|
(約6000字)
[4564]の続きです。
・[4564]
> わあぃ三菱セメント。
> わあぃ西武建材。
https://www.mapple.net/articles/cms/wp-content/uploads/2021/10/11010550_3290_2.jpg
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/d140b62b9d934fc0b5e5624e0d3894744d552227.11.2.9.2.jpeg
https://www.photolibrary.jp/mhd6/img710/450-20190708123715253281.jpg
http://blog-imgs-69.fc2.com/d/e/n/denshawotorou/20140224212555b16.jpg
http://rinrin0725.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2014/02/24/photo.jpg
> そこが駅の外だから駅のページには写真を載せないというのはシヤクシヂヤウギがすぎるというものではありませんか。駅の外にある鉄道とは関係のない施設ということではなく、この鉄道(※仮名)の成り立ちに直結する施設では、ないんですか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E8%A6%A7%E5%B1%B1%E9%A7%85
https://goo.gl/maps/XLn6vWyoz6KYAtN86
https://goo.gl/maps/dAkcu7ksRqk8VPdA6
https://goo.gl/maps/ZGevLbVbhwod1BCk9
https://goo.gl/maps/nD8sGb1zK3NRgP58A
https://goo.gl/maps/veidi82mvjtn7yXP7
いまにも地下鉄の電車が105km/hでじゃんじゃん通りそうな「土木構造物」ではあるし、なんか広大な用地を西武鉄道殿が保有しておられる。(※恐縮です。)
https://goo.gl/maps/yZTuz34rXkFz6Sab7
https://goo.gl/maps/S2ER6muJh5Fnaknz7
https://goo.gl/maps/jzB9T78yngU3iajh7
あーあー、この鉄道みたいな柵はなんだー。(※扇風機にむかってしゃべるような声で!)
> 広場には地元の善意により入口右手に桜の古木が1本だけ残されており、それだけが唯一その姿をしのぶよすがとなっている。
日本語が幼い感じがある。「篤志」「有志」などの日本語はあると思うが「篤志って何?」みたいに子どもが聞いたときに答えた大人がいい加減というかなんというか「善意…かな?」みたいに教えてしまって、その言葉についての理解はそのまま止まってしまって大人になったような人が書いているのではないかといった感じがしてしまう。桜の古木の世話をずっとしてくれている(≒お金を出している)地元の人がいる(=個人ではなく町会ということでも=)ということなのだろうと読み取ることはできるが、ウィキペディアに求められる文章の質には達していないと思う。町会として寄付を集めて回って集まった寄付の中から桜の古木に対しても支出をしているといったことを、具体的にいうでもないのに妙に「お金の性格」(※直訳)だけを真っ先にいおうというのが、バランスを欠く。そして、そこまで桜の古木について特筆しておきながら、その写真がないではないか…ないではないかっ!(※真っ赤)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E8%A6%A7%E5%B1%B1
> もとは愛宕山と呼ばれた。
全国各地に「愛宕山」はいくつあるでしょうか。
> 天覧山(てんらんざん)
> 山というよりは丘陵という風情。
本郷台駅そばの「山」が忽然と消えて呆然としたのも記憶に新しい。いつまでもあると思うな天覧山。○か×か。
> 1883年4月18日に、山麓で行なわれた近衛兵春季小演習を明治天皇がこの山頂から統監したことにより、天覧山と呼ばれるようになり、行幸記念碑が建てられている。
さすがに天覧山が忽然と消えることはないだろうと思わせる、「天覧山」という名前である。地形が変わるほどの現代的な演習などしない限りはね。(※トートロジー)
・[4977]
> ぜったい佐倉だもんね。
・[4983]
> …出ました! 謎の「絶対佐倉宣言」。(※ソコジャナイ。)
http://tenranzan.net/kaihatsuk.htm
