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まっこうくじらさーん、と、こちらからは(ツイッターを利用しない限り)、カジュアルな何かを送って示すことができないことに、気づかされます。なんということでしょう。
※Twitterカードの認証と動作確認のためにアカウント(@neorail_jp)をつくりましたけれども、ツイッター上で何かを発信することは予定しておりません。あしからず。
・ツイッター(2015年7月20日20時6分JST※)
https://twitter.com/mkokujira/status/623086580702416896
> 東京駅「謎の空洞」はやはり番宣上の表現で、縦断面図を使い自動車道計画を紹介。で、謎はその空洞への経路。10日前発見という地下2階からの穴は、明らかに平成以降のコア抜きで、未知とすれば施工記録の不備。妻壁か上床の打設後に型枠を解体搬出した穴が、別にどこかにあるはずだ!?
※ツイッターの不便なところは、投稿日時がPST(太平洋標準時)で表示されることです。「+17時間」するとJST(日本標準時)になります…が、サマータイムがあるんですね、わかります。ツイッターの時刻表示がサマータイムに対応していないはずはないとして、いまなら「+16時間」するとJSTに…UTCに揃えて、ユーザーやブラウザのロケールに応じてローカルタイム…したりはしないんですね。あくまで「西海岸のみんな」で使うことしか考えないまま「イケイケ」で「グローバルに展開」してしまったんですね、わかりますわかります。
いえいえ、番組(本編)で出てきた映像では、いかにも近年「コア抜き」しましたね、という「穴」でしたが、「コア抜き」したからといって「工事」であるとは限らず、(当時の)法令上も、営団(当時)の規則上も、「施工記録」を作成して保存することが義務となるケースにはあたらなかったのでしょう、たぶん。あくまで「耐震性の調査」であって、そのために「コア抜き」しても、それは「工事」ではなく「施工」ではない、という話だと思います。
※とはいえ素人です。できれば実務および法令の両方に詳しい方に補足いただけますと幸いです。
樹木のせん定のためにはしごをかけても「はしご設置工事」ではない、くらいの話なのでしょう、たぶん。耐震診断において通常行なう(強度を調べるためのサンプルを得るために行なう)「コア抜き」をしても「工事」ではなく、そして、「コア抜き」と称して、その実、人が通り抜けられるほどの「大穴」を開けてもなお、ただの「コア抜き」(人が通れるようにしたのではなく、あくまでサンプルをとった=通常ありえないほど大量にとった)なんでしょう、たぶん&なんということでしょう! 「コア抜き」も度が過ぎれば、それ自体が構造物の強度低下に「寄与」してしまいかねません。
・個人のブログ(2015年2月14日)
http://tht.sblo.jp/article/112718685.html
> 地中の2本の既設トンネルを「融合」させる工事すら行われる昨今、既存建物の構造計算や耐震補強など、日常茶飯である。
> 購入者の顔を立てようとして、技術的に正しくない説明をしているのではないかと疑いたくなる。
> 普段、解体工事と新築工事しか見ていない人たちが急には補修工事の監理ができないとしても無理はない
「コア抜き」と称さずに多数の「コア抜き」を行なった結果、鉄筋まで切断され、強度不足となったマンションのケースです。ある道具を使えば、誰でも「コア抜き」(と呼ばれる作業)をできつつ、しかし、きちんとコア抜きする、コア抜きしてもよいかを検討できるという部分では、誰でも、というわけにはいきません。
傍題ですが、極端には「電気柵」と称する人為的な漏電の装置を「自作」されてしまうように、安全性や法令への適合をまったく考えなければ、およそたいていのものは簡単に作れたり、簡単に行なうことができたりしてしまうものです。それではいけないんだ、ということがわかるまでは、いかなる知識にも技術にも触れさせない、という一種「寝た子を起こすな」と呼ばれる何かが重要でありつつ、しかし、知識のない(本人があると主張しても客観的にはないとみなされる)人が容易に「電気柵さえあれば鹿をよけられる!(らしい)」などという、いわば「おいしい話」を「コミミniハサンデー」([2993])しまうことは防ぎきれません。
