馬車を引く。いいですねー。…すごくいいですねー。(※あくまでゲームです。本件ゲームに馬車は登場しませんので、あしからず。)
https://pbs.twimg.com/media/D9eiJS5U8AAtAp2.png
https://next.jorudan.co.jp/trv/images/640/15021.jpg
馬が歩けるように平たく踏みならされていないと。枕木とバラストのまま歩けるわけないじゃないですか。えー…(てんてんてん)。
「6」の領域は縄文海進!(ぐぇ)上がってから下がった「低湿地」だと想像していました。そこを「旧街道」がつっきる。これは「6」の中でもちょっとましなところを通ったというよりは、しかたがないので最短で抜けた、道すがらだけちょっと整備した、という光景を想像してみてはいかがでしょうか。(※あくまでゲームです。)
・「国府」
https://stat.ameba.jp/user_images/20160323/16/nakarapi/15/e8/j/o0525035013599878643.jpg
・ウィキペディア「御油宿」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%B2%B9%E5%AE%BF
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b7/Tokaido35_Goyu.jpg
> 歌川広重『東海道五十三次・御油』。「留め女」と呼ばれる旅籠の女が旅人らを無理矢理引きずり込もうとしているさまを描く
こんな感じで。容赦ないね。はやくエンドールに着きたい。(棒読み)
> 江戸風俗史にある尻尾の短い猫は御油猫と呼ばれ流行したが、御油から持ち込まれ、御油・赤坂の宿場駅間の短さを尻尾に例えて呼ばれた。
短いのに宿がある。勾配が厳しいってこってす。(※恐縮です。)だから馬車鉄道がいち早くできてもよかった。(※あくまでゲームです。)
http://blog-imgs-47.fc2.com/d/h/i/dhiemueichi/IMG_4549.jpg
> 当時の鉄道局技師の書状に「赤坂・藤川間は其地勢狭隘且つ急勾配を付せざれば容易に線路敷設難相成(あいなりがたく)」という記述もあり、御油経由では16‰の勾配を避けられないのに対し、蒲郡経由ならば10‰の勾配で済むことがルート選定の理由であったとされる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a9/Goyuno-Matsunamiki-1.jpg
> 街道の面影を残す松並木(御油の松並木)が美しいことから観光地になっている。
整備したのは道だけで、しかし、道だけはちゃんとしている。ゲームの中でも、そのふいんきを松並木で表現し…がびーん。本件ゲームに「松」はなかった。頭の上に覆いかぶさるような樹勢というのもなかった。(※あくまでゲームです。)
https://www.aichi-now.jp/spots/detail/43/
> 600mほどにわたり約300本の松の大木が並んでいます。慶長9(1604)年に徳川家康の命で植樹されたクロマツは国の天然記念物に指定されています。
> 「御油の松並木資料館」には、松並木の資料とともに、江戸時代の御油宿の街並みの復元模型や、広重の浮世絵版画、近世交通文書、旅装束など、100点をこえる貴重な資料が展示されています。
「愛知県」の説明でした。
https://www.sc-engei.co.jp/cultivation/details/268.html
> マツはやせ地でもよく生育するため、伐採跡地や崩壊地などに最初に生えてきます。
> 日なた
> 原則として、水やりは必要ない。
> クロマツは海岸や暖地の栽培が適しますが、アカマツやゴヨウマツは寒冷地でも生育します。園芸品種は成長が遅いものが多く、原種よりも栽培が難しいといえます。
「住友化学園芸」の説明でした。
https://goo.gl/maps/tcS9AARbXcMeZ4668
松並木のすぐ外で「ハイフンの木」([3489],[3580])がそびえ立つ。えー…(てんてんてん)。
https://pbs.twimg.com/media/EiLE6fQUYAAwG4K.png
https://goo.gl/maps/HjuAyUsvDqGxThEK8
実写版「線路に松」。(字足らず)
https://www.jalan.net/yad355552/
https://cdn.jalan.jp/jalan/images/pict2L/Y2/Y355552/Y355552141.jpg
そのミカンはなんだ。(※ジト目)
https://pbs.twimg.com/media/DjqwhjPU4AEK7XS.png
それはまた話が違う。(※恐縮です。)
・かろうじて許可された「大八車」のイメージです
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/82907046594.htm