いえね、天覧山まるごと消えはせずとも、古い記憶が完全に消えるような開発というのは、ありえたわけでした。まるで消したいものがあるかのような開発というのは、いけません。ましてや「ISO 14001」を振りかざしてはいけません。西武秩父から長野県までつないで(自動車に代わって)電気機関車で貨物列車を走らせるというなら「環境」を語る資格がある。(※見解です。)
※もっとも、1990年代になって、オイルショックで中断した団地造成を再開しようなんていうほうがおかしいのだが、これは西武鉄道がというより、自治体の計画能力がいまいちということだとは思う。西武鉄道のほうに問題があるとすれば、何をするにも出遅れる感じといいますか、受動的にすぎるといいますか、ふつうの住民がふつうにいろいろ考える「考える力」のようなものを、あまりにも持っていないという感じがします。塩漬けになっている土地があるとして、それは使えるなら使うとよいのだけれど、現在の状況にそぐわない過去の計画をきちんと廃止するといった(その当時のエラい人の決定を否定するかたちになる)類のことができないわけです。嗚呼。
そうした場合に「コンクリート」で(高架橋で)線路がひょろっと通ることは、天覧山を大きく削って団地を造成することとは比べものにならないくらい環境への影響が少ないわけです。やたらトンネルを掘るほうが、取り返しのつかないことにもなりかねない。県境の道路が新しくトンネルになるとか、そのトンネルすらも、わずか数十年で使い捨てるようなことになってはいけません。富士山のほうでも話があります([4404])が、電気鉄道というシステムは、いまいちど大きな出番があるような気がしています。(※恐縮です。)
・[4786]
> 小手指の行司差し違え。(違)
・[3954]
> > JTBは、同社グループで主にクルーズツアーなどを取り扱うPTSを、来年4月1日付で吸収合併する。
> クルーズツアーねぇ…(てんてんてん)。西友に行くたびにPTSが目の端にちらついているという生活を長年してからリタイアすると、行きたくなるのかねぇ…(てんてんてん)。あるいはカーネーションでもプレゼントするみたいに子どもからプレゼントしちゃうのかねぇ…(てんてんてん)。
> > PTSは1959年に「太平洋観光」として設立。92年には社名を「パシフィックツアーシステムズ」に変更するとともに、セゾングループだったヴィーヴルのリテール事業と、西友の旅行事業を統合した。2003年にはJTBグループ入りした。
> 私鉄の駅しかないへんぴなところなのに、いながらにして全国のJRのきっぷが買えるぞ! 実はすごい小手指であったー。(※ソコジャナイ。)
・[4960]
> ほかの地域よりは段違いの水準で、やたら旅行を勧めてくるのが西武(沿線)ではなかったか。(※偏見)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E6%B1%A0%E8%A2%8B%E7%B7%9A
> 1970年(昭和45年)11月20日 小手指ヶ原信号所を駅に変更し小手指駅開業。
1970年みたいな時期に、まだオイルショックの気配はなく、これからどんどんいけいけで(げふ)地下鉄がじゃんじゃん105km/hみたいな速度で小手指まで走りますよーん(…よーん! よーん! よーん!)というのが「小手指」という何らかの大きな開発の「空気」であった。(※個人の感想です。)それとまったく同じことを天覧山で、1990年代にもなってから、凍結していたのを再開するだけといわんばかりに(何も考えずに)『お役所よりもお役所な仕事!』(※下品な直訳)をしてしまったのだという見方をしておきたい。天覧山を削ってやろうという野心があっての西武鉄道ではないと思っておく。
・(再掲)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AD%E6%9D%B1%E8%A5%BF%E7%B7%9A
> 「新宿線の都心乗り入れのために東京メトロ東西線乗り入れなどといった様々な選択肢を検討している」と語っており、相互乗り入れ計画を断念したわけでは無いことを示唆している。
まったくもって、そういう手立てによって東西線の車両基地を埼玉県内に置けて(東西線を)増発できるといったことが、それがいちばんほしいときにはちっとも実現せず、もはやそんなものなしでもなんとかなるよという時期になって完成するのが西武なんだ。「やってます」「考えてます」と言い続けるのが西武なんだ。『お役所よりもお役所!』とはこのことだ。こういう工事の主語(なぜ、その事業に公共性が認められて、公式に議論がされて、補助金などが手当てされるのか)は、都心側(東京メトロや国や都)に属することなのに、あたかも西武側が都心まで乗り入れるか乗り入れないかということが議題であるかのように西武を主語にしてしまう。そこがいけないんだ。(※個人の感想です。)