あらゆる技術に関する知識には、最初からもれなく安全や法令に関する事項も「セットでお徳」として提供されることが望まれますが、もっぱら便利さに着目して言及されるとき、どれだけ「お徳」(正しく使う、の意)のほうに気が回るでしょうか。古くは無線機で傍受した内容を公表する(してはいけないと知らないまましてしまう)子どもの問題や、近年ドローン、といった問題が、いつの時代にも絶えず持ち上がってくるという共通の構図がございます。
※そこまで法令に直接には抵触せずとも、「自撮り棒」(selfie stick)や「ブームと呼ばれる長いポール」も似たようなもので、公共の場で長い棒状のものを振り回す…とみなされる(目的のいかんによらず外形と結果で判断される)ということにまで考えが回らないまま試してみてしまう、そして「うまくいった」と自己評価し、知人に「いいもの」だとしてすすめて回るという、そこまで含めての「拡散現象」(ミーム)全体に目配りし、対処を考えていかなければなりません。特定の箇所に「自撮り棒禁止」と貼り紙をしさえすればいい、という問題ではないということがわかります。
・「「現代」という環境―10のキーワードから」
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784845110261
> 一橋大学社会学部と読売新聞立川支局の共催の市民講座の講義録。私たちが生きる社会に存在する様々な「環境」を読み解く。自然領域に限定せず、社会、歴史環境までを視野に入れた内容。
・はてなブックマーク:読売新聞「【6】ミーム・プール――文化環境の『遺伝』と『進化』 : 一橋大・読売連続市民講座『現代』という環境――10のキーワードから」 : 企画・連載 : 東京多摩 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新」(2010年4月7日)
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/feature/hachioji1270465109314_02/news/20100407-OYT8T00251.htm
> 第6回が10月21日、国立市の同大西キャンパスで開かれ、古茂田宏教授が「ミーム・プール――文化環境の『遺伝』と『進化』」と題して講義し、情報を複製・増殖させる単位の文化的遺伝子「ミーム」が人間の思考を形作っているのではないかという視点を示した。
・東京都教育委員会「小学校における安全教育」(2006年3月17日、2011年)
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/shidou/anzen_tebiki/e_01.pdf
> 児童自身に「危険を予測し、危ないことは絶対に行わない」という態度を身に付けさせることが大切である。
> 枝や棒を振り回さない
> 長い棒の正しい扱い方と回りへの注意を徹底する
> 投石禁止
※18ページの絵は、趣旨が不明確です。禁止事項を列挙するなら、すべてに禁止マーク(丸に斜線)を付す必要があり、禁止でない事項を同じ絵の中に描いてはなりません。文字をすべて消しても意味が分かるようにしなければなりません。いま、文字を消すと、子どもが楽しそうに石を投げている、ほのぼのした絵、としか見られません。そして、「川の中州にテント」も禁止ではないんでしょうか。子どもが自分では設営しないとしても、大人がしようとしたときにダメといえるように、また、子どもにばかり禁止事項をあれこれ言いつけて、大人はどうなんだと反感のようなものを持たないように、等しく禁止事項として併記したほうがよいのではないでしょうか。
※しかし、いまだに家庭科で「サラダ油や食器用洗剤を別容器に小分けにし、取り違える」事故がなくなりませんねぇ。メーカーや商品は問わず、油なのか洗剤なのかわかるラベル付き(衛生のため紙でなくプラに限る)の空き容器を児童にあらかじめ持参させ、洗剤は色付き香料付きのものに限る、などとしないと防ぎきれません。「健康エコナ」の空き容器に「日清サラダ油」が充填されても、問題ないでしょう。
・日清サラダ油
http://products.nisshin-oillio.com/katei/shokuyouyu/saladayu/011262.php
・花王「エコナに関するご報告」(2015年3月)
http://www.kao.co.jp/econa/
※油はただの油でいいんです、そして摂取量を管理すれば、それでいいんです、と痛感されます。何かスバラシイ油を摂りさえすれば、と思わせて飛びつかせる、そのことは「素直そして正直」とはいいがたく感じます。トクホのノンアルコール飲料(ビールテイスト飲料)なんて、とんでもない!