> 江戸時代の明暦3(1657)年の大火の復興に、重量のあるものを運ぶことができた
> 熊野古道の馬越(まごせ)峠では大八車を使って魚など運搬していました
新幹線で採れたての果物を運べる。(※ソコジャナイ。)
> 明治期の都市部では、商業用の運搬車として津や松坂の木綿問屋や伊勢河崎の酒問屋や商家などで使っていました。
> 昭和30年代に入りと自動車が運搬の主役になってくると、しだいに大八車は利用が少なくなり(略)
「三重県総合博物館」(津市一身田上津部田3060)の説明でした。
https://www.navitime.co.jp/category/02/24201006000/
> 三重県津市一身田上津部田のお買い物
しつれいしました。
https://www.kankomie.or.jp/special/kumanokodo/course/course4/index.html
> 荷坂峠
> 現在の国道42号、JR紀勢線も荷坂峠を越えています。
> 道幅も広く、勾配もゆるいので歩きやすい道です。重い荷物を担いでも越えることができるということで、この名前がついたとも言われています。
> 曽根次郎坂・太郎坂
> 「次郎・太郎」の名前の由来は、かつて志摩と紀伊の国境であったため、「自領・他領」がなまったもの。
えー…(てんてんてん)。「みどりの窓口」に植木の相談に行くみたいないいかた。(※いいかた)グリーン車の料金には植樹の寄付金が上乗せされてるんだよ。(違)
> 始神峠
> サンショウウオを意味する「椒」(はじかみ)が峠の名前の由来。
> 石畳が歴史を感じさせる「江戸道」、雑木林か心を癒す「明治道」の2つが始神峠で合流します。
https://owasekankou.com/wp/wp-content/uploads/2020/01/eyecatch_sankirai2.jpeg
https://tabelog.com/imgview/original?id=r2840923337367
> チョコレートケーキとチーズケーキで休憩。
> 季節限定の山桃ジュースも美味しそう。
…じゃなくて。
> 馬越峠
> 熊野古道伊勢路の中で随一と言われる石畳が、尾鷲ヒノキの美林の中に続いています。
https://www.kankomie.or.jp/lsc/upfile/spot/16/29/21629_1_l.jpg
ヒノキで石畳ということである。(※恐縮です。)
https://www.pref.mie.lg.jp/BUNKAZAI/HP/sekaiisan/4693000001.htm
> 馬越峠(まごせとうげ)は江戸時代の書物には「間越峠」と表記されていました。
> 石畳道が非常に良好に遺存している峠道です。
許可を得た馬にあっては速達のコース、つまり『新幹線』だった。○か×か。(※あくまで考えかたです。)
・「約2000年前の馬車 ほぼ完全な形で発掘 古代遺跡ポンペイ近く」(2月28日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210228/k10012890511000.html
> 4つの車輪がついた馬車で、鉄の部品のほか、青銅やすずで細かな装飾が施され、ほぼ完全な形で発掘されたということです。
> また、ロープや花で飾られていた痕跡も確認されたということです。
https://www.tabirai.net/tabirai-uploader/img/0010838/s2_0010838.jpg
https://images.tetsudo.com/special/report/20180621/sngw001.jpg
4つの車輪と鉄の部品と花とロープ。ほぼ完全な形。(字余り)
https://pbs.twimg.com/media/EUldmX9U4AAE-NR.png
なんでも千葉に見えるとはいえ、さすがにそこまでは…(てんてんてん)。
・(再掲)「材木の成長と土壌の物理性」(1963年5月)
https://js-soilphysics.com/downloads/pdf/008005.pdf
> 千葉県下のスギ林地を調査
> 中庸の土性の下層に粘土分係数(粘土/細砂)0.67以下あるいは1.50以上の土層がある場合、スギの成長は20〜30年後急激に衰えることを認めた。火山山麓の緩斜面には火山灰土の下に粒径のあらい浮石層がよくみられる。この層はあたかも不透水層のように、上部に鉄などの物質の沈殿、皮膜が認められることもある。スギの根はこの層を貫通することができず、20〜30年後に急激に成長の衰える例を筆者(1960)も報告している。
> 深くまで透水性の良好な条件がスギの旺盛な成長には必要なのである。
そのことがいまわかりましたというライブ感にひたる。プライスレス。(※恐縮です。)
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