・(2023年2月5日放送)
https://www4.nhk.or.jp/P4395/x/2023-02-05/07/73342/4832305/
> 「鶴亀(一部)」
…「鶴亀(一部)」!(※白目)「モロコシの宮殿」で「皇帝」だと。能で「モロコシの宮殿」で「皇帝」だと。現世を直接には称えず外国や別の時代に託すのが「能の方法」だと。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7a/Xian_museum.jpg/640px-Xian_museum.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E9%A6%AC%E4%BF%91
> 始皇帝陵(驪山陵)の存在は『史記』や『漢書』など、古代中国の歴史書に記されていた。
> 1975年7月21日、新華社通信が秦始皇帝陵兵馬俑坑の発見を報じると、世界的な大ニュースとなった。
かの国でも、そういうことは1970年代になってからの話なのである。現在のわたしたちが「モロコシの宮殿」で「皇帝」と聞いただけで、あの遺跡をありありと思い浮かべるのと、能の「鶴亀」が成立した年代に伝わっていた「モロコシの宮殿」と「皇帝」のありようとのイメージには、大いに相違があろう。
https://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/program_db/tsurukame
> 古の中国玄宗皇帝の御代。四季の節会の事始に、百官卿相一億百余人が参内すれば、恒例とあって鶴と亀とがめでたい祝賀の舞を舞い、皇帝もまた自ら月宮殿に遊舞の楽を奏して還御なるまでを描く、大らかで清々しい能。
さすがに「始皇帝」ではなかった。もっとリアリティのあるかたちで話が伝わっている「玄宗」こそがモチーフになるのであった。あの遺跡が絵画にでもなって古くから伝来していれば、そこは「始皇帝」になったのではないか。(※考えかた)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E4%BA%80
> 鶴亀に登場する皇帝は、玄宗とは限らないが、玄宗に擬せられることが多い
> 玄宗の前半の治世は「開元の治」と称され、唐の絶頂期と評価されている。玄宗が行った政策は仏教僧達の度牒の見直し、税制改革、節度使制の導入などである。
> 玄宗が即位する前の702年に日本から派遣された遣唐使の中に僧侶・弁正がいた。玄宗と弁正は囲碁を通じて親しくなった。その後、弁正は唐において病没するが、唐で生まれた息子の秦朝元が遣唐使の一員として唐に戻った際には玄宗は特に手厚くもてなしたと言う(『懐風藻』)。玄宗は日本からの遣唐使に対しては好意的な対応を行っており、日唐関係は安定した時代を迎えた。
日本だけが特別にというわけではなかったろう。○か×か。(※考えかた)
・[3676]
> 「しゅらしゅしゅしゅ」とはにわ
> ※はにわ:よくわからないもの、の意。
・[4608]
> すべては幕張昆陽地下道に続く。
> > 植物防疫法の定めにより、イモゾウムシやサツマイモノメイガなどの害虫の拡散を防ぐため国内間でも検疫が行われ、沖縄県全域、奄美群島、トカラ列島、小笠原諸島からは、サツマイモやグンバイヒルガオ等のヒルガオ科植物の生茎葉および生塊根等の持ち出しは規制されている。
> > 1609年(慶長14年)の薩摩藩による琉球侵攻に際して、サツマイモが持ち帰られた可能性は否定できない。また、1611年に薩摩藩軍が撤兵する際、尚寧王が宴席にてサツマイモ料理を出し、その美味を味わった薩摩藩士の求めに応じ、サツマイモを進呈した、とされる。
・[4908]
> 「指南車」とは
> > 車の上に人形が装置され、車が移動しても人形の手は常に南を指すように作られたもの。中国古代の黄帝の作とも周公の作ともいわれる。
> 南を目指すことは永遠のロマン。
再び日高市内に戻ってきました。(※ブラタモリみたいな効果音で!)
・(♪〜)
https://goo.gl/maps/Ke9ikpT3GdhVwKcJ6
新しい看板が立っておる。この西武プロパティーズである。売主が西武鉄道で、販売代理が西武プロパティーズである。そして、現在は単線の橋桁しか架けられていないが、橋台は複線の幅で造られている。ここまで複線化するつもりだ。この西武池袋線である。「飯能・日高」とはおっしゃるものの、この分譲地のほぼ全域が日高市内で、分譲地の南側はいきなり飯能市との市境にぶつかる。
https://goo.gl/maps/4DgFRuSP6omHHeJJ6
山である。南向きでも、南に山である。日が高くなるまで射してこないのが日高市です。お茶の葉にはいいかもだけど、人間にはちょっとね。(※音声を変えています。)
|