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(約8000字)
[4966],[4965]からの続きです。
・[4966]
> 日本語では「土木構造物」という言葉の中に暗に「コンクリート製の」という意味合いがあって、そこから逆転して「土木」という言葉を「コンクリート製の」という形容詞のようにとらえる場合があります。
・[4965]
> これまでに画像で参照した「これはいいコンクリートですね」みたいな地点をGoogleストリートビューで訪れてみたいと思いました。
・[4837]
> ▼日高市内の「土木絶景」については[3419]を参照。
ここからは(…「ここからは」!)、そもそもGoogleストリートビューで見ていたものを、もういちど見たくなったというコーナーであります。
・[4849]
> 「夏休みのトトロ」の「ここまでは」「ここからは」みたいな言いかた。ごらんのこんにゃくでおおくりします。
・(再掲)Google ストリートビュー 日高市内「土木絶景」のイメージです
https://goo.gl/maps/xFtq98M9EaA2
https://goo.gl/maps/hgtdWs1otpK2
なんともいえないワイルドなコンクリートです。余ったパーツをホットボンドで固めたみたいな何か。(※ジト目)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E4%B8%98%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E6%A4%9C%E4%BF%AE%E5%A0%B4
> 埼玉県日高市台
その名も「台」という町名。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Seibu_musasigaoka_kensyuzyo_deiriguti.jpg
そういう施設の下のほうがどうなっているかを気にする人は少ないのかしらん。(※音声を変えています。)
> 2000年(平成12年)6月16日 - 開設。
そんなに新しかったのねん。
> 2000年(平成12年)12月22日 - 環境マネジメントシステムに関する国際規格ISO 14000シリーズの「ISO 14001」の認証を取得。
下のほうのコンクリートを見ながら言うのねん。(※音声を変えています。)
> 当検修場の周辺は住宅地や豊富な緑を有する山々に囲まれているため、騒音対策および臭気・粉塵対策を講じ、機器の動力の電力化や作業の効率化を図っている事で環境に優しい工場である事をPRしている。その取り組みの一環として2000年12月22日に環境マネジメントシステムに関する国際規格ISO 14000シリーズの「ISO 14001」の認証を取得している。
あのワイルドなコンクリートをまじまじと見ながら言うのねん!(※音声を変えきれていません。)1つ1つはうそじゃないしまっとうなことだけど、「ISO 14001」という名前を使ってアピールできることではないことにまで「ISO 14001」の名前を振りかざそうとする態度があるとすれば見過ごせません。なんかよくわからんが「いいこと」をしてるのねというふうに「ISO 14001」の名前を使うのはいけません。
> 2014年(平成26年)1月28日 - メガソーラーの発電開始。
いわんこっちゃない。(…なにが?)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/Seibu_Train_festa_in_Musashigaoka_Train_factory_Temporary_wicket.jpg
ケーブルカーか何かの山頂側の駅みたいな気分。(※個人の感想です。)
> 高麗駅から徒歩での来場も案内されており、2014年からは徒歩で来場される方にのみ入場時にオリジナルグッズの配布も行われている。
歩きにくいところを延々と「どつかれさーん!」みたいな意味合いがあるのかしらん。(※遠い目)当地の歴史をよく知らなくて恐縮なんですが(※あまり恐縮じゃない)、車両基地を造るために西武が山を削ったのでなく、きっと採石場だったんだろうと。
※ゴルフ場の端っこというか変形すぎてコースにできなかったところが余っていたとか、ゴルフ場もまた採石場の跡地を使っているだけでゴルフ場を造るために山を削ったわけではないとか、きっといろいろあるんでしょうと漠然と思っておきます。
・(♪〜)
https://youtu.be/4fkNEGDI0Ls?t=171
車両基地まで完全複線化というわけではない。なんとも汚らしい(ごちゃごちゃした&ご都合主義な)施設それに信号である。グランドデザインというものがない(ように見えてしまう)。最終的に本線は複線化したいのかしたくないのか、そういうことがちっとも伝わってこない。本線としては掘割のせいで、あんな大きな車両基地がそこにあるとは意識させない。(※個人の感想です。)
> 三菱セメント
わあぃ三菱セメント。
> やまきりひらいてかいたく?