それはさておき、本件(ブラタモリの件)で、この場所&この大きさなら「大穴」を開けても大丈夫、という「構造計算」がされたかどうか…ちょっとだけ気になります(たぶん大丈夫だろうと思いこみながら)。ニュースや番組で直接には言及されませんが、「現在も安全性に問題ない」とまで断言されていることから、構造計算もあっての結論なのだろうと読み解くことができます。(あくまで形式上の読み取りです。)ヘルメットの(「ヘルメット姿」ではなく、ヘルメットをかぶるのが本職とみられる)「東京メトロの丸山茂さん」がたいへん無邪気にはしゃいでいらっしゃることからも、視聴者としては安心して番組を楽しんでいればいいんだ、というメッセージが伝わってきます。(印象は個人です。)
※この点では「リーガルマインド」のようなもの、安全性に喫緊の具体的な問題がない以上は、いざ新しく何かの必要に迫られるまで、細かいことが社内で忘れられていても問題ない、ということでもあり、一種「カリカリチューン」された人としては納得いかないことがあっても、実際にはほとんど問題がないとみなせるわけです。本当でしょうか。([3018],[3028]も参照。)
そして、広い意味ではまさに「記録の不備」ではあるのですが、義務ではないとみられる「施工記録」という意味では、「不備」と断じることはできません。形式的には、きちんとすべて、規則に則った対応がとられてきたはずです。
・[3083]
> 記録されず
> きちんとは記録されなかった
> 資料がまとめられて保存されたとみられます
> 資料が廃棄された
> 穴については記録されていない
[3083]では当初、「不備」という表現を使って下書きしましたが、よく読みなおしてみると上述の理屈がわかったため、「不備」とは表現せずに「記録されず」と表現して最終稿とし、掲載しています。
「資料」というのは相当広い表現で、法令や規則上、作成や提出、保存が義務となる書類(文書)だけでなく、とりあえず何でも撮っておけ(取っておけ)として残された写真や録画、メモ、非公式の議事録や社内での電子メールなど、あらゆるものを含んでいます。
「文書主義」とは、こうしたものを含め、「義務ではないが、将来、困らないように、なるべく詳しく記録しておく」という立場から、文書=社内の情報に関する実務を一種、ブラッシュアップしていくことが期待されているということです。
余談ですが、(建設当時)内側の(最後の打設時の)型枠は放置された、という、本当に「中に入れない」空間として完成されたということは、あったりするんでしょうか? 入る必要がなく、ネミミniミズ…いえ、水やネズミ、それにネズミなどの侵入も防ぐため、そうしたということはあるかもしれません。そして、「調査」に際して「コア抜き」して立ち入った時に、放置されていた型枠などを、特に何も気にせず「片付けた」ということもまた、あるのかもしれません。…いえいえいえ、そこでも、どこに何が放置されていたか、腐食状況はいかほどであったかなど、記録されたく思います。まあ、写真くらいは残されているのではないかと思いますが、デジタル化されていないので簡単には検索できない(社内で)ということなのでしょう、たぶん。
・ヨミドクター(読売新聞)「猛暑で?パリがネズミだらけ 白昼堂々と人の近くを」(2015年7月29日)
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=121701
> メトロの中を走るネズミ
いま、テレビ電話で会議して、議事録も残さず(メールでやりとりすればメールが、電話ならメモが残るようなものが、テレビ電話ではいっさいない※)、といったことが広がっているとすれば、ある意味、たいへん危機的ともいえます。誰が言ったか知らないが「チャレンジ」などと…と、後から紛糾するようなことは、きちんと記録を残すことによって防いでいかなければなりません。そもそも、記録に残す段階で「吟味」が加わり、極端におかしなことは、その段階ではねることができるのです。本当でしょうか。
※「不備」と書かずに「記録されず」と書こうというのも吟味の一つで、以前にも、「適切でない」と述べることと「不適切」だと断じることの重みの違いについても云々したことがありました([2643])。ちなみに、この時の話題も「強度」でした。
※何かを決める会議なのか、何でもない打ち合わせや顔合わせ(あいさつや訓示を含む)なのかも定かでないケースもあるのではないか、の意。議事録を残すべき重みを実質的に持ちながら、議事録不要の会(一種「朝の会」や「帰りの会」のような)だといいはるようなことを指しています。「あうん」よりもひどい何か、例えば「ああ」と「うん」だけで重要な決定がなされるようであっては、いえ、それでもそこは、その会社のやり方に任される部分で、形式的な書類さえ(後から各部署がてんやわんやして)揃っていれば、外からは問題ないとみなされます。いつまでもそれでいいんでしょうか?
