フォーラム - neorail.jp R16

「A列車 色がおかしい」を越えて進もう


発行:2020/12/16
更新:2024/3/31

[4362]

【Switch】紺屋の白袴で読み解く「A列車」【他人の褌に注意】


色彩設計なしの『白袴』を売りつけてくるという見かた(談)
PC版のせいでSwitch版がおかしくされるという構図を理解せよという話(談)
東日本大震災もコロナ禍もカジュアルに無視するリアルお子さまのたくましさは希望ではあるけれどという話(再)

(約20000字)

 [4354]の補足です。


★色彩設計なしの『白袴』を売りつけてくるという見かた(談)


・(再掲)
 https://pbs.twimg.com/media/ENnAke2VAAAOmkE.png

 ゲーム「A列車で行こうシリーズ」が、PC版・ゲーム機版を問わず「冷たい!」「血が通ってない感じ!」と評されているのを無数に見てきた気がするのですが、実際に「色が冷たい!」つまり暖かみがない色をしているということなんですね。どうして「冷たい」のかというと、色の「赤み」を適切に扱えていないから、という原因が思い当たります。赤系の暖色がうまく扱われていないばかりでなく、色味の調節がうまくいっていなくて、何をどう表現したいのかがはっきりしない、非常に中途半端な色が使われている部分も多く見られます([3711],[4354],[4355])。

 日本では男性の20人に1人の割合で、赤という色が見えない(青と緑は見える)色覚のひとがいると言われています。色覚は、何をどうやってもどうにもならないものですから、どうしようもありません。このことから目を背けないでください。一方で、ゲームの開発者が、じぶんの色覚の特性を知らないままゲーム内の色を決めているということがあっては困ります。大手の開発会社が手掛けるゲームでは、そんな問題は起きるはずもありませんが、同人作品やそれに近い態勢で開発者が1人でなんでもやるというような作り方のゲームでは、本人がわからないまま、「色がおかしい」ゲームが作られるということが起きうると心配します。

[3864]
 > じぶんが気に入らない、あるいは見えない(判別しづらい)色だからといって嫌ったり無視したりしてよいということにはならないんです。

[3922]
 > 見えにくい色がある人もまた、不誠実になってよいとか、大昔に受けた仕打ちをいまじぶんより弱い立場の者に仕返ししてよいなどという理屈はない。

[3807]
 > > 文部科学省がこのように色覚検診に関する新たな指導強化の通知を出したのは、この10年余り、多くの学校で色覚検診が実施されなくなったことで、学校生活や進学・就職に関わる様々なトラブルが多く見られるようになったからです。

 > より深刻なトラブルに遭遇してしまわないうちに気づく、他者の色覚を理解するために、本件ゲームを「たかがゲーム」とは言わず(すでに社会で起きているさまざまなできごとのうちの1つとして)、色覚について理解を深める題材にしてください。また、「自身の色覚特性を知らないまま不利益を受ける」ことの中には、特定の業務に就けないという方向ばかりでなく、おもしろがって絵を描かされる(この人に描かせれば変な色をしたとっぴな絵が出てくる)とか、だまされて変な色の服を着せられるなど、悪意のある行為を受ける恐れがあるということも考えさせるようにしてください。

 大人としては、子どもが子ども同士で傷つけあうことのないよう先回りしていろいろな対処をしておくということに、これはもう、かなりぴりぴりしてあたるというわけでございます。あなたが幸いにも色覚に関していやな思いをすることもさせることもなく大人になれたなら、それはぜんぶ、周りの大人が手厚く対処したからなのです。色覚というものがもともとなんでもないとか、そういうことでは決してないのです。子どもはまっすぐだから何もしてもらわなくてもそのようにできるよ、なんてことはないのです。

 PCゲーム「A列車で行こう9」では、プレーヤーが任意の色を設定する場面はないので、ゲームだけを遊んでいる限りは何の問題も起きません。しかし、子どもがじぶんで「路線図」などを描き始めると、まともに色覚のありようが露呈してまいります。大人なら何をやっても大人でしょということで片付きますが、子どもはそうはいきません。子どもには、いかなるアップロードもさせない、(オフラインで)じぶんだけでちゃんと楽しめるという素養や態度を備えるよう促すことが大切です。

[3726]
 > 日常生活で困る困らないというレヴェルでは済まない。それがグラフィックを扱うということです。

[3922]
 > 作品で色を丁寧に扱う能力を磨いていけるためには、まず、色を繊細に見ることができるという能力が不可欠だということです。いっぽう、じぶんの作品で自由な色を使うということとは次元の異なる話だと理解してください。じぶんの好きなように表現するということではなく、他人の作品を『預かる』、工業的、商業的に作品を扱う仕事に就くという文脈でとらえてください。

 https://blog-imgs-44.fc2.com/y/a/m/yamrail9/02-ROSEN3.jpg
 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/5/50/Atraincover.jpg

※アートとしてその色をしているというのと、そうじゃないのとの見分けは、さほど困難なものではありません。

 一方、DS版、3DS版、そしてこのたび発表されたSwitch版「A列車で行こう はじまる観光計画」では、ゲーム内で走らせる列車の色をプレーヤーが任意に決めることができる機能があります。これは、ある意味では非常に乱暴なことです。他人に見せて「変な色!」といって笑われる心配もさることながら、まず、じぶんでもうまく色が指定できないということに、こちらは色覚に関わらずなってくるということでございます。映画やテレビアニメで「色彩設計」という担当のひとの名前や会社名が表示されることをご存知でしょう。色を指定するだけで専門の業務なのです。勉強や訓練なしにできることではありません。

 https://webnewtype.com/report/article/201346/

 作品の制作者や監督が色彩設計の専任者を置かない限り、わたしたちはまっとうな色彩の作品と出会うことはできません。色彩設計は、専門のひとが担当しない限り、色彩設計をしたと言えるものにはなりません。なんとなくつくってなんとなく問題ないからそれでいい、というのでは話になりません。それは「色彩設計をしていない」という状態であって、「この作品の色はこれでいいんだ」「この色がこの作品だ」という主張が一切できない白紙の状態だといえばわかりやすいでしょうか。

・(再掲)