> めっちゃすごい。
電車から見えれば意識されるということ。(※言いかた)
> おおー
> おおー
リトグリ(※仮名)っぽいハモり。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E7%A7%A9%E7%88%B6%E7%B7%9A
> 池袋線の事実上の延伸区間
> 武甲山から産出する石灰石を原料とするセメントの輸送と沿線の観光開発を目的に建設され、1969年(昭和44年)に開業した。正丸 - 芦ヶ久保間で正丸峠を越える山岳路線で、同区間に存在する正丸トンネル(延長4,811m)は、山岳トンネルとして建設当時、日本の私鉄最長であった。
・同じ動画の「正丸トンネル」付近
https://youtu.be/4fkNEGDI0Ls?t=2048
これが戦前であれば近鉄に匹敵し、もし戦前から完成していれば、長野行新幹線に対抗する遠大な私鉄ということになっていた。近鉄みたいに…近鉄みたいにっ!(※真っ赤)しかし開業からわずか数年後、実に、西武秩父までの開業からわずか数年で、オイルショックである。武蔵野線ひいては名古屋市や南方貨物線にとってのそれ(※事業の遅滞や縮小・凍結などの影響)と同様、オイルショックというのはまことににくたらしいものである。○か×か。東海道新幹線とオイルショックに挟まれて、一歩、遅いというか、間が悪いというか…(てんてんてん)。「正丸トンネル」が高度経済成長を支えた!! …というには、開業が遅すぎたのである。ダムや発電所の建設に役立ったわけでもない。あるいは名古屋のほうでいうところの南方貨物線がうっかり開業しちゃってから使い道を失うようなものである。(※言いかた)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E4%B8%B8%E5%B3%A0
> 1982年(昭和57年)3月の正丸トンネル供用開始とともに国道はトンネルに変更された。
これは道路のほうのトンネルの日付である。日付だけをいえば西武秩父線のトンネルのほうが13年ほど早いのであるが、オイルショックである。オイルショックがなければ間を置かずに道路側も着工されたであろう“双子の”事業である。○か×か。
> トンネルを境にして天気が大きく異なることがあり、例えば飯能側では降雨であっても、横瀬側では降雪(積雪)している場合がある。
うへぇ。(※感嘆)
> 1967年(昭和42年)7月19日に着工、1969年(昭和44年)1月29日に貫通(同日午後0時半より貫通式典を挙行)し、同年5月31日に完成した。建設費(総工費)は約80億円であった。
こちらは西武秩父線のトンネルである。西武秩父線のトンネルは80億円である。…覚えた。(※ソコジャナイ。)
・(2022年7月21日)
https://www.seiburailway.jp/newsroom/news/20220721_shomarutour/
https://www.seiburailway.jp/newsroom/news/image/tunnel_hp.png
> 1969年の西武秩父線開通時に記念として配布されたレール型文鎮
どこから出てきたのだ。(※白目)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E4%B8%B8%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E5%A0%B4
> 正丸トンネル信号場(しょうまるトンネルしんごうじょう)は、埼玉県秩父郡横瀬町にある西武鉄道西武秩父線の正丸トンネル内に設けられた信号場である。
> 正丸トンネルの東側には国道299号の正丸トンネルが並行して通っている。
もちろん「正丸トンネル」のルートの重要性にまったく疑問はない。ただただ、遅かったということである。あるいは「正丸トンネル」の工事を完成させたという実績によって、後年の何かの工事の受注などにつながっているのであれば、それでじゅうぶんという見方もできる。(※恐縮です。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E9%87%8E%E7%B7%9A
> 小杉トンネル(延長 5,382 m )
> 生田トンネル(延長 10,359 m ・武蔵野線最長のトンネル)
何かピンと来ませんか。
> 武蔵野線は、山手貨物線を代替する「東京外環貨物線」として計画され、1927年の鉄道敷設法に取り入れられていたが、第二次世界大戦などの影響で計画は凍結された。
西武池袋線が吾野まで開業といった年代である。状況は同じである。まさに状況である。(※状況)