・誰が言ったか知らないが「帰りの会」のお時間がやってまいりました
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B5%A2%A4%EA%A4%CE%B2%F1
※言われてみれば確かに「チャレンジ」と言った、とわかった後もなお、あれは「指示」ではなかった(「指示する場」ではなかったので「指示」ではない)、といえるんですね、わかります。
保存する義務のない情報まで保存することに、莫大な追加費用が掛かるというなら話は別ですが、実際にはそこまで大がかりなことではなくなってきています。社内のメールはそのまま保存すればよいわけですし、工事写真はデジタルカメラで撮影されます。しかも、改ざんを防ぐためにGPSでタイムスタンプをつけたり、撮影と同時にサーバーに転送して、確かにその時刻に撮影されたことを2面から保証したりと、既にかなりコストをかけて写真が蓄積されています。同じしかけの上に、必ずしも保存や提出の義務がない写真も合わせて載せて、同じように手厚く管理していくことは、無理なことではないはずです。
・蔵衛門御用達(ルクレ)のサイト「工事写真.com」(2007年9月12日)
http://www.koujishashin.com/magazine/20070912/
> 平成18年1月に改定されたデジタル写真管理情報基準(案)
・建築業協会(現・日本建設業連合会)「工事写真情報の標準化」(2008年10月16日)
http://www.nikkenren.com/kenchiku/ict/seminar/pdf/2008/No_3_4.pdf
・日経BP ケンプラッツ「工事写真をメールで送ると“改ざん”か?WEBで疑いが晴れる新型デジカメが登場」(2008年6月20日)
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/it/column/20080620/0972/
> コメント
> それにしても3年前の偽造写真発覚から、このような真偽証明システムの登場が見えていましたが、デジ写真の真偽証明が、仕様書で定められたら経費増大になっちゃいます。メーカーには追い風でしょうが・・・。
・新技術説明会「建設分野の制約条件を考慮した工事写真の「改ざん」検出技術の開発と展開」科学技術振興機構(JST)(2012年11月7日)
http://shingi.jst.go.jp/abst/p/12/1237/sansan01.pdf
> 意図的にノイズを入れる=過失による編集でないことが明らか
??? ちょっと理解を超えます…よく読むと「過失による編集ではノイズは入らない=意図的なノイズが入っていれば意図的な編集である可能性が高まる(ただし、これだけをもって意図的な編集が加えられたと断定することはできない)」ということですね、わかります(わかっていませんでした)。
・「西村克己の「仕事を劇的に早くする技」 第7回 仮説を立ててブレークスルーを目指す」(2015年7月29日)
http://bizacademy.nikkei.co.jp/practical-skill/shigotohayaku/article.aspx?id=MMAC4e000021072015&page=3
> (よくある悪い例)現状分析をしても解決策が見つからない問題解決
> コスト削減を推進するために、改善チームを立ち上げました。コスト削減目標は20%以上。徹底した現状分析を開始し、3ヶ月にわたる部内調査、取引先調査をしました。その資料は数千ページ。さて、改善案を考えようとしたのですが、メンバーから画期的な改善案が出てきません。全く改善案が出ないわけではないのですが、どの改善案も効果が小さく、小手先のアイデアしか出ないのです。
> リーダーは「これだけ調べて、なぜ、君たちから改善案が出ないのか?!」とややいらだち気味です。そこでもう1ヶ月、現状分析を継続することにしました。そして、コスト削減目標を達成するような画期的な改善案が出ないまま、時間だけが過ぎるのでした。
ひどいリーダーですね、わかります。そして、こうしたことが「よくある」といわれること自体が、ひどいことで、さらにひどいのは、ひどいとも自覚されていないとみられることです。(パックン氏の指摘[3059]も参照。)
ひどいひどいといってもしかたないですが、では「何が難しいか」といいかえれば、従前の取り組みが「ひどかった」と認めない限り、取り組み方を変えることができないというジレンマがあるということです。(「大センパイ方」の「拙くもアツイ仕事」[3077]も参照。)
わかっていても変えられない、ましてや、新しい「常識」や「禁止事項」を知る機会すらないまま「川の中州にテント」で増水して取り残されるようなこと(の、会社バージョン)を根本から防ぐには、どうしていけばいいのでしょうか。
手始めに取り組むことといえば、綿菓子の割りばしの事故や学校内の防火シャッターに挟まれる事故を教訓に小学校での安全教育が系統だてて進められるようになったのにならって、たぶん、「帰りの会」で議事録を残すところからですね。たいへん、先が長そうです。
※え゛ー(早く帰りたい、の意)。
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