> 1952年に首都外郭環状線の一環として所沢 - 浦和 - 流山 - 我孫子間の路線が埼玉県より申請され(略)
> 1964年にD線と通称される大都市交通線として日本鉄道建設公団によって着工した。
> 1973年4月1日に府中本町駅 - 新松戸駅間・与野駅 - 西浦和駅間などが開業し、旅客線および貨物線の営業を開始した。
現在の「武蔵野線」である。武蔵野線は埼玉県が申請した路線で、大きく言えば埼玉県民の足である。(※遠い目)
> 武蔵野南線(鶴見 - 府中本町間)の建設に要した費用は約540億円である。
> 1970年(昭和45年)2月2日に建設工事に着手した。
さらにトンネルだらけの「武蔵野南線」は、80億円どころじゃないし、着工も完成も遅い。
> 西武国分寺線との交差地点から小平トンネルに入り、そのトンネル内で国立駅からのむさしの号が走行する中央本線との短絡線(国立支線)が合流。2本の長大トンネルの僅かな合間に新小平駅があり西武多摩湖線青梅街道駅に近接している(乗換案内は無い)。続いて旅客線内最長の東村山トンネルに入り、西武拝島線・西武多摩湖線・西武新宿線と次々に交差する。
そこらへんの工事を西武側で請け負うために「正丸トンネル」が必要だったのではありませんか。えー…(てんてんてん)。
・「臨海副都心線工事誌」
https://www.jrtt.go.jp/construction/asset/constUtwr-2_00.pdf
> (PDFの57ページ)
> 西武建設(株)
その後の地下鉄の工事を各社が小分けに受注する構図の原型が武蔵野線あたりでできていたわけである。
※根岸線では住宅公団のほうが存在感があって、そういうところはよくわからない。武蔵野線は距離も長いので、いろいろなものがわかりやすい(はず)。
そのような能力を各社が持つということが大切である。少なくとも建前上は、工区ごと(JVごと)に工事の質を競わせるということにできるのである。なんかわからんがぜんぶ国鉄だというスキームより、はるかに健全である。(※あくまで建前です。)あと、「工事誌」というものがPDFで公開されているとは知らなかった。これはぜひいろいろな参考にさせてもらう。(キリッ
※恐縮です!
・(2019年10月23日)
https://toyokeizai.net/articles/-/309211
> 2015年6月には、新規事業プロジェクトとして、この地に新製造・物流拠点、図書館・美術館・博物館を融合した文化コンプレックスとまちづくりの実現を目指す「クールジャパンフォレスト構想」を発表した。
> 当時は世間一般、そしてとくに出版業界人が、「大手のKADOKAWAが、都心から離れて埼玉・東所沢に移転」と、驚きのあまり大いにざわついたことを記憶している。
> 所沢というと市内全体が西武グループの牙城というイメージがあるが、サクラタウン建設地である東所沢は西武線沿線ではなく、JR武蔵野線の駅である。
https://www.city.tokorozawa.saitama.jp/iitokoro/enjoy/rekishi/rekishimonogatari/rekishimonogatarishortcut/dasc4_2.images/dasc4_2.jpg
武蔵野線だって、西武のエリアでは西武のもの同然ではないのか。(※言いかた)武蔵野線は、もう少し遅ければ3セクになるような、ぎりぎりのところで国鉄の路線になった(された)だけの路線だから、武蔵野線が国鉄・JRの路線という感じはほとんどないのであった。千葉でいうところの東葉高速線が国鉄時代にできていたようなものだと思えばよい。東葉高速線は京成線の勝田台から船橋までの混雑緩和に資するという建前で、京成電鉄も応分の出資をしているわけである。(※千葉限定情報)
> ここに西武所沢駅から鉄道でアクセスするのは案外面倒で、所沢駅からは西武バスに乗っていくのがいちばん便利なようだった。
あくまで西武バスで西武の駅のほうから東所沢を目指す筆者氏。いい度胸だ。(※反語)
https://www.toyokosoku.co.jp/company/profile
> 主要株主
> 千葉県/船橋市/八千代市/東京地下鉄/京成電鉄/東武鉄道/新京成電鉄
3セクというと自治体の出資のほうに目が向くが、私鉄からの出資もあるのだ。武蔵野線が3セクになっていれば、当然、西武鉄道も出資するかたちになっていたはずだ。もっといえば、3セクにはなっていなくても実質的に西武鉄道の持ち出しであり持ち分であるというようなところが、武蔵野線にいくらかはあるに違いないということである。鉄道というものを見ていくときに、国鉄・JRであるか私鉄であるか3セクであるかということを、過度に絶対の軸であるかのようにはとらえないほうが、実態が見えてくる。たぶんですけどね。(※小さな声)
・[3640]
> 「T」と称する自称オープンソースなゲームでは、「ニューゲーム」を乱数で発生させることができ、ランダムに「町」(もしくは村)がマップ内に点々と配置されます。ゲームを開始すると、次々に「A村とB村を結べっ!(名乗り出れば補助金を出してしんぜよう)」みたいな提案(Subsidies:開業後の一定期間、売上が2倍とか3倍とか4倍とかになる)が出されてくるので、プレーヤーはそれに従いながら、既に成立している町に駅を配置し、駅と駅の間を、なるべく建物を壊さずに済むルートで結ぶという、そういう順番で考えることができるのです。
・[4375]
> UKのひとは本当にprivateだけど、Japanのはprivateとみせかけてgovernmentなんですよ。もういちどいいましょうか。日本の鉄道の建設は資本が民間であろうとも「鉄道会議」([3785],[3860])の支配下である。財政だけ民間で決定は政府だ。移動や旅行の自由を定める基本法もない。移動や旅行の自由があるともないとも明文化しない。だから都合よく自転車で逃亡しながら記念撮影や記帳をする容疑者までのうのうと出てくる。日本には狂言という言葉がある。わかっていてわざとやってみせたというデモンストレーションのようなにおいすらする。これが日本である。二言はない。
自転車はともかく…(てんてんてん)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%BE%E9%87%8E%E9%A7%85
> 池袋線の終点で、西武秩父線の起点。
> 1929年(昭和4年)9月10日 - 武蔵野鉄道の終着駅として開業。
飯能から吾野まで14.1キロ、吾野から西武秩父まで19.0キロ。
https://dennsya-nikki.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2014/02/22/140222agano.jpg
うひょーい。(※悲鳴)ここまで来ると「きんてつせん」([4925],[4942])に似て、実際の乗客数がいようといまいと(少なかろうと)電車が山を登れるために4両編成だ(それだけのモーターが必要だ)というような感じであります。
> 1925年(大正14年)に飯能駅までの全線を電化し、1929年(昭和4年)9月10日に吾野駅まで開業させた。
いえ、1929年までにあっさり開通している吾野までの区間には、特筆されるような急こう配は特にないようです。(※恐縮です。)山梨も群馬も通らずに埼玉と長野を行き来できるのか(ぐぇ)とか、千曲川と荒川は最短でどのくらい近いのか(ぎゃふん)とか、興味は尽きません。その時代の西武がもっと急いでがんばっていれば、いまのわたしたちには違う景色が見えていたかもしれません。せいぜい芝桜くらいしか見るものがない西武秩父で止まらず、長野県内の避暑地や温泉地に最短経路でまっすぐ直行する路線となっていれば、「せいぶせん」というものはまったく違った景色になっていたことでしょう。(棒読み)
> 西武建材 吾野鉱業所(当駅西側 0.5 km 付近に、砕石積出設備を持つ)
わあぃ西武建材。ただ、ウィキペディア「吾野駅」のページには、駅の成り立ちがわかるような写真がなかった。(※恐縮です。)
https://goo.gl/maps/cD8i1b2XrUUafPsT9
https://goo.gl/maps/iHhq8ZAyn9eQzdg88
https://goo.gl/maps/Zcq44Wf8vgCLMuwd9
https://goo.gl/maps/hVsLzTT2LSArbYW76
https://www.qkamura.or.jp/cms/cash/815_20171022171756.jpg
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/ab/5f282bb38cf8c22c4f9cc67b5d9add93.jpg
https://edit.tetsudo-ch.com/wp-content/uploads/2020/11/025.jpg
そこが駅の外だから駅のページには写真を載せないというのはシヤクシヂヤウギがすぎるというものではありませんか。駅の外にある鉄道とは関係のない施設ということではなく、この鉄道(※仮名)の成り立ちに直結する施設では、ないんですか。(※意見です。)
[4563]に続きます